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♯23「映画と私」廣原暁(映画監督)

ずっと何らかのスポーツ選手になりたいなと思ってたんです

映画監督をやっています。撮影が無い時は、脚本を書いたり、友達やプロデューサーの方に会ったりして、こういう映画を撮りたいと思ってるとか、こんな事をやりたいみたいな事をわいわい話したりしてます。だから、仕事と言っていいのかちょっと分からないですけど(笑)。今、一本原作もので企画があって、それの脚本を書いています。今回のは脚本家の友達と一緒に書いていて、その人と基本的には色々話をして、話した事を彼がまとめて脚本にしていく形で今やっています。
東京藝大を卒業してから、ぴあフィルムフェスティバル(PFF)のスカラシップで一本長編映画を作りました。PFFの映画祭で入選した監督から脚本を選ぶんです。そのコンペティションで選ばれた人が一本劇場映画を撮れるっていう企画がありまして、それで選ばれて『HOMESICK』っていう映画を一昨年撮影して去年公開しました。
初めて映画館で観た映画は『ジュラシック・パーク』だと思います。確か結構後ろの方の席だったんですけど、それでも怖いシーンがあったら顔伏せて隠れて観ないようにして、耳も塞いでました。多分親に無理矢理連れて来られたんです。怯えながら観てた記憶がありますね。『ジュラシック・パーク』は、その後何度か見返しました。大人になってから見たら、すげえ面白い映画だなって思いました(笑)。
『スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス』も映画館で観ました。ペットボトルのキャップを集めてたんで(笑)。小さい頃は映画を観たいって感覚は一切無かったですね。映画館に行って貰えるフィギュアが欲しいとか、割とそっちの方に心惹かれてたって気がします。『もののけ姫』は友達と観に行ったのをよく覚えてます。友達が二回観に行ってて、観ながら説明してくるんですよ。それですごい怒った事があります(笑)。俺初めて観るのに何で先に言うのって。
中学生になってからは、映画館に行くって事がデートだったりとか、友達と外に行くための口実みたいなのがあって、観に行った映画は『踊る大捜査線』とか『ケイゾク』の映画版ですね。テレビ版観てないのに友達や好きな女の子が行くって言うから行ってました。その頃は陸上部で高飛びをやってたんですが、部活か友達と家でゲームしてるかみたいな感じでしたね。高校では、三年間バスケ部に入ってました。厳しい部活だったので毎日時間もなく、朝練もあるし、授業終わった後もあるのですごいハードでした。結構強豪だったんですよ。自分は小さい頃からずっと何らかのスポーツ選手になりたいなと思ってたんです。スポーツなら何でも良かったんです。そこがいい加減なんですけど(笑)。でも何かの才能はあるだろうと思って、色んなスポーツやってみたんですけど、全然芽が出なくてっていう冴えない学生時代でした。
唯一高校時代、親が北野武監督の映画が好きで武映画は結構観てました。『キッズ・リターン』がテレビでやってて、これ面白いから観た方がいいよって言われて、全然観る気なかったけど暇だったから観たら面白かったんです。面白いけど、『ジュラシック・パーク』や『スター・ウォーズ』とは違って、頑張れば自分でも作れそうな気がして、ちょっと映画っていうものに興味が湧き始めたんです。

映画にはよく分からない特別な力があるんだ

その後、体育系の大学に行こうと考えていたんですが、もう辛い思いするのは嫌だなって思って、まったく新しいものを探してたんです。その頃テレビが大好きで、バラエティとかテレビドラマを結構観ていて、それにゲームも好きでファイナルファンタジーとかRPG(ロールプレイングゲーム)をよくやっていました。そういうもの全部映像じゃないですか?映像っていうのは世の中に溢れてるから仕事にも困らないんじゃないかなって思って、漠然と映像にしようと思ったんです。そんなんだから、武蔵野美術大学に入るまでは正直何も分かってなかったんです。
ムサ美では写真やら映像やら映画やら、授業でも観せられるし、友達も色々教えてくれるんですね。刺激を毎日浴びていました。ある時、青山真治監督の『ユリイカ』を観て、もの凄い感動したけどそれが何なのかよく分からなかった。ただ映画にはよく分からない特別な力があるんだと思ったんです。それで、青山監督の本で「われ映画を発見せり」を読み解けば何かが分かる気がするだろうと思って読んだんです。でも全然意味が分からなくって、取りあえず知らない監督がたくさんいるって事と、知らない映画がたくさんあるって事だけ分かって、それで一気に映画を観ようという欲求が高まっていったんですね。
当時ゴダールの『アワーミュージック』が公開されてたんですけど、観てハマりました。とにかく未知のものに惹かれていたんだと思います。三回くらい劇場に観に行きましたね。

8ミリフィルムとデジタル、両方で撮ったんです

二年生くらいの時に映画を作ろうって友達に誘われて、初めて映画を作って芸術祭で上映しましたね。『眠った魚』っていう映画で、不眠症の男の青年が主人公で、不眠症の青年が毎晩夜中バスケットをしているんです。不眠症で寝てないから疲れてて、ふとした瞬間にトリップするとなぜか廃墟にいるっていう。ストーリーがあるのか無いのか分からない様な映画でした。8ミリフィルムとデジタル、両方で撮ったんです。周りで8ミリとか使っている人はもういないじゃないですか?それが面白かったんです。それを使って何かやりたいっていうのがあって、トリップしてる廃墟のシーンを8ミリで撮りました。
評判は意外と悪くなかったんですよ。編集が上手だねみたいな事言われた様な記憶があります。その後何本か作りましたね。よく分からない8ミリ映画撮った後に拳銃でバンバン撃ち合う映画をただ撮りたくて撮ったりとか。
ムサ美の卒業制作では『世界グッドモーニング!!』っていう映画を撮って、大学卒業したら一度就職しようと思ってたんです。でも就職試験全部落ちて、それで東京藝大に行こうと思ったんですね。映画が作れるし、もうちょっと映画やりたいなと思って。『世界グッドモーニング!!』は藝大に入ってから色んな映画祭で上映されたんですが、その前に入試で黒沢清さんに観てもらった時に面白いって言ってくれたんです。そこで初めて人に認められたみたいな感覚になりました。

逆につまんない映画作ってやるみたいな変な開き直りがありました

藝大に入ってからは黒沢さんの授業でダグラス・サークの『天が許し給う全て』を最初に観ました。あと『ヒストリー・オブ・バイオレンス』とか、なるべく新しい映画を観せようとしてくれたんです。他の授業だと大体『戦艦ポチョムキン』とか観せられるから。藝大で『戦艦ポチョムキン』三回くらい観せられました(笑)。
制作では入学してすぐ短編映画を一本撮らされました。その年の夏に16ミリフィルムで一本中編映画を撮って、次の年にオムニバス一本撮って、あとフィルムがもう一本ありました。贅沢と言えば贅沢なんです。プロを生み出すための学校なんで、なるべく自由を利かせないシステムでした。撮影日数も厳しく決まってるんです。そういう中でどうやって撮るかみたいな事を試してたみたいです。
『紙風船』っていうオムニバスの映画はユーロスペースで上映しました。あれは実際に出資会社を見つけてきて、学生だけで企画から宣伝まで全部やるっていうものだったんです。僕が監督したのは『あの星はいつ現はれるか』っていう、大後寿々花さんと森岡龍君が出てる映画ですね。25分くらいの短編映画です。
藝大に入って映画を色々観せられて、やっぱりアメリカ映画ってすごいんだなっていうのを改めて思いました。それまで割とインディペンデントの映画ばっかり観てたんで。古典ハリウッド含めて、また観なきゃいけない映画が増えたって感じでした。でも制作に関しては面白いのを作るのは無理なんじゃないかって感じがあったんです。修了制作の時には、逆につまんない映画作ってやるみたいな変な開き直りがありました。そうすれば、周りの評価など気にせずに、素直に自分が作りたい映画が作れるんじゃないかと思ったんです。脚本も自分の別れた彼女の事みたいな、どうしょうもない事を書いていました。でも、やってるとやっぱり面白くしたいなと思って色々やってしまうんです。そんな、捻くれた感じで映画を作っていました。それが、修了制作の「返事はいらない」という映画です。その時、同時並行で『HOMESICK』の脚本を書いてました。

映画作りにおいての一番の敵は、自分の凝り固まったイメージなんじゃないか

卒業の頃には3・11の震災があって、これからどうしたらいいものかと呆然としていました。取りあえず卒業制作を上映して、取りあえずスカラシップの脚本書いてみたいな、何かそういう取りあえずばっかりですね。
『HOMESICK』の撮影では、子供との撮影が新鮮でした。彼らは中々上手くフレームに入ってくれない。それをフレームに入れようと指示すると、魅力的な子供の動きが失われてしまう。映画作りにおいての一番の敵は、自分の凝り固まったイメージなんじゃないかと思わされました。
映画作りは上手くいかない事がたくさんあって、でも上手くいかない事に対して一人じゃなくて同じスタッフや俳優と一緒に相談して乗り越えていけるっていうのが面白いですね。でも一人で脚本書くっていう事は大変ですし、撮影や編集でも一人で考えなきゃいけないところがあったりしてそれは大変だし辛いですね。だからなるべく自分で責任を負わないようにもっていきたいなと思ってるんです。人に相談したり任せちゃうっていう事ですね。やりたいようにやってくれって。もちろん、僕もやりたいようにやって、それで面白いものができたら最高です。けど、やっぱりそれは難しくて、誰もが監督の顔色を気にするし、僕も実際に許せない事はたくさんある。じゃあ、自由な映画作りって何なんだろうかって、ずっと考えています。
今はこれまでの映画とは違って、ドタバタコメディみたいなものを作ろうと思っています。無駄にドタバタする、それからよく喋る。スポーツのような感覚で、魅力的な活劇になればよいなと考えています。こういう映画を作る人なんだって思われたくないので、なるべく色んな映画にチャレンジしてみようと思っています。やってみてやっぱ出来なかったってなるかもしれないんですけど。まあやってみなきゃ分からないんで。

あのときの一本

『オルエットの方へ』(1969年/監督: ジャック・ロジエ)
3時間くらいで長い映画なんですけど、3人の女の子がバカンスに来て、騒いだりワイワイしてるってのがほとんどで。そういう瞬間瞬間に湧き上がってくる幸福みたいなものを観てるとただ幸せになる。本当に分かりやすい単純な理由なんです(笑)。
『HOMESICK』
6月26日(木)~7月12日(土) シンガポール日本映画祭(シンガポール)にて上映!
聞き手:川邊崇広
写真・構成:川邊崇広
『HOMESICK』
監督・脚本:廣原 暁 出演:郭 智博、金田悠希、舩﨑飛翼、本間 翔、奥田恵梨華/プロデューサー:天野真弓/撮影:下川 龍一/録音・整音:渡辺一輝/美術:飯森則裕/音楽:トクマルシューゴ/編集:石井沙貴/助監督:飛田一樹/制作担当:和氣俊之/製作:PFFパートナーズ=ぴあ、TBS、ホリプロ・東宝/提携作品/配給・宣伝:マジックアワー/2012/日本/カラ―/デジタル/16:9/98分(C) PFFパートナーズ/東宝
http://homesick-movie.com/
  • 『廣原 暁 (ひろはら・さとる) 』
    1986年、東京都出身。武蔵野美術大学造形学部映像学科卒業。 東京藝術大学大学院映像研究科映画専攻監督領域修了。黒沢 清、北野 武に師事。『世界グッドモーニング!!』(09)が2009年、京都国際学生映画祭準グランプリを受賞。さらに、第29回バンクーバー国際映画祭ドラゴン&タイガー・ヤングシネマ・アワードにてグランプリ受賞を皮切りに、第61回ベルリン国際映画祭など、国内外の多数の映画祭にて上映される。他作品に『あの星はいつ現はれるか』(オムニバス映画『紙風船』の第一話)(11)、 東京藝大大学院修了作品『返事はいらない』(11)など。PFFスカラシップ作品の『HOMESICK』(13)は現在も多くの海外の映画祭で上映されている。