LOAD SHOW

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♯31「映画と私」池田千尋(映画監督)

「ようやく自分のことを映画監督と言えるようになった気がします。」

池田千尋です。フリーでの活動が軌道に乗り始めた最近になって、ようやく自分のことを映画監督と言えるようになった気がします。というのも、“映画監督”と名乗っていいのは映画を撮っている時だけだと考えていたんです。
直近の予定としては、9月20日からK’s cinemaで総監督、プロデュースを務めた『ミスターホーム』という作品が公開になります。現在進行形の企画としては、「全力映画」というワークショップを通じての映画制作に入ったところで、先日ワークショップの2日目が終了したところです。『ミスターホーム』を監督してみて、ワークショップを経ての映画制作に対して難しいなと感じる部分が多々あったので、「全力映画」に参加するかどうかは悩んでもいたのですが、今回プロデューサーの前田紘孝さんとご一緒出来るというお話でしたし、ちょうど作りたい作品もありましたから、参加をさせていただくことに決めました。
今年の4月と7月に浮間ベースという劇場で『東京の空』、『東京の歌』(『東京の空』からの派生作品』)という演劇作品を上演したのですが、さらにそこから派生した『東京の日』という作品の構想を持っていて、それはなんとなく演劇ではなく“映画”でやろうって考えていたところだったんです。ちなみにこの“東京シリーズ”の最初の作品『東京の空』は、カレーが評判のカフェを経営している30代の女性のお話です。彼女が生きてきた人生の中にあった愛すること、愛されること、そして料理することに向き合い、受け入れていくといった内容になっています。『東京の歌』という作品は『東京の空』で描いた、カフェで働く中村くんという人物が主人公となり、”忘れられない恋人”の喪失を受け入れ、きちんとひとりになるまでの物語なんですが、これから制作する映画『東京の日』は、『東京の空』に出てきたカフェのもうひとりの従業員“本田くん”のお話で、人を愛するとはどういうことかというもっと根源的な話になると思います。

「自分の意図とは別なところで、何かが生まれていくこと。」

私の実家は静岡県の浅羽町(現・袋井市)という、駅もなく、映画館もない田舎町でしたが、小さな頃から母親が絵画鑑賞、「こども劇場」というお芝居や、映画を観に連れ出してくれていました。その頃に観た映画で印象的に覚えているのは伊藤俊也監督の『風の又三郎—ガラスのマント―』(89)という作品です。こども向け映画として売り出されていたんですけど、完全にトラウマ映画で(笑)。あとは、「赤毛のアン」のシリーズもよく覚えています。
映画をよく観るようになったのは我が家に「WOWOW」が入ってからでした。たしか中学生のとき。今まで“映画”だと思っていたものと全く違う映画がたくさん放映されていて、こんなのもあるんだ!って夢中になって。そうしたタイミングで、“レオス・カラックス”や“寺山修司”の作品なんかを観るようになりましたから、私は劇場よりも「WOWOW」で知った作品が多いですね。
こども時代、私はいつも発散する場所を探していました。喋るのが苦手だったというのもあり、自分の中にあるものをどうやって外に出して良いかわからなくて、歌をうたったり、文章を書いてみたり色々試していたんですがどれもしっくりこなくて。でも、中学2年の時にクシシュトフ・キェシロフスキ監督『トリコロール/青の愛』(94)を観て、「映画は言葉じゃない何かで伝えられるものだ、多分これ、私できる!」って直感したんですよ。何にも分っていないからこそ思えたことだとは思うんですけど(笑)。
その後入学した高校に映像文化部という部員が4人しかいない部活があって、そこにはカメラが1台あったので、映画を作れるなと思って入部をしました。その部では今まで誰も映画を撮った人はいなかったらしいんですけど、「私撮りたいのでやります!」って、脚本書いて、部活以外の子も誘って、高校2年生の夏休みに初めて映画を撮りました。ある女子高生の友情と別れを描いた映画なんですけど、それから勢いでもう1本作って、高校3年生の文化祭で上映したんです。そしたら観た人がすごい良かったと言ってくれて、他にも「自分も映像文化部に入って映画を撮りたい」って人も出てきたりして。自分の意図とは別のところで、何かが生まれていく。私はただ自分の想いをぶつけただけなのに、それをこんなふうに感じ取られて、何かが生まれていくということに感動して……。その時から、映画を作るということを一生していきたいと考えるようになりました。

「これこそが映画なんだと気がつけた、映画美学校時代。」

大学は早稲田大学に入学をしました。自分の性格は猪突猛進なところがあるので、映画だけを専攻できる学校に行ってしまうと映画以外を学ばなくなると思って。大学では映画サークルに入り、映画を作り始めました。しかし、いざ映画制作をしていくと、自分ひとりで全て請け負わなければならない中での制作能力の低さにとてもしんどくなってしまったんです。サークルの世界が狭い感じも苦手で……。そんなときに映画館で映画美学校のチラシを見つけたんです。監督に選ばれて作品を作れたらユーロスペースで上映してもらえると知って、「ここで撮ろう!」って、入学をしました。
映画美学校には、瀬田なつきさん(映画監督)や杉田協士さん(映画監督)、保坂大輔さん(映画監督・脚本家)と同級生にすごく才能のある方が揃っていて、ヤバイ!と危機感をおぼえつつも、たくさんのことを教わりました。映画美学校に入学する以前の私は、自分がカメラをおいた場所が一番良いって決め込んでいて、人とも仲良くしなかったし、みんな私の考えてることをわかってくれないっていう、意地っ張りだったんですよ(笑)。でも、映画美学校の場合はちゃんとスタッフィングして役割を分割して映画を作らなければならない。それが私にはとても貴重な経験になったんです。特に、保坂大輔さんに撮影をしてもらえたことが私にはすごく大きかったです。私が持っていたイメージ以上のことを提案してくれて、より大きなものが生まれていく手応えを感じました。独りだと狭くなる可能性が、人が集まるとそれぞれのイメージがぶつかって喧嘩したりしながらも、新たに生まれて大きくなっていく。これこそが映画なんだってやっと気がついたんです。

モノローグ映画/ダイアログ映画

映画美学校修了制作作品の『人コロシの穴』(02)が、03年カンヌ国際映画祭シネフォンダシオン部門に出品されたあとは、しばらく抜け殻になっていました。ちょうど学校を卒業したタイミングで、映画を作っていきたいと両親に謝ってフリーターをしていたんですけど、その一年間はただただアルバイトをしていて。
その間はずっと自分という人間と映画について考えていました。というのも、美学校で『人コロシの穴』の賛否がわかれて、結構叩かれたりもしたんです。モノローグ映画を卒業してダイアログ映画を撮れと言われて……。それって何なんだろう?ってずっと考えていました。それで、悩んだ末に思い切って映画の現場に入ることに決めたんです。私は現場に向いていないってわかってたんですけど、このまま悩んでるだけだったら死んじゃうって思って(笑)。
結局、1年弱現場で助監督をしました。当時の私は本当にダメダメ助監督で、毎度のように怒鳴られながら必死にやっていました。そこで、監督は現場でどう振る舞うものなのかっていうことが少しだけわかった気がします。私はフォースの助監督だったんですけど、そろそろサードにというタイミングで、私の作品を観てくださっていたあるプロデューサーの方に「お前は助監督やってたら一生監督になれないぞ、辞めろ」って明確に言われて。体力的に限界がきていたというのもありましたし、ちょうどその頃、東京藝術大学大学院映像研究科の募集が始まっていたんです。「なにをするかわからないけれど、映画を撮りたい」って思いで志望をしました。
藝大では2年間の間に何本も映画を撮らせて貰ったのですが、入学して一本目に撮った映画がちゃんとダイアログ映画になっていたんですよね、いつのまにか。不思議だなあと感じました。成長していたみたいです(笑)。藝大を卒業してすぐに『東南角部屋二階の女』(08)を監督することが決まりました。卒業制作で撮った『兎のダンス』を観てくれたプロデューサーの磯見俊裕さんが『東南角部屋二階の女』の監督を探していて、「池田とカメラマンのたむらまさきさんをぶつけたら面白いだろう」って抜擢してくれたんです。

「この作品の軸は私にしか立てられない。」

『東南角部屋二階の女』は、諏訪敦彦監督作品『2/デュオ』のスタッフの方が多くいらっしゃいました。浜松市の映画館でたった2日間のレイトショーでしか上映されなかったのをピンポイントで観に行った、私の大好きな作品のスタッフの方々が勢揃いしていたんです。現場はほとんど思い出せないってくらい必死にやりました。特に大変だったのはカメラマンのたむらまさきさんとのやり取りですね。本当にたむらさんはすごい方で、現場に入ると一番にカメラポジションを見つけてくるんですけど、「たむらさんその画、良いですね」といったら「池田さん、あなたには意見がないのか!」って。それなのに、私が「たむらさん、この画で撮ってください」ってお願いすると「それを私は撮りたくない!」って(笑)。
たむらさんは私が新人だろうがなんだろうが、求めてくるものが高くて、最初はそれで焦ってしまったんです。追いつけないものに追いつこうとしてしまって。でも撮影途中から割り切って、「私はたむらさんが求めているところまでいけません。でも私は監督です。この作品の軸は私にしか立てられません。私は地に足つけるんで、こっちに来てください」というふうな気持ちでのぞむようになって……。喧嘩とかもしたんですけど(笑)。良かったのは、キャストのみなさんが私のことを信頼してずっと寄り添っていてくれたことですね。あんなにすごいキャリアの方々なのに、ちゃんと信頼関係を築いて演出できたっていうのは心の支えになりました。役者をちゃんと演出してさえいれば、たむらさんはなんだかんだ言っても撮影してくれるだろうって。
手だれのスタッフ達とどう制作するかってことはすごく気をもみました。藝大で2年間映画を撮って、スタッフともキャストともうまくできるような気になっていたんですけど、あっまだ全然だってことが解って。だから『東南角部屋二階の女』の制作時は私のできることを精一杯やりきることだけを考えていました。結果とても贅沢な体験をさせていただきました。けれど、ある意味では『東南角部屋二階の女』でデビューしてからが大変でした。なんのツテもなく、ポーンと社会に放り出されたようなものでしたから……。最近ようやくですね、半年先のスケジュールもみえるようになってきたのは。脚本単体のお仕事が入ってくるようになったのも大きいですけど、そこから更に繋がっていけたら嬉しいです。

「私が大きな軸になります。皆さんはひとうひとつの軸になってください。」

9月20日から公開される『ミスターホーム』という映画の企画は、俳優と監督がコラボして作品を作るというENBUゼミナールの監督コースと俳優コースを交えて行う”コラボ講座”の発展系をやろうよという一声から始まりました。そこからどうせ作るならより良い映画を作ろう、より良い制作体制を作ろうと進み続けた結果生まれたのが『ミスターホーム』です。
ワークショップ参加者全員が出演出来るわけではないという条件のもとでやっていましたが、やはり色々な俳優さんとワークショップをしていると、演技の上手い下手はあるにせよ、皆さん人としてそれぞれ魅力的で。脚本と役柄はワークショップ開始前におおよそ決まっていたんですが、皆さんとの出会いから新たに生み出された役柄も幾つもありますし、そのおかげで作品自体にも幅の広さが出たと思っています。最近の私の作品は昔と比べて出演者が多くなっているんですけど、それは私が人間として成長した軌跡だと思います。昔は脚本を書いていると自然と少人数で構成をしていたんです。それは自分の精神的なキャパシティーが反映されていたんだと思います。今はもっと多くを大きく抱えられるようになった、そういうことのような気がしています。
『ミスターホーム』では総監督というちょっと変わった立場でした。現場では他の監督の演出を見守っているというのが基本でしたが、それこそ何でもやりましたね。スタッフが最小限ということもあり、カメラ助手から制作から小道具から何から。演出に関しては場が動かなくなったときなどに口を出すこともありましたが、気を付けていたのは、あまり前に出すぎないようにすることです。なるべく監督とカメラマンのやりとりを阻害しないようにしていました。やっぱり現場を作るのは監督だと思うので。
最初はどこまで口出して良いか、どこで口を挟むべきなのか探り探りでしたが、映画全体のクオリティーを上げるために私がいるのだという意識ではいましたね。各監督には企画当初から「皆さんそれぞれの作品を作って欲しいですが、決してバラバラのオムニバスにする気はありません。私が大きな軸になります。皆さんはひとうひとつの軸になってください」と伝えていました。案外伝えた通りにはなったと思います。なるべくみんながやりたいことをやってほしいと思っていましたから。
予算が少なかったので、作品の内容を考える以前に制作体制から戦略を練る必要がありました。そこでなるべくお金をかけずにより良い作品を作る場所として静岡県の袋井市にある祖父が立てた一軒家を思い付いたんです。祖母が亡くなってからずっと空き家になっていて、いつかここで映画を撮りたいと思っていたのもあって。そこから「じゃあ、色々な人がそこで共同生活しているという設定はどう?」ということになって、「大家さんが家族を作るために色々な人を集めて一緒に住んでいます。でもそれは結局破綻します。さて、皆さんはその中にどんな人物を描く?」ってそれぞれの監督に投げて、集まったネタから発想を膨らませながら物語を作っていきました。
『ミスターホーム』は決して私が作った物語ではなく、皆で作り上げたものです。絶対に私ひとりでは書けなかった脚本になりましたし、逆に監督それぞれがバラバラに書いていってもこうした脚本は生まれなかったはずです。脚本に関しては納得できるものが仕上がりましたが、撮影に入ってからの方が大変ではありました。詰まったら話し合うという同じ行程を繰り返していきましたね。

笠島智という俳優について―

笠島さんに初めて出会ったのは、『ミスターホーム』のワークショップでなんですけど、会った瞬間に“持ってる子”だと思いました。「あ、この子できるこだ」って。立ってるだけでなんか出してましたね、佇まいに目を魅かれました。
「私、役者初めてなんです。仕事やめて本格的にやっていこうと思っているんです」なんて言ってるわりに、さらっと芝居ができてしまう。でも、私は途中からそのことに危機感を覚えるようになって……。脚本を渡したらそれなりにできてしまうけど、なにかが足りないように感じたんです。現場では、重要な配役を与えられたということが彼女を随分苛んでいるように感じました。プレッシャーの中で何かしなければならないという意識に捉われて自由でいられていないような気がして。
1度だけじっくりと話をする機会がありました。撮影以外の時間も通じて思ったことなんですが、笠島智という人は自分がここにいることにいつも不安を感じている人なんだなと。私は人間には二通りいるとおもっていて、自分がここにいることに当たり前でいられる人と、そうでない人。笠島は後者のタイプだから、「ここにいることに不安があるのはわかるけど、これからずっと役者を目指していくのだったら、そう腹を決めてやっていけば絶対にその不安はなくなっていくから」とそんな話をしました。私も笠島と同じで、映画をつくることでここにいていいという場所ができたタイプだったので、そのことを笠島にも知ってもらいたかったんです。
現在も色々演劇や映画に出演したりして、良い意味でどん欲に活動しているみたいなので、『ミスターホーム』の公開が何か新しい出発のキッカケになればいいなと思っています。そうして将来、『ミスターホーム』が私の出発点ですって語って貰いたいですね(笑)。
◆総監督・プロデュース 池田千尋『ミスターホーム』
9月20日(土)〜26日(金) K’s cinema にてモーニング&レイトショー公開!
◆劇場
K’s cinema (ケイズ・シネマ)
http://www.ks-cinema.com/
◆上映スケジュール
9月20日(土)〜26日(金)
【上映時間】11:00/21:20
◆チケット
特別鑑賞券
¥1000
アプリ特別鑑賞券
¥1000
当日券
一般:¥1500/大・高:¥1300/中小シニア:¥1000
■スグチケ(アプリ特別鑑賞券)
カンタン便利な特典付き映画チケット購入アプリ(App Store限定)
¥1000
購入特典
映画配信サイトLOAD SHOWより、 池田千尋監督が大学入学後、初めての8mmフィルムを回して自ら撮影・構成した初期作品『記憶されるからだ』のストリーミング視聴が可能となるURLを配布!
※特典はチケット購入後に劇場に行くと、自動的に受信することができます。
http://sugu-ticket.neopa.jp/
◆『ミスターホーム』公式ウェブサイト
http://mr-ho.me/
聞き手・写真・構成 :岡本英之
    採録・構成 :島村和秀
『ミスターホーム』
2013年/70分/HD/カラー
出演:廣末哲万、笠島智、田坂秀樹、小川ゲン、杉岡詩織
監督・総監督:池田千尋 /第一章監督:長友孝和 /第二章監督:ハセガワアユム /第三章監督:工藤渉/第四章監督:根本宗子/第五章監督:池田千尋/製作:ENBUゼミナール、池田千尋/撮影:杉田協士/音響:黄永昌/編集:田巻源太/助監督・照明:平波亘/音楽:SKANK/スカンク(Nibroll)/脚本:池田千尋、長友孝和、ハセガワアユム、工藤渉、根本宗子
ストーリー:海沿いの田舎町に建つ一軒家。そこには行き場を失い、漂着したかのような住人たちと、大家さんと呼ばれ親しまれているひとりの男が住んでいた。妻に黙って家を出てきた夫、若くして世間で評判となった詩人と担当編集者、サークルレベルの新興宗教に集まった信者たちと教祖。それぞれに事情を抱える住人たちと大家さんとのシェアハウス生活は、ある日帰ってきた大家さんの妹・裕子の登場によって崩れ始める。大家さんはそこに、新たな家族を作ろうとしていた。
  • 『池田千尋(いけだ・ちひろ)』
    1980年北海道生まれ、静岡県出身。映画監督、脚本家。映画美学校修了制作作品である『人コロシの穴』(2002)が2003年カンヌ国際映画祭・シネフォンダシオン部門に正式出品される。東京藝術大学大学院映像研究科映画専攻監督領域2007年修了。劇場公開作品に『東南角部屋二階の女』『とんねるらんでぶー』『夕闇ダリア』などがある。また最近では舞台の作演出も手がけ、『東京の空』『東京の歌』が上演され好評を博した。現在、再始動した全力映画企画に参加しており次回作の準備中。