LOAD SHOW

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♯01不動の兵藤教室 part.1

—はじめに―

こんにちは。LOADSHOWの島村和秀です。これより俳優の兵藤公美による少人数ワークショップ「不動の兵藤教室」のレポート掲載がスタートします。

当企画は実際のワークショップで個人にフィットした演技術の養成を目指し、レポートを通して普段語られることの少ない演技の世界を知っていただくという二段活用の趣旨でスタートした企画です。

講師を務めるのは青年団公演ほか様々な舞台作品や映画に出演し、洗足学園音楽大学や映画美学校では俳優養成の講師を務める俳優の兵藤公美さんです。

ちなみに「不動の兵藤教室」は兵藤公美をはじめ、坊薗初菜、島村和秀の3人で“チーム不動の兵藤”としてワークショップを運営、レポートの企画・編集をしています。

そもそも当企画は人それぞれが持つ「演技の疑問」に対して、しっかりと言語化して解決していくというコンセプトで始まりました。

普段、映画や演劇などで俳優の演技を観て“上手い”とか“渋い”、“嘘っぽい”など感じることがあると思います。

また、私たちも役割や環境、状況によって自然と演技をすることがあります。

よく見れば私たちの身の回りには“演技”がたくさんあります。しかし、それについて深く考えることはあまりないような気がします。漠然と、それぞれの演技観は持っていても、改めて聞かれると戸惑うことばかりです。

“良い演技”とは何なのか?演技にはどんな技術が必要なのか?演技をする上でどんな心持ちであることが良い状態なのか?

「不動の兵藤教室」ではまず、受講生から演技に関する考え方や感じ方を聞き、直接的な悩みを知った上で、課題を浮き彫りにし、本人にあったワークショップを展開します。

そのため、こちらのレポートでは俳優の“演技”に対する技術やメンタリティを知ることが出来ます。俳優や演出家、映画監督など演技に直接関係ある人も、そうでない人もこの機会に「演技」の実際的な世界を知って、「へぇー」と楽しんでいただけたら幸いです。また、そうして映画や演劇、日常生活で演技を楽しむ視点が生まれていけば、なお嬉しいことです。

今回は初掲載ということもあり、大変恐縮ながらLOADSHOWの仕事とは別に演劇制作をする島村と学生時代から現在も共に演劇制作をするOさんの2人で試験的にワークショップを受講してみました。「不動の兵藤教室」の雰囲気や内容をご理解頂けたら幸いです。

2014/4/17(木) 於:品川区 坊薗自宅

受講生:劇団 情熱のフラミンゴ主宰 島村和秀/女優 Oさん

チーム不動の兵藤

兵藤公美:俳優。「不動の兵藤教室」教室長。

坊薗初菜:俳優。「不動の兵藤教室」アシスタント、ケータリング

島村和秀:LOAD SHOW そことここディレクター/編集部。「不動の兵藤教室」聞き手。

(※今回は受講者)

—不動の兵藤教室は雑談からはじまる―


「たけのこ族の由来」と「チーム不動の兵藤」

島村:ねえ、兵藤さん、「たけのこ族」ってあるじゃないですか?その名前の由来知っていますか?
坊薗:休みの日になると湧いたように出てくるからって聞いたことあるよ。
兵藤:それ坊薗さんが考えたこと?
坊薗:違うよ。調べてみてよ。
島村:えっでも、なんか調べちゃったら淋しくないですか?
兵藤:そうよね。イメージを働かせたいよね…私はね、タケノコが生えてくるような踊りをするから…
島村:あっ、下から上へ行くダンスだったってことですか。
兵藤:うん、そういうこと!
坊薗:だから、違うって。
島村:「下から上へ」という発想は西洋的な身体の捉え方な気がしますね。
兵藤:上に上にっていう。ルルベしていこうよっていうことだと思うな。
島村:なるほど。
兵藤:甲で立っていこうよみたいなムーブメントがあったんだと思う。
島村:僕が考えていたのは…タケノコの先端部分あるじゃないですか。“ちょん”っていう。ああいう風に若者が尖っていたからだと思います。まあ、でも何にしろすごいださいネーミングだな、なんて思ってしまいますね。
兵藤:ちょっとね…。
坊薗:だから、調べてよ。あなたたちは正しい答えはいらないってことだよね。
兵藤:妄想していたい、ってのはあるね。
島村:(調べる)ああああ、全然ちがった。坊薗さんの意見は凄い鋭かったんですけど、もっと単純な話でした。原宿の「ブティックたけのこ」で売られていた衣装を着ていたからだそうです。
全員:へぇー…
全員:…
兵藤:全然、面白くないね…。
坊薗:私、何でそう思ってたんだろう…。
島村:いや、坊薗さんの意見はすごく合理的でしたよ!
兵藤:えっ、なんて言ったんだっけ坊薗さん。
島村:ええっ?覚えてないんですか?
兵藤:私ね、脳細胞が、どんどん生まれてはね、死んで行くの。
坊薗:そうみたいだね。
兵藤:ま、それはいいとして。Oさん、島村くん。今日はよろしくお願いします。
島村/ O:よろしくお願いします。
兵藤:さて、今日は島村くんとOさんが持ってきてくださったテキストを使ってワークショップをするんだけど、その前に2人のヒストリーを教えてください。これまでの経験やどんな演技体験をしてきたかもお聞きしたいです。その過程を経て今どんな意識を持っているかもわかると嬉しいな。

ある演出家へのアンチからはじまった演劇


「僕の方が面白い演劇が作れる!(島村)」

島村:それでは僕から話していきます。
兵藤:そうですね。お願いします。
島村:自分は大学生になって演劇を始めました。入学当初は演劇制作をするつもりはなかったんですけど、授業の一環である劇団の作品を観て、なんだか全然ピンと来なくて。当時大学1年生だったから、その演出家がどんな存在感なのかとか、ひととなりを何も知らなかったので作品を観た印象だけで「なんかむかつくな」みたいに感じていて。そしたら学校にその演出家が授業のゲストで来たんですよ。そのとき「おもしろくなかったです」ってその理由もつけて言ったんですけど、全然会話がはずまなくって…。
兵藤:えっ、その演出家に直接言ったの?
島村:言いました。
兵藤:それはすごく面白いね。その演出家はどんな感じだった?
島村:「面白くないか、うーんまぁしょうがないかぁー」みたいな感じでした。僕の意見は支離滅裂で、意味が分らなかったんだと思います。論議に発展する余地もなかったようでした。当時なんて言ったか細かくは覚えてないんですけど、笑いのセンスだったり、引用、モチーフの扱い方にちょっと違和感を感じたということを言っていたと思います。でも端的に言うと「僕の方が面白い作品が作れる」ってことを言いたかったのかもしれません(笑)。恥ずかしいです。
兵藤:その演出家へのアンチから始まったってことですね。2人は同じ大学の演劇科?
島村:そうですね。正式には多摩美術大学映像演劇科の同級生です。僕たちの学校は60年代の芸術、寺山修二や当時のアングラ劇団、映像だと物語というよりは芸術としての映像史をたどる授業が多かったんですよ。そのなかで教わったことは、作品を作るうえで必要なパッションに関することが多かったです。
兵藤:寺山、唐十郎、赤テントみたいな。それ凄いですね。だって、あなたたちが大学生ってことは2000年代にはいっていたでしょう?
島村:2008年です。
兵藤:2008年でそのパッションを教わっていたんだ。
島村:今はその校風も変わってしまったかもしれないですけど、少なくとも僕たちの時は創作に対する姿勢を問われていた気がします。
兵藤:みんな俳優になりたくて入ってくるんですか?
島村:俳優養成に関しては、むしろウェイトは軽目でした。
兵藤:「演劇とはなにか」とか「概論」みたいなものに興味をもっている人が多かったんですかね。授業は講義の方が多かったんですか?発声とか、稽古着に着替えて実技をやる授業はあったんでしょうか?
O:俳優座の演出家が先生で、週1ペースで演技の実践的な授業がありました。
島村:映像演劇学科は演劇以外にも映像とか写真とか、色々な媒体を横断的に学べる学科だったので。演劇にだけ注力している学校ではそもそもないんです。

「映画が好きだから俳優を続けられる。俳優側で映画に参加していたかった(Oさん)」

O:わたしは学校に、映画の制作側、つまりスタッフ側になりたくて入学しました。だから出る側になろうとは全然考えてなかったんです。
兵藤:それがどうして、役者に?
O:大学1年生の時、気持ち的に制作側として挫折した時期があって。あくまで自分の中だけでなんですけど。そういったときに島村君から演劇に出演してくれないかって誘われました。

そのときは、役者ってどういうことをするのか全然わからくて、言われたことをやるのが役者なのかなと。まだ付き合いが浅い学校の人たちと仲良くなる良い機会だし、面白そうだなという気持ちでOKしました。そんな気持ちでいたから稽古では「お前もっとまじめにやれ」って怒られたりもしましたね。
島村:Oさんは当時、すごくオタクっぽい雰囲気を出してて。授業中に、突然奇声をあげたり。
坊薗:大丈夫だったんですか、それ。
O:(笑)
島村:美術学校だったので変わっている人は多くいたんですけど、Oさんはなかでも振りきれるところが人一倍あって。

北野武が「俳優は振り子と同じだ、私生活で振りきれてると、反動で演技も大きく振り切れるんだ」って雑誌かなにかでいってたんですけど。Oさんを観ていたらそれを思い出して。この人、声も性格も変わっているから面白いだろうって声をかけました。

Oさんにとっては初めての演劇体験だったと思うんですけど、僕も初めての演劇制作でした。完全に我流で、脚本書いて、演出して。ただただ、あの演出家には負けないぞ!って気持ちでした。
兵藤:どうでしたか?
島村:評判は良かったと思います。少なくとも、僕は作品を完成させられたことが嬉しかったです。そしたら大学の教授に「あんまり演劇のこと分ってないのに、トリッキーなことやるなよ」ということを遠まわしに言われてしまい。それがカチンときて。

じゃあ、伝統的な演劇というか新劇みたいなものも、好みではないけど学んでみようと。二年生からはコースを選択できるので新劇スタイルの俳優養成コースに入りました。

教授たちに言われたことが確かになぁとも思ったんで。原点みたいなのを知ってから自分の作りたいものを作ろうって。
O:私は島村君にくっついていった方が楽しいことがあるって思って同じコースに行きました。このコースは年に2回発表があって、毎回生徒を全員出演させるというルールがあったのですが、その年は女子学生が12人もいて。男子学生は島村君入れて3人でした。
島村:そのコースには高校生の頃から演劇をやっている人が多かったんですよね。多分、新劇系のコースに入ってちゃんと演技を学びたいという人が多かったのだと思います。
兵藤:授業では何のテキストを上演したの?
島村:リリアン・ヘルマンの『子供の時間』です。
兵藤:『子供の時間』!渋いですね!海外戯曲だったんだ。
O:他には泉鏡花の『天守物語』のリーディング公演がありました。
兵藤:「天守物語」って登場人物少なくないですか?
O:ですね。だから私、セリフ二言でした。島村君は別に出演したいわけではないのに、男子が少ないからってことで主要人物に選ばれていましたよ。
島村:僕はその時期、着々とストレスを溜めていってまして。先生はすごく優しくて、生徒のこころの成長を見守りながら、俳優が演技をどう構築していくのか一歩一歩教えてくれる方だったんですけど。僕は“新劇”というスタイルそのものにストレスを感じていて。例えば、なんで純日本人の僕が外国人の名前で呼ばれてんだろうとか。ウィスキー片手に「どうだい?マーサ?」とか言う台詞があったりして。
兵藤:根源的な存在の疑問を持つという。わかりますよ。
O:島村くんがストレスを抱えてるころ、私はぼーっと1年を過ごしてました。幸い?台詞はひとことふたことだから簡単にやり過ごせちゃう。先生が好きだったから続けていけたんでしょうね。相性が良かったんですよね。
兵藤:そこで役者ってやっぱいいかもって思ったんだ。
O:別に思ってないですね。ただ、やっぱり映画が好きだから俳優を続けられるってのはあります。今更もう諦めるのは遅いし。スタッフの人を見ていると今から勉強してカメラのことがわかるようになってというガッツは自分にはないなと感じるんです。だから俳優側で映画に関わっていくのが一番いいんじゃないかなって思うんです。

僕はもうダメだ…


「スタイルばっかり気にして勝手に潰れちゃいました。頭が筋肉になってたんですよ(島村)」

島村:ストレスを抱えてたそういう時期に劇団「地点」(主催:三浦基)とか「チェルフィッチュ」(主催:岡田利規)を観て「めちゃめちゃ面白い。こういうのがやりたい!!」と。感化されまくってました。
兵藤:なるほどね。その後も2人は新劇のコースだったんですか?
島村:いや、2年生の時の1年間だけです。1年ごとにコースを変えられるんです。なので、3年生になって自分たちで自由に創作できるコースを選択しました。
兵藤:新劇はもうわかった、と。
島村:わかったとかじゃないんですけど、やっぱり生理的にここじゃないなって感じていて。それからは自由に創作できるコースで、Oさんとかほかの友達たちを4人ほどひきつれて劇団を作りました。授業では前期と後期で2回作品を作るチャンスがありました。

そのときの僕はもう性格がねじれに、ねじれていたので授業初めからすごく反発的な姿勢でいて。「おれたちが一番面白いことを考えている」といううぬぼれがあったんでしょうね。来るものすべて切りまくてったんです。そしたら友達がいなくなっちゃって。

特に、後輩は誰もついて来なくなっちゃって。先輩とかからにも、あいつらキモいし、意味がわかんないみたいに言われたり。だから余計、ねじれた性格は更に歪んで、できるだけ難しい言葉をつかって『ああ、そういうシステム知らない?こういう技法があるんだけど、あっ知らない?』みたいなこと言って反撃していて…本当に感じが悪かったと思います。
兵藤:それはかなり尖ってましたね。
島村:一緒にされたくないというのがあったんです。僕たちの学校は『芸術』を創る場所だと考えていたので「いわゆる演劇」を創ろうとしている人に凄く厳しい視線でいました。もっと苦悩しなくちゃだめだろう!って。

そのときに劇作家/演出家の太田省吾さんの『水の駅』を観て、これだ!って感化されて。『水の駅』は沈黙劇と呼ばれ台詞が一言もないんですけど、じゃあこれの逆のこと、まったく動かずに言葉だけで物語を作っていこうぜって。

この作品が評判良くて。有頂天ですよ。有頂天のまま、4年生になって自主公演をどんどんやるようになったんです。
O:授業後とかに教室を借りて発表してました。
島村:僕たちの作品は演劇好きにはあまり評判が良くなくて、そもそも演劇友達はあまりいなかったんですけど…。どちらかといえば、演劇コース外の人や教授に人気でした。見ごたえがあると言われて、さらに有頂天になってましたね。それで、卒業制作発表で、でかい花火を打ちあげようという話になったんです。
兵藤:スコットみたいだね。
坊薗:気持ちの話だよ。スコットは本当に花火打ち上げてたけど。
兵藤:ああ、比喩としてね。花火を打ち上げたい気持ちだったと。
島村:そうです。ただ、僕がですね、その頃からだんだん頭が筋肉になってきてしまい…。「どんな理屈込めて方法を作ろう」とか、「だれも作ったことのないような新しいことをしよう」とか考えていたら、どんどんつぶれてきちゃいました。
兵藤:つぶれてきちゃったんだ。
島村:そしたら劇団の空気も悪くなってきちゃって。
兵藤:マッチョになるとそうなっちゃうよね。島村君の絶対王制みたいになってたんだね。カルトっぽいというか。
坊薗:今の島村君からは考えられないね。
O:島村君はどんなに忙しくても全部自分で決めたいってタイプでした。その影響で、私、いまでも自主性が足りないんですよね。島村君と一緒になんかやる、みたいなことでしかなかったから。
兵藤:卒業制作では花火は打ち上がったんですか?
島村:一応、賞を頂いたりしたんですけど、僕たちの中では花火は打ち上がらなかったんです。卒業制作くらいから自分が考えていることが言語化できなくなってきて、理想だけを追いかけているみたいになっていました。
兵藤:かすみをつかんでいるみたいな
島村:そうですね。やりたいことが漠然としているから言葉にできない。劇団のみんなにも共有できないから、温度差もできていって、みんなに怒りが向っていく。それで一回劇団を解散しようと。
兵藤:そもそも、島村君の稽古はみんなで立ち上げるってかたちだったの?
O:基本的には新しいことを知ったら、みんなで共有するということをしていました。
島村:大それたことではなかったんですけど、みんなで地点の歩き方とか声の抑揚をやってみようとか。そうやってワークショップをしながらオリジナルなものを探そうとしてましたね。
兵藤:クリエイティブですね。聞く限りではかなりアーティスティックな集団だったんですね。
島村:それは自認してました。「俺らのやってること演劇って言わないで」とか言ってました…。
兵藤:演劇って本来はそうなんだと思います。そこにいる人たちが圧倒的に何かを共有してて。何かをやりたくて、俺たちは世の中をこうみるぜ。という行為。新劇だって、そもそもそうだったと思います。ただ、スタイルっぽくなりすぎて、かたちだけが残っていったと思う。いい声でしゃべってお客にお尻をむけない。というとこだけが切り取られてしまった。形骸化ですよね。

「俳優の演技を仕上げきることができない。素の状態が見えていてもOKを出してしまう(島村)」

兵藤:卒業してからは何をしていたんですか。
O:私はほそぼそと知り合いの映画にで出演していたりしてましたね。
島村:本当は劇団を継続していきたかったんですよ。ただ、当時は劇団独自の方法論を確立していないと生き残れないって信じきっていて。表現そっちのけで頭のなかだけで物事を考えていて…。そんな時に別の現場で知り合った坊薗さんから、「島村君もっと勉強した方がいいよ」と言われ、おっしゃる通りだと。
坊薗:そんな偉そうな言い方してませんよ。色んなやり方があるよってことは言いました。
島村:とにかく、稽古場みるといいよって色々な劇団を紹介してもらって。「五反田団」、「わっしょいハウス」、「シンクロ少女」など。そこで、クリエーションの場ってこんなに色々あるんだって知りました。

稽古はじめにみんな寝転がってなんか面白いことあった?みたいな雑談からそのままの雰囲気で稽古する劇団があったり。カルチャーショックでした。灰皿投げてなんぼみたいに思ってたので。それぐらいマッチョな考え方で演劇をしてたんだなと。
O:島村君は常に難しいこと考えて大変なんだろうなというのはありました。
島村:当時はもじゃもじゃしてましたね。
兵藤:でも、大事です。もじゃもじゃ時期。
島村:ただ、僕は今でもそのリハビリ期間です。方法論に固執する考え方をしない、純粋な表現を模索しています。最近になって『情熱のフラミンゴ』というユニットをOさんともう一人女優と一緒に結成しました。ダンスパーティーとか映画イベントのあとに演劇発表しています。場所は劇場に限らないで、とにかくチャンスがあればどこでも発表していきたいと思っています。
兵藤:なるほど。リハビリ期間中ということはまだ気持ちははっきりはしていないけど、とにかく活動は始動したという。Oさんも一緒に。
島村:はい。それで今の僕の課題は、俳優の演技を完成させることができないというものです。役者が素の状態でもOKをだしちゃうというか。
坊薗:実際の役者と役の差異について説明したりすることができないってことかしら。
兵藤:それは演出家としてのボキャブラリってこと?
島村:どうやったら俳優の演技を仕上げられるのかがわからないんです。いままで偶然に“演技”が成立したことはあっても、導くことができたという実感がないんです。
坊薗:成功体験を実感してないのね。
島村:そうですね…。

島村の課題が明かされたところでPart1は終了。

Part 2では、演出家が俳優へ渡すべきイメージについて。兵藤さんが島村の悩みに答える!
採録:坊薗初菜
写真:島村和秀
構成:坊薗初菜、島村和秀、兵藤公美
『不動の兵藤教室』
俳優・兵藤公美(青年団)が主催する少人数制の俳優ワークショップ。それぞれ参加した俳優の形に合わせた「演技術」の養成を行う。演技上の悩み解決から、台本を使った演技指導、新たな演技方法の模索など、様々なアプローチで俳優の自立をサポートする。『不動の兵藤教室』の内容は「そことここ」の特別企画として、不定期に連載。
講師:兵藤公美
サポート・解説:坊薗初菜
問い合わせ先:hudou.hyoudou@gmail.com
  • 『兵藤公美(ひょうどう・くみ)』
    俳優。桐朋学園大学短期大学部専攻科演劇専攻卒業。1996年平田オリザ主宰の劇団青年団に入団。主な青年団の出演作品に『ソウル市民』ソウル市民恋愛二重奏』『東京ノート』『カガクするココロ』がある。客演としては「五反田団」、「サンプル」などに出演。近年では青年団国際交流プロジェクトでフランス劇文学賞大賞を受賞したパスカル・ランベール脚本・演出「愛のおわり」に出演。映画では深田晃司監督作品『歓待』、篠崎誠監督作品『SHARING』に出演。洗足学園音楽大学ミュージカルコース講師、映画美学校アクターズコース講師など演技講師としても活動している。