LOAD SHOW

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映画の未来をいち早く
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♯53「映画と私」濱口竜介(映画監督)

「映画とあなた」のあいだにある物語を知りたい。幼少期の記憶から映画との現在まで。

インドアで妄想ばかりしていた少年時代

当企画では映画の関係について時系列に沿ってお聞していているのですが、今回は濱口監督の作品制作の遍歴に的を絞ってお話を伺いたいと思います。
濱口竜介(以下、濱口):わかりました、よろしくお願いします。
まず、幼少期の頃について教えて下さい。小さい頃作られたもので印象に残っているものはありますか?
濱口:小学生2年生くらいの時に、国語の授業で教科書に載っている寓話の続きを書いてみようという課題があって、その作文で先生に褒められたのを覚えています。思い返してみると…、楽しかったんでしょうね。自分でも調子良く書けたし、褒めてもらえて嬉しかった記憶があります。
どんな内容だったのでしょうか?
濱口:狐が主人公のお話だった気がするんですけど、動物が風船に花の種をつけてたくさん飛ばすんですよね。教科書に載っていたのはここで終わりでしたが、授業の課題としてはその花の種を受け取った人の話を書いてみましょうというもので。その頃は当然、自分に物語のソースがないですから、昔話に出てくる鬼ヶ島みたいなところに花の種がついて…、みたいなことを書いたと思います。
高学年の頃は、どういったものを作られていましたか?
濱口:パソコンがある当時としては珍しい家でした。X68000と言って分かる人いますかね。そのパソコンでよく、父親が買ってきたゲームをやっていたんですね。それで、そのゲームのサイドストーリーみたいなものを作文用紙に書いていた記憶があります。ゲームは「源平討魔伝」というものでした。すっごい恥ずかしいですね。この話。
申し訳ありませんが、どんどん聞かせていただきます(笑)。自分で書いたストーリを友達に見てもらったりはしましたか?
濱口:いえ、それは親にしか見せなかったですね。それ以外には、手製の双六や人生ゲームを作って正月にやったりしましたね。双六はゴール直前に「振り出しに戻る」があるんですけど、そこにハマった母親が「何これつまんない」って言ったその瞬間に泣いちゃいましたね。何かそのことを覚えています。でも自分が何かを作ることが得意だとは一切思っていなかったです。その時は、ただ取り憑かれたように楽しくやっていただけで、その後もやり続けるような熱を持っていたわけでもありませんでした。
映画監督や劇作家は幼少の頃からでも独自のルールを遊びに取り入れるのが上手なように感じます。濱口監督も遊びの中でルールを作るのは得意なことだったのでしょうか?
濱口:そんな大それた事ではありませんでしたよ(笑)。私の祖父が画家でして、うちの兄も絵を描くのが上手でしたが、自分は絵を描くのがすごく下手だったんですよ。何でなんだろう、と思ってましたね。だから、自分にはいわゆるクリエイティブな才能はないんだと何となく感じていました。それだから、特別ルール作りが上手いとも思っていませんでした。文章は書いたりするけど、それを人に見せるわけでもなかったですし。
得意科目、苦手科目は何でしたか?
濱口:苦手科目は、図工でした。あと、体育も。これはね、肥満児だったからです(笑)。国語と社会は好きな科目でした。
放課後の遊びは、スポーツよりも読書だったのでしょうか?
濱口:どっちかというと読書ですよね。あとは、ファミコンやったり。友達が野球やろうよと誘ってくれても「バットとグローブは貸すけど僕はやらない」と言って断っていましたね(笑)。今思うと、それでも誘いに来てくれてた当時の友達にはとても感謝してますけど。
意志が固かったんですね(笑)。中学、高校になると部活が生活のメインになっていく方が多いですが、濱口監督の学校生活はどのようでしたか?
濱口:中学、高校は本当に何してるんだろうなっていう感じの過ごし方でしたよ。灰色の時代でしたね。中学時代は、卓球部に入っていたけど、卓球に夢中になるというわけでもなく。あくまで、部活に入らなくてはいけないから入っていただけであって。高校では、部活に入らなくても良いということだったので、3時半とか4時くらいには家に帰って再放送のドラマとか見たりしていました。思い出すと本当につまらない(笑)。
そういった生活の中で、輝ける時間はありましたか?
濱口:それはね、まったくなかったんです(笑)。ただ、格別な不満があるわけでもなくて、それが一番悶々としたかもしれませんね。
時間があると妄想する時間は増えてきますよね。
濱口:確かにそうですね。漫画読んだり、たまに映画館に行ったりという生活の中で妄想が発達していくということはあって、その妄想がきっかけで大学で映画研究会に入るという流れになったんだと思います。

何も分からずとも、初めての映画作りはただただ楽しかった

妄想の中には、映画を念頭に置いた構想やイメージも含まれていたのでしょうか?
濱口:いや、そんな大したものじゃなかったと思います。妄想っていうくらいですからね、願望のすり替えみたいなものですよ(笑)。ただ、大学に入ってすぐに撮った短編作品があるんですけど、シナリオ書く作業は初めてでしたが、意外とすんなり書けたんです。楽しいものだなと思った記憶もあります。今考えると、初めての頃に書いたシナリオのベースになっているのは漫画だったのだと思いますが。
絵コンテも書かれていたんですか?
濱口:初めての頃は書いてましたね。絵コンテといっても、絵が下手なので何が何だか分からないけど不安だから書いてました。周りのスタッフに渡したかどうかは覚えていないですね。
初めて書いたシナリオが予想以上に書けたという経験が次に繋がっていったのですか?
濱口:シナリオ自体は大した事ないんですよ。けれど、それを褒めてくれるような人がいて、自分自身も面白いと思える瞬間がその時はあって。まあ、今になってみると、面白かったかどうかは大いに疑問ですが。あと、東大映研は映画を見る人は多かったのですが、作る人が少なかったんですよ。だから自分が作る余地があったのだと思います。初めのうちは、作品を作るということへの羞恥心もなく、とにかく楽しいからやっていました。
映画作り初期の頃のシナリオは、フィクション性の強いものだったのですか?それとも、リアル志向の物語だったのでしょうか?
濱口:大学一年、二年くらいまでは、フィクション性の強い物語を作っていました。しかし、映画を観る本数が増えていくにつれ、今度は作れなくなっていって。再び作れるようになった時は、日常の延長から始まる作品に変わっていました。

「カサヴェテスのようには絶対に撮れない」(濱口)

学生時代に出会った人のお話をお聞きしたいのですが、支えになってくれた人、きっかけを与えてくれた人はいましたか?
濱口:大学の同級生や先輩の存在は大きかったですよね。映画研究会に入ってから、自分の知らないことが本当にたくさんあるんだなということをまざまざと同年代の人たちに見せつけられるという経験があって、多大な影響を受けました。
本格的に映画の道に進もうと思ったきっかけは何でしたか?
濱口:これは、ジョン・カサヴェテスの作品です。大学二年生の終わり頃に、当時渋谷にあったシネアミューズという映画館で「カサヴェテス 2000」というイベントが開催されていて『ハズバンズ』(1970)や『ミニー&モスコウィッツ』(1971)、『愛の奇跡』(1963)を観たんです。その時は、すごい良い映画観たなくらいの感じだったんですけど、後々振り返った時に「あんな映画は他にはないんだ」ということに気付かされたんです。学生時代はいろんな映画を観ましたが、カサヴェテスの映画は自分の中で他とは違う残り方をしていたと思います。
カサヴェテスの映画のような作品を作ってみたいという願望は生まれたのでしょうか?
濱口:そう考えることもありましたが、カサヴェテスのようには絶対に撮れないんだとも思っていました。絶対に撮れないんだけど、カサヴェテスの映画を好きになってしまった以上、自分はどうやって映画を撮ろうかなということを大学三年、四年の内はずっと考えていたような気がします。
一つの区切りとして、大学時代の集大成となった作品はありますか?
濱口:それは、『何食わぬ顔』(2003)という作品がそうですね。今でも時々上映してもらえる機会があって、本当にありがたいなと思います。映画研究会では特に卒業制作を撮らければいけないという決まりはなかったのですが、自分が4年間やってきたことの集大成として作った作品です。

『何食わぬ顔』の発端は映画研究会の一つ上の代の部長であった松井さんという方が、すごい「いい顔」の持ち主だったことから始まりました。この人が、うまいこと留年をしてくれまして(笑)、自分の学年まで落ちてきた。このチャンスを逃さず、この人を主役にして卒業制作を作りたいと。彼の魅力を最大限活かせるような形で脚本を書きたいと思って始めたんです。映画の内容はちょっとだけ『ハズバンズ』に似ていて、葬式の後の三人の話がベースになって進みます。

ちなみに『何食わぬ顔』では、それから10年以上の付き合いにもなる岡本英之(LOAD SHOWプロデューサー)さんにも出演してもらっています。岡本さんとは、バーベキューパーティーみたいな場所で出会ったのですが、その時「この人、すごくいい顔してるな」と思ったんです。なので、あまり自分からそういうことしないんですけど、連絡先を交換して岡本さんがバンドをやっていたからライブに行ったりしました。それで『何食わぬ顔』の脚本を書きながら岡本さんにも出演してもらいたいと考えるようになって、脚本と一緒に手紙を書いて岡本さんにオファーをしたんです。あと、出演している女子二人は、可愛いと思っていた二人ですね(笑)。出てもらいました。
濱口監督にとって、顔はその後作品でもキャスティングにおける大事なポイントになっていくと思うのですが、濱口監督にとって魅力ある顔とはなんですか?
濱口:その時々で違うといえば違って、今はむしろどんな顔でもいい顔にはなり得るんではないかと考えています。ただ、カメラに愛され易い顔というのは、そもそもあるように思います。
「カメラに愛される顔」とはどんな顔ですか?
濱口:あくまで一例としては「何か考えてそうな顔」ですね。もしかしたら、何も考えていないのかもしれなが、すごく何か考えているようにも見えるし、視線を向けられるとちょっと見透かされているような気さえする。そんな顔がいいですね。例えばある事態が起きて、ある人がそれを見ている。もしかしたらそれに対して怒るような事態かもしれないし、悲しむべき事態かもしれない、笑うべきことなのかもしれない。ただ、その人のリアクションを映したら結局どれにも限定されずに鑑賞者はものごとを感じることが出来る。そういう顔が『何食わぬ顔』の時は特に「いい顔」だと思っていました。

危うい綱を渡りきって見出した濱口映画の会話表現

濱口監督が大学を卒業されて、現場にも入られた後、芸大大学院に入り卒業制作で『PASSION』(2008)という作品を監督されましたが、『PASSION』では会話表現が特に独特で素晴らしく、濱口監督作品の世界観をある種決定付けた作品になったのだと思っています。『PASSION』を制作された当時、濱口監督は会話をどのような意図で取り入れたのか、その経緯も含めて教えてください。
濱口:話は少し前に戻るかもしれませんが、自分には映画的才能はないんだと認識したことに尽きるんだと思います。お金もなければ、才能もない。しかし、映画はやりたいと。これからどうやって映画を作ったらいいのか分からない、そんな時に『Friend of the Night』(2005年)という作品を撮ったんです。

この映画は岡本さんのバンド「The Chronicles」のライブで、映画をかけるライブイベントをやりたいと話をいただき、テーマはホラーで作ってくれないかと頼まれたのがきっかけでした。それで話を考え始めたんですけど…全く思い付かないんですよ。ホラーは撮ったことないし(笑)。

どうやって撮ったらいいか分からないまま時間が過ぎていって、苦し紛れみたいな形で、慣れないホラーの発注に苦しむ脚本家の話を書き上げたんですよね。彼がネタに困って、人の体験談を聞く、というだけの物語です。ひたすら人が会話しているだけの脚本で、正直書いている時点では「本当にこんなものが映画になるのかしら」と不安でした。しかしでき上がった作品を観たときに、非常に危うい綱を何とか渡りきったような感じがあったんですね。人がただ喋っているのだから大した事は起きないんですけど、映画というのはこのような形で作ることも可能なのだと、実感として得たんですよ。

何かがダイナミックに起きているような画面を作らずとも、人が喋っている様を捉えることができれば、一つの映画を作りおおせるという実感が会話表現に活路を見出した一つのきっかけです。『PASSION』も、基本的にはその延長線上に作られています。少し変わったのは、芸大作品はプロの役者さんを起用して作品を撮ることができるので今までだったら「こんな台詞書いても絶対上手くいかない」と思ってやめてしまうような台詞も書いてしまうようになったということです。それと、キスシーンができるようになったことも大きいですね。職業的な俳優の幅が加わって、今までよりも一歩進んだドラマを語り得るという気持ちで撮れたのが『PASSION』でした。
まさに活路が生まれた作品なんですね。
濱口:そうですね。『PASSION』の前に撮った『SOLARIS』(2007年)は、芸大の一年の時に撮った作品なんですけど、その時は才能がないなりに頑張るというか、人を配置して構図をかっちり決めて撮るということをやってみたんです。でも、そのことで何か失われてしまうものがあるような気もしました。役者さんの活気と言いますか、そういうものを却って殺してしまったような気がしたんです。そこで『PASSION』では役者さんに動きは任せて、カメラはそれを追いかけることに専念しました。一番活路を感じたのはそこでしたね。役者を追いかけるということ。自分の書いた台詞をある程度好き勝手に言ってもらった時に、思いもよらないような事が起きるんだという発見もありました。
『PASSION』の中で本音ゲームを行うシーンは特に役者の魅力とともに映画の持つ活気が伝わってきました。
濱口:渋川清彦さんの「お前なんか空っぽなんだよ」という台詞があるんですけど、脚本の段階ではそんなに熱のこもったイメージではなかったんですよ。あれが渋川さんの演技によって映画が「情熱」という意味での「パッション」に近づいた気がしましたし、それは今まで自分が撮ったことのないような否定しがたい真実味があった。「こんなこともあるんだなあ」と俳優の力を思い知らされました。

俳優にぶつけて動かす、ピンボールみたいな台詞

『PASSION』後は俳優や物語に対しての身体的なアプローチが見られるようになっていきましたが、それはなぜでしょうか?
濱口:身体のことはですね、単純に分からないというのがあって。別に身体に対して急に興味が湧いてきたということではなく…これは今もずっと続いている悩みですけど、人の身体というのは一体どうやったら動くんだろうと悩んでいるわけです。俳優の動かし方が分からないんですよ。例えば『不気味なものの肌に触れる』(2013)では、まさに踊りを扱っているけれども、僕はこういう踊りをやってくれと注文したわけではなく、砂連尾理さんという方に振り付けしていただいたんですね。その振り付けを通して、「身体の動かし方」のヒントになるようなことはないかなと思ってやっているというのが実際のところであって、身体表現に興味があるということではないんです。

遡ると、絶対に撮れないとは思う反面、どうやったらカサヴェテスの『ハズバンズ』に近づけるんだろうというのは頭のどこかで常に考えていて…。それはつまり、どうやったら人の身体が動くんだろうっていうことです。それはもちろん、指示を出したら動くのかもしれないけれど、『ハズバンズ』を見ていると人の身体を突き動かす俳優自身の身体に由来する何かがあるはずだと考えてしまうんです。それをどうやったら刺激できるのかを考えています。だから『不気味なものの肌に触れる』という作品は一体どうやったら人は動くんだろうなと考え続けているプロセスのなかで、砂連尾さんや、脚本家の高橋を介して身体にアプローチした作品です。
濱口監督の映画には台詞と身体の繋がりを強く感じます。そのため、もう一度会話表現について話を戻させていただきます。『親密さ』(2012)では、会話が更にソリッドになっていくというか、日本人のようなハイコンテクストな会話ではなくなってきているんじゃないかと感じました。外国のディベートやディスカッションのような感じです。会話表現に対しての意識は変わっていったのでしょうか?
濱口:『親密さ』の時はですね、言葉を使って映画を作るのはさすがにもう嫌だなと思ったんです。だから『親密さ』で終わりにしようと思ったんですよ。この映画でもって、言葉を武器にして映画作りをするのはもうやめにするつもりでいて、その代わり言葉で出来る限りのことはやってみようと企んでいました。
最新作『ハッピーアワー』でも会話は沢山ありますが『親密さ』から変化したことは何ですか?
濱口:そうですね。捨てられませんでした。やはりまだ、一番の武器という気はします。ただ、自分の勝手な感覚ですけど、精度が上がっている気はしています。『PASSION』の時に感じたことは「この台詞があることで、役者をこんな風に動きだすんだな」ということで、『親密さ』でも俳優にぶつけるピンボールみたいに台詞があって、この台詞をぶち込んでいったらどうなるか、と偶然に賭けるような形で結構やみくもにやっていたんです。でも『ハッピーアワー』では一つ一つの台詞がもう少しだけ、演技を誘発できるように狙いをつけたっていう気がします。だから、少しは人を動かすとか支えるような言葉というものになってきているような気はしていますね。
『ハッピーアワー』では、濱口監督がおっしゃるように人を支えるような言葉が確かに多いと思いました。それは、「東北記録映画三部作」を撮ったことでの影響はあったのでしょうか?
濱口:あると思いますよ。ドキュメンタリーを制作中にインタビューの書き起こしをしていて思ったのは、こんな台詞を書けたらすごいよなということでした。いや、それは正確じゃない。書き起こしした言葉はどこかで聞いたことあるような平凡な言葉であったりもしたんですけど、この言葉をこのような声で言えたらすごいなと考えたんです。「東北記録映画三部作」のインタビューをしていて聞こえた声は、その人自身を率直に表現しているような気がしました。そのため「東北記録映画三部作」はそういった「いい声」が、フィクションにおいてどうやったら響くのかということを考えるきっかけになったと思います。

「誰かに聞かれることによって『いい声』は生まれる」(濱口)

俳優はドキュメンタリーと違って正確な意味での当事者ではないわけですが、濱口監督は『ハッピーアワー』に出演する俳優に対して当事者でいて欲しかったのか、それともあくまで演技をしている人として考えていたのか、どちらだったのでしょうか?
濱口:うーん、ドキュメンタリーで感じたようないい声が出るには一体どうしたらよいのかを考えていて。一つの方法は、書かれる台詞の精度を上げていくことでした。それはどういうことかというと、説明するのは非常に難しいんですけど…。
『ハッピーアワー』は俳優の演技ワークショップの中で制作された作品ですが、それは良い声を見つけるため俳優と共同で試行錯誤していくということだったのでしょうか?
濱口:そうですね。即興演技ワークショップというのを神戸でやっていたのですが、それは「聞くワークショップ」という風に言っていて、いい声が生まれてくるためには聞かれる必要があると思い行いました。誰かに聞かれることによっていい声というのは生まれてくるんだというのが、東北のドキュメンタリーの経験であったので、お互いに聞き合うという演技空間が構築出来ていれば、いい声が出るための環境が一つ整うという気持ちがありました。なので、演技のレッスンというものはほとんどしていなくて、ひたすらペアになってインタビューをしたり、人を招いてトークイベントを開いたりということをやっていました。ワークショップを通して、人と自分、もしくは第三者としての他人との関係を意識化することで、一体どういう風に人に対してリアクションをする人なのかということが身体の感覚で段々分かってくるんです。

映画における台詞には二種類あると考えていて、一つは普段その人が発言してもおかしくないリアクションの台詞。もう一つはドラマを進めるためのより「劇的」な、アクションとしての台詞。進んでいる物語、もしくは進ませようとしている物語というのは、基本的にはその人の身体とは関係はないわけです。でも、あるシーンの台詞を書いていて、この局面でこの台詞だったら、この人の身体は口にすることができるし、同時に物語を進めることができる。そういう台詞を発見しながら書いていったように思います。その感覚は脚本をこれから書いていく上での一つの収穫でしたね。
現場で芝居を見ながら脚本を書き換えていくこともあったのでしょうか?
濱口:ありました。撮影をしていて、役柄として今日この人はここまで達したというようなことがあると、次はここまで行くこともこの人の必然性としてあり得るんじゃないか、ということがあったから、最終的により劇的な脚本作りが可能になったような気がしています。
『ハッピーアワー』では、顔や身体、そして言葉と、全てが調和した形で、尚且つ濱口監督自身フラットに撮られているように感じました。
濱口:調和していると言ってもらえると物凄くうれしいです。多分『PASSION』や、『親密さ』は役者に自由を持ってもらって、カメラがひたすら俳優を追いかける映画なんです。そんな中でも、ある程度目算が立つように人を配置したり、カメラを置くことによって何とか映画としての体裁を保っている。一方『ハッピーアワー』で目指していたものは、演技とカメラの調和です。そのことによって、映画として一段今までとは違うところに進めるのではないかと考えていました。
今後作品を作る上で、追っていきたいテーマであったり、『ハッピーアワー』が出来上がったことで浮かんだ次回作のイメージはありましたか?
濱口:実は次をどうするかは困ってますね。『ハッピーアワー』の制作は言ってみれば「持続可能な映画制作」を求めてのトライだったんです。低予算・小規模なチームで映画を作る方法を探す。とても素晴らしい時間を過ごしたけど、結果から言うと、同じことはもう繰り返せないな、という気がしています。最初から「2年かける」って言ってたら、わかってたら、果たして人は集まっただろうか、そもそも僕自身やれただろうか。その意味で『ハッピーアワー』を終えて、今一つの袋小路に入ったような心持ちもしています。ここでやったことを次の制作にどういう形で持ち込んだらいいかは正直わからない。

ただ、演出の課題自体は基本的には決まっていて、さっきも言ったように「どうやったらもっと人が動くのか」っていうことです。指示をするっていうのと違うやり方でそれをどう起こすのか。気持ちを挫かれるのは、もしそれを果たしたとしてその先には、人が自由に動いたときに、じゃあカメラはどうするんだ、という問題がある。人を追いきれないと映画は撮れない。ヒキ位置に置けば全体は撮れるけど、僕が一番撮りたいものとしての「顔」はもう撮れない。さあ、どうするか。一個一個考えていきたいと思っています。でも、本当に知りたいのはさらにその先、動かし方を知らないという現状を解消して、あくまで動かし方を知った上でそれでも「動かさない」という選択肢を持てるかっていうことですね。
今後の活動もとても楽しみです。聞きたいことは尽きませんが、本日はここまでとさせていただきます。ありがとうございました!

2015年12月12日(土)より、シアター・イメージフォーラムほか全国順次公開。
12月5日(土)より神戸元町映画館で特別先行上映。

■映画チケット購入アプリ「スグチケ」にて三部通し鑑賞券を発売中!
http://sugu-ticket.neopa.jp/

取材・構成:川邊崇広、島村和秀

写真:川邊崇広
『ハッピーアワー』
©2015 神戸ワークショップシネマプロジェクト
田中幸恵 菊池葉月 三原麻衣子 川村りら
申芳夫 三浦博之 謝花喜天 柴田修兵 出村弘美 坂庄基 久貝亜美 田辺泰信 渋谷采郁 福永祥子 伊藤勇一郎 殿井歩 椎橋怜奈
製作総指揮:原田将、徳山勝巳

プロデューサー:高田聡、岡本英之、野原位

監督:濱口竜介

脚本:はたのこうぼう(濱口竜介、野原位、高橋知由)

撮影:北川喜雄

録音:松野泉

照明:秋山恵二郎

助監督:斗内秀和、高野徹

音楽:阿部海太郎

製作・配給:神戸ワークショップシネマプロジェクト(NEOPA,fictive)

宣伝:佐々木瑠郁
2015 / 日本 / カラー/ 317分 / 16:9 / HD
公式サイト:hh.fictive.jp
ストーリー:30代も後半を迎えた、あかり、桜子、芙美、純の4人は、なんでも話せる親友同士だと思っていた。純が1年にわたる離婚協議を隠していたと知るまでは……。純の現状を思わぬかたちで知った彼女たちの動揺は、いつしか自身の人生をも大きく動かすきっかけとなっていく。つかの間の慰めに4人は有馬温泉へ旅行に出かけ楽しい時を過ごすが、純の秘めた決意を3人は知る由もなかった。やがてくる長い夜に彼女たちは問いかける.—私は本当になりたかった私なの?
  • 『濱口竜介(はまぐち・りゅうすけ)』
    1978年、神奈川県生。2008年、東京藝術大学大学院映像研究科の修了製作『PASSION』が国内外の映画祭で高い評価を得る。その後も日韓共同製作『THE DEPTHS』(2010)、東日本大震災の被災者へのインタビューから成る映画『なみのおと』『なみのこえ』、東北地方の民話の記録『うたうひと』(2011〜2013/共同監督:酒井耕)、4 時間を超える長編『親密さ』(2012)を監督。濱口竜介 即興演技ワークショップ in Kobeを通して制作された最新作『ハッピーアワー』が第68回ロカルノ国際映画祭で最優秀女優賞を受賞。