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映画の未来をいち早く
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♯50「映画と私」ブライアリー・ロング(女優)

「映画とあなた」のあいだにある物語を知りたい。幼少期の記憶から映画との現在まで。

-それぞれの国の文化に素早く適応出来る力が自然と身についていた-

私は、ワシントンDCで生まれました。当時、両親が米国国際開発庁(USAID)で働いていて、ボスニア紛争の影響で、両親はそこで仕事をしていました。さすがに子供を戦争中の国に連れては行けないから、両親は行き来していて、両親がいない間はドイツ人の方が面倒を見てくれていたんです。彼女はとても良くしてくれて、おかげでドイツ語も覚えました。8歳の時には、今度は両親がNPOの仕事でベトナムに引っ越し、その後ボスニアに、13歳の時にはフランスに移住して、高校の3年間はイギリス・ロンドンにいました。
父は環境問題を担当していて、母は医療や移民問題を担当していたんです。両親は、責任ある大変な仕事をしていましたが、なるべく家族で過ごせる時間を作ってくれていました。色んな国で生活してきましたが、寂しい思いはしませんでした。むしろ、それぞれの国の文化に素早く適応出来る力が自然と身についていた気がします。友達も次第に早く作れるようになりました。勉強する事がとても好きだったので、学校の授業が終わった後も文学や言語の勉強はしていました。
それと、バレエをベトナムにいた頃からやり続けていました。演劇をやりたいと両親に言った事もあるんですが、ベトナムのハノイに子供向けの演劇スクールが無くて、バレエも舞台に立てるからという事で習わせてくれたんです。ベトナム国内で15人くらいの女の子たちが選ばれる国立のカンパニーに入っていて、そこでバレエの他にベトナム舞踊やタップダンス、ジャズダンスも習っていました。当時私は、周りの子と比べてすごく背が高くて、金髪だし結構目立ってしまうんですね。なので、公演がある時に主役しか出来ないという苦労がありました。主役の時にしか舞台に立てなかったんです。ボスニアでは、オペラ座でバレエの研修を受けていたんですけど、その時から本格的に舞台に立つ仕事をやりたいと思うようになって、中学、高校はダンスを夢中でやっていました。演劇の台本は、その間も好きでずっと読んでいたんですね。演劇をやり始めるのは大学に入ってからでした。

-本を読んで想像するのとは違った生々しさが映画にはある-

映画は、両親が家でテレビを見ない生活をしていたので、家で映画を観る事はあまりなかったです。ベトナムにいた時は、ベトナムの子供向けの英語教育のテレビ番組に出演していた事があったのですが、家にテレビが無いから一回も自分が出ているのを見た事がありませんでした(笑)。なので、小さい頃は映像にあまり関心がなく、本を読む事が好きでした。でも、高校の時に仲の良い友達が映画館でアルバイトをしていて、その子の影響で映画を色々観るようになりました。紹介してくれた映画は、『第三の男』(監督:キャロル・リード/1949)や、ヒッチコッックの映画など白黒の昔の映画が多かったです。その子がバイトしていた映画館はよくフランス映画を上映していたので、フランソワ・オゾンの『8人の女たち』(2002)を観た記憶があります。
あと、当時観た映画で印象的だったのが、『ヨーロッパ』(監督:ラース・フォン・トリアー/1991)ですね。最初のシーンで、電車の走る音が凄く緊張感をもたせるんです。恐怖心を煽るイメージカットも印象深いです。カット自体はシンプルな仕組みだったりするんですけど、緊張感の作り方が素晴らしいんですよ。第二次世界大戦を描いた映画は色々あると思うのですが、善と悪の境界線が曖昧で、人間の複雑さにしっかり目を向けている作品だと思いました。本を読んで想像するのとは違った生々しさが映画にはあると感じました。
それは、『シンドラーのリスト』(監督:スティーブン・スピルバーグ/1993)や『第三の男』でも思った事です。他の女子高生が観るようなアメリカ映画はあまり見ていませんでした。でも、当時小学生だった私の妹は、テレビが無くてもパソコンで「Netflix」がある事に気付いて、両親が知らない内に妹は沢山映画を観ていたんです。役者をやりたいって私が家族に言い始めた時に、妹に「でもお姉ちゃん、全然映画観てないじゃん」って言われました(笑)。

-劇団青年団主宰 平田オリザさん、深田晃司監督との出会い-

オックスフォード大学に入ってからは、日本の古典文学を専攻していました。卒業論文は日本の現代演劇について書きました。3年生の夏に実際に日本に来て、イギリス人の演出家の演出助手として、俳優座劇場でシェイクスピアの作品に関わっていて、その間に色んな日本の現代演劇を観て、そうした中で劇団青年団を主宰する平田オリザさんとも知り合ったんです。演劇評論家の扇田昭彦氏のアドバイスを受けて、日本の現代演劇にとても大きな影響を与えた、平田オリザさんと野田秀樹さんについて卒業論文を書きたいと思いました。イギリスに戻って大学の勉強を続けながら、舞台を記録したDVDを観たり、インタビュー記事を読んだりして卒論を書き上げました。そして大学を卒業したら東京で演劇の仕事をしたいと考えるようになりました。その時に青年団の新人募集があったので応募して、そして大学卒業してすぐに青年団に入るため日本へ引っ越しました。
その頃ちょうど、深田晃司監督が映画『歓待』(2011)の準備に入っている頃で、作品の中の外国人役を探していたんです。深田さんは青年団に入る外国人の子がいる事を知って、私が日本に来る直前に深田さんから「日本に来たら、良かったらオーディションを受けてみませんか?」という連絡を頂きました。飛行機の中で『歓待』の脚本を読んで、すごく面白いと思ったんです。それで、東京に着いてすぐに深田さんにお会いしました。オーディションに受かって、日本に来て一ヶ月も経っていない内に人生初の映画に出演する機会を与えられました。舞台役者をやるために日本に来たんですけど、一番最初に関わった作品がなぜか映画だった訳です(笑)。撮影があまりにも楽しくて、映画の魅力を知りました。そのお陰で映像にも出たいと思えるようになりました。
映画の撮影のすぐ後に、『さようなら』の舞台版で世界各地に公演があったんです。2年近くは旅公演していたのと、他にも青年団の公演や外部での客演、演劇を年に4、5本くらいやっていたので、映像で携わったのは『あおヒゲ』(監督:後関広/2011)という短編映画と山内健司さんが作るCMくらいでした。

-初めての大きな舞台-

『さようなら』の舞台版は、私が青年団に入る直前にオリザさんは既にアンドロイド開発者の石黒浩先生と、アンドロイドで演劇を作るという話し合いをしていました。すごく実験的で、短い時間の作品です。オリザさんの発想は、アンドロイドロボットに詩を読ませたら面白いという事だったみたいです。どうせなら色んな言語の詩を取り入れたら面白いから、外国人で色んな言語を喋れる女優に出てもらおうと考えていたようです。海外でも公演する事も事前に想定していて、結果的に日本語、ドイツ語、フランス語、英語の4ヶ国語で出演させて頂きました。
舞台の芝居は、大学時代も少しはやっていたんですけど、『さようなら』ではいきなり大きな舞台に立たせてもらえて、初めての経験ばかりでした。劇団の中でのルールや、日本での仕事の進め方など、分かっていない事が多かったんです。仕込みとかバラしといったスタッフの仕事も役者が協力してやるんですが、自分はあまり役に立てず迷惑を掛けていたと思います。そういった慣れない事もあって、ストレスが溜まっていく事もありました。それについてオリザさんに相談した時は、「違う文化から来た人が、すぐに全部わかるはずがないよ」と、寛大な気持ちで接してくれました。それからは、間に入ってくれて、「こういう風にしなければいけないんですよ」って丁寧に説明してくれていましたね。
深田晃司監督は、2010年11月の東京での『さようなら』の舞台を観ていて、これは是非映画化したいと思ったみたいです。2012年に企画書を、平田オリザさんと石黒浩先生に深田さんが見せて、映画化の許可を得てすぐに、私に出演オファーの連絡をくれたんです。舞台と映画とでは、私の芝居はちょっと違います。舞台の時は、私にとって初めての舞台だった事もあって、少し硬かったと思います。でも、それがロボットに近い見え方で効果的だったみたいでした。オリザさんは役者の演技のレベル関係なく、その人が持っている素材を使って作品に活かしてくれるんです。その時は、どっちがロボットで、どっちが人間かが分からない様な見え方を目指していたのではないでしょうか。深田さんは、そういった要素に緊張感を感じたのと、作品全体の死の匂いをすごく感じて、魅了されたようです。

-「映画は偶然の積み重ねで、その時のベストで出来ているもの」-

深田さんが描く『さようなら』の方では、もう少し人間らしい自然体なお芝居をしました。それは、映画の尺が2時間あって舞台よりずっと長いので、色んな表情であったり、芝居のバリュエーションが必要になるからですね。舞台にはない事として、映画での私の役は難民という設定でして、私のお母さんは難民問題に仕事で関わっていて、子供の頃から難民キャンプでの体験談などをたくさん聞いていました。そういった点で、共感する人物像でもありました。役作りとしては、子供の頃から両親がいなくてロボットとずっと暮らしている女性ですので、愛情表現が貧しく、孤独で、独立している女性のイメージで演じていました。
私は普段からどちらかというと完璧主義者で、何でも予定通りこなしたい気持ちがあるんですが、映画の現場では色々な偶然が重なっていくもので、理想的な状況ではなかなかやれない所もあります。深田さんに、「映画は偶然の積み重ねで、その時のベストで出来ているものだよ」と説明されて納得した事がありました。撮影の途中からは、偶然の産物も含めて、より撮影を楽しめるようになりました。

-国籍関係なく、その国に住んでいる人間として役を演じたい-

『さようなら』の撮影前は、NHK BSドラマ「徒歩7分」(脚本:前田司郎)と、撮影後にWOWOWの連続ドラマW「夢を与える」(監督:犬童一心/原作:綿矢りさ)やNescafeのウェブムービー「踊る大宣伝会議」Season 2(総監督:本広克行)に出演させて頂きました。監督さんによって、撮り方が全然違うというのを実感しました。深田監督は偶然を取り入れる監督で、役者にまず一回自由に動いてもらって、それをある程度採用されるんです。犬童監督は画を細かく決めていく方で、役者の立ち位置や物が置いてある角度などを計算した上で、イメージ通りに撮っている印象がありました。「夢を与える」では、掃除しているシーンの時に掃除の仕方を犬童監督が指導してくれたんです。「それでは、掃除に見えない。ただ汚れを広げているだけだよ」って言われました(笑)。
日本に来て事務所に入る時に、あえて外国人の事務所を選ばなかったのは、映像の依頼が再現ドラマやバラエティに偏ってしまうと思ったからなんです。外国人タレントというイメージは付けたくなかったんですよ。日本の劇団の中で頑張って、日本人の役者と同じ所で活躍したいと思っています。ちゃんと日本語で演技が出来た上で、役者として認知されたいです。今後は、勿論日本だけではなく、世界基準で良い作品に出会えるように演技を磨いていきたいと考えています。どの国に行っても国籍関係なく、その国に住んでいる人間としてキャスティングしてもらえるようになりたいです。

ブライアリー・ロング主演作品『さようなら』(監督:深田晃司)

11月21日(土)新宿武蔵野館他 全国ロードショー!

■第28回 東京国際映画祭 コンペティション部門作品『さようなら』上映スケジュール
10/24 17:20 -(TOHOシネマズ 六本木ヒルズ SCREEN7)

登壇ゲスト(予定): 舞台挨拶:Q&A:深田晃司(監督)、ブライアリー・ロング(女優)、石黒浩(アンドロイドアドバイザー)、ジェミノイドF(女優)
10/27 10:20 - (TOHOシネマズ 六本木ヒルズ SCREEN1)

登壇ゲスト(予定): Q&A: 深田晃司(監督)、ブライアリー・ロング(女優)
10/28 13:50 -(新宿バルト9 シアター3)

登壇ゲスト(予定): Q&A: 深田晃司(監督)、ブライアリー・ロング(女優)
■東京国際映画祭2015 公式サイト
http://2015.tiff-jp.net/ja/lineup/works.php?id=27
■『さようなら』公式サイト
http://sayonara-movie.com
■『さようなら』公式Facebook
https://www.facebook.com/sayonara.movie
■《ブライアリー・ロング出演舞台》リクウズルーム「アマルガム手帖+」
2016年1月8日[金] - 1月13日[水]
作・演出:佐々木透
出演:タカハシカナコ、榊原 毅、ブライアリー・ロング(青年団)、SEI、西田夏奈子、西尾佳織(鳥公園)
http://www.komaba-agora.com/play/2200
■《ブライアリー・ロング出演舞台》アトリエ春風舎 青年団リンク 玉田企画 「怪童がゆく」
2016年1月15日[金] - 1月24日[日]
作・演出:玉田真也
取材・構成・写真: 川邊崇広
『さようなら』
脚本・監督:深田晃司(「歓待」「ほとりの朔子」)

原作:平田オリザ アンドロイドアドバイザー:石黒浩

出演:ブライアリー・ロング、新井浩文、ジェミノイドF、村田牧子、村上虹郎、木引優子

配給・宣伝:ファントム・フィルム

(C) 2015 「さようなら」製作委員会
ストーリー:日本で稼働する原子力発電施設の爆発によって放射能に侵された近未来の日本。日本の国土の大半が深刻な放射能汚染に晒され、政府は「棄国」を宣言した。各国と提携して敷かれた計画的避難体制のもと国民は、国外へと次々と避難していく。その光景をよそに、避難優先順位下位の為に取り残された外国人の難民、ターニャ。そして幼いころから病弱な彼女をサポートするアンドロイド、レオナ。彼女たちのもとを過ぎていく多くの人々。そしてそれぞれの生と死。やがて、ほとんどの人々が消えていく中、遂にターニャとレオナは最期の時を迎えることになる・・・・・。
  • 『ブライアリー・ロング』
    1988年生まれ、アメリカ・ワシントンD.C.出身。ジュネーブ・ダンス・センター(スイス)や、マース・カニングハム・ダンス・プログラム(米・ニューヨーク)でダンサーとして訓練を受けた後、2006年にオックスフォード大学(イギリス)の日本語学部に入学、振付家・演出家としての活動を始める。2010年7月に大学を首席で卒業後、俳優として青年団に入団。主な出演作品は、映画『歓待』『あおヒゲ』、CM『コンコルド「心にコンコルドを」』、舞台『ロボット演劇「さようなら」』『青年団若手公演「バルカン動物園」』『TPAM「さようなら」』など。2011年には青年団若手自主企画として、アトリエ春風舎で行われた『川と出会い』(深田晃司監督、ニューヨークの作曲家のUrsula Kwong Brown、ロンドンのバレリーナLucy Ashe、京都のコンテンポラリーダンサーの京極朋彦と青年団の役者との共同作品)の演出と振り付けを行った。