LOAD SHOW

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♯37「映画と私」奥野崇(映画監督)

「映画とあなた」のあいだにある物語を知りたい。幼少期の記憶から映画との現在まで。

-卒業制作として監督したのが『猿たちの舟』という作品-

映画を撮っています。現在はテレビ番組のADとして働いています。日本大学芸術学部在学中に学校求人でいまの職場を見つけて、面白そうだなと思って入りました。大学では映画学科の監督コースにいました。卒業制作として監督したのが『猿たちの舟』という作品です。
僕は山口県の下関市のはずれで育ったんですね。市街地から車で30分くらい行った所の小さな町です。国道が海沿いに通っているんですけど、そこに歩道がないんです。車が無いと出れないし、隣町まで行けないんですね。住んでいる町には映画館が無かったので、幼少時代はほとんどレンタルビデオかテレビで映画を観ていました。父親は映画をよく観てたんです。ただ、父親が観てる映画を僕は観ていなくて、当時は「仮面ライダー」が好きで、その派生で映画を観てるっていう感じでしたね。

-高校時代、ノリで作った「名探偵コナン」のパロディ-

中学生の頃に三谷幸喜監督の『ラヂオの時間』(1997年)をテレビで観て、映画って面白いなと思いました。それが直接、映画を作ろうというきっかけにはなってはいないですけど。高校生になって観た映画で印象的だったのは、『青い春』(2002年/監督:豊田利晃)とかですね。高校生の頃は柔道をしていて、映画館にはほとんど行ってなくて、ほぼ部活をしていました。でも、映画を作るきっかけは高校時代にあったんですね。完全にノリで作ったものなんですが、文化祭のクラスの出し物で「名探偵コナン」のパロディ映画を作ったんです。コナンとは違い、一切事件を解決出来ない探偵という内容でした。見た目は大人、頭脳は子供みたいな。
家にあったDVD記録のカメラで撮影して、編集は友達に全部やってもらったんです。それを文化祭で流して、それをみんなと見ながら、まわりの感想を聞いている内に映画やりたいかもと思ったんです。この前ちょうど観返してみたんですけど、全てワンシーンワンカットで撮ってました。なぜならカット割る事を知らないから(笑)。そこから映画の道に進んだきっかけは、柔道部の友達が日芸に行きたいって言い出したんです。なんとなく僕も行こうって。それが日芸を受験するきっかけでした。僕ら最初の受験で落ちるんですけど、その後言い出しっぺの彼はスパっとアメリカに行って、僕は予備校生活を送りながら一年間過ごして日芸に入ったんです。

-爆音映画祭で体感した『デス・プルーフ in グラインドハウス』-

日本大学芸術学部では、一年目は一般教養が主だったので授業以外の時間によく映画を観ていました。一年生の春には、大学で初めて映画を撮りました。それまでって割と固い映画ばかり観ていて、映画作りに対してものすごく難しく考えていたんですね。作品を作り終えた後、自分の中にしこりが残って、次を撮りたいって気持ちにもならなかったんです。そんな時に爆音映画祭で『デス・プルーフ in グラインドハウス』(2007年/監督:クエンティン・タランティーノ)を観たんです。「あ、これか」っていう印象が強くありました。
爆音映画祭って、エンジン音もすごいデカいじゃないですか?臨場感が凄くって。体で映像を感じて、これが映画なんだなと思いました。上映後に僕以外の観客も高揚してるのが、目を見ると分かるんですね。その時のみんなの目つきと自分の気持ちっていうのは、今でも鮮明に覚えてます。その体験がきっかけでとらわれていたものから解放されたんですが、その反面、授業からも解放されてしまい、留年しちゃうんですよね(笑)。自分が留年してる時に、他のみんなは映画を撮っていたのが悔しかったのを覚えていますね。三年生の時にも自分には16ミリで10分の制作課題があって撮っていたんですが、みんなは長い尺で卒業制作作ってましたからね。

-地元に感じた「風景的なきれいさ」-

その後、僕も卒業制作を撮るんですが、フィルムは高額で労力もかかるので、同級生でフィルムで撮った作品は40本近くある中、4本しかなかったんですね。でも、僕はどうしてもフィルムで撮りたかったんです。3年時に優秀な作品に対して学校からプレゼントされるフィルムを友達からタダでかき集めて撮影しました。一生懸命かき集めて、ロケ地にはかなりの量のフィルムを持って行ったんですが、ほぼ全て使い切りましたね。その位テイク数を重ねて作った作品が『猿たちの舟』です。卒業制作っていうのは40分以内の作品っていう制限があるんです。そういうのを関係無しに石井岳龍(旧:石井聰亙)さんは『狂い咲きサンダーロード』(1980年)を長尺で撮ったみたいなんですが、僕はしっかり守りました。じゃないと卒業出来ないんで(笑)。
『猿たちの舟』では、なかなか脚本が書けなかったんです。卒業制作ってそれで失敗したら人生終わるみたいなプレッシャーがあって、それでなかなか筆が進まない期間があって、気付いたら撮影が迫っていたのにロケハンもろくに進んでいない状況でした。そんな時に既に卒業している友達が「気合い入れろ」って手伝ってくれたんですね。シーンだけ決めてある段階なのに、撮影準備をしてくれたんですよ。なので現場で台詞を考えたシーンもありました。撮影は地元の山口県下関市で行ったんですね。東京から地元に帰ってくる度に、毎回変な所だなとは思っていたんです。で、久しぶりに電車に乗った時に自分が住んでいた町の駅ってこんなにかっこよかったんだって感じて。
あらためて見てみると自分の家の周りって閉塞感がありつつもすごい綺麗なんだなって、海だとか駅だとか、国道だとか、当たり前過ぎて目に入っていなかったものに「風景的なきれいさ」を感じたんです。こういう場所を映画で、フィルムで残したいって思ったのがきっかけなんです。撮影現場では、まず最初の三日位台風で撮影日が潰れてしまったんですけど、逆に腹が決まったっていうか、無理なスケジュールだけど、やらなきゃやばいっていう意識が芽生えて。それを撮影スタッフみんなが持ってくれて、一丸となって撮影に臨みました。危険な撮影もいっぱいありました。死ぬ気でやれば画に反映されるみたいな変な理念がみんなあって。高速道路で車の流れを止めてしまうような撮影や、夜の海のシーンなんかは丸二日かけて撮りました。映画を撮っていて楽しかった事もありましたが、とにかく大変な思いをしました。

-出て行った自分にとっての残る者への関心-

この作品は特定の知っている誰かを描こうとした訳でもなく、「漠とした田舎の青年」っていうのをいわゆる昔話のように見せたかったんですよね。地元の友達と話していると、みんな女の子の話しかしないんですよ。脚本の題材にするものを探しても「妊娠」とか「親になるかならないか」っていう部分しか自分の中で見つけられなかったんですね。地方を描く上で、自分にはっきりと見えたものはそういう側面だけでした。脚本も抜け出せない沼にいる人々、みたいなイメージで描きました。誰かの責任を負いながら田舎に留まる男性像っていうのがあって。親の近況とかもそいつから聞く事になるだろうし、出て行った人間の責任を留まっている人間は負わされているかもしれないと田舎に対して感じてたんです。出て行った自分にとっては、なにもないように見える場所に残る者への関心がすごいあったんですね。
水戸短編映像祭でまさかグランプリを頂けるとは思っていなかったんで、今後のイメージっていうのを何も考えてなかったんですよ。今後の展望っていうのは、いま会社で働いていますし、正直よく分かってないです。ただ、映画をやろうっていうのはブレずにあって、それがどういう形か明日なのか何年後か分からないですが、ちゃんと映画を撮りたいっていうのはすごくありますね。
奥野崇監督作品『猿たちの舟』LOAD SHOWにてストリーミング配信中!!
http://loadshow.jp/film/55
聞き手・構成・写真: 岡本英之
採録・構成: 川邊崇広
『猿たちの舟』
監督:奥野崇/撮影:坪田陵:録音:高橋泰治

出演:村上玲、中田くるみ、一力夢二、中上五月、五味良介、栗原英雄 ほか

(2012年/31分)
【Story】
街はずれの小さな漁村。なんの代わり映えもしない町並みの中で育った、耕助、恭平、暁子の三人。彼らの田舎生活も20年目に突入していた。ある日、耕助が東京へ出たいと言い出したことをキッカケに溜まっていた各々の思いが交差していく。
  • 『奥野崇(おくの・たかし)』
    1988年、山口県生まれ。日本大学藝術学部在学中に映画制作を開始。同大学の卒業制作として脚本・監督した『猿たちの舟』(12)が第17回水戸短編映像祭グランプリを受賞、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭2014 インターナショナル・ショートフィルム・コンペティション部門への入選を果たした。