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♯49「映画と私」相原拓(映像翻訳者、JVTA講師)

「映画とあなた」のあいだにある物語を知りたい。幼少期の記憶から映画との現在まで。

「学校」と「翻訳エージェント」2つの柱

相原拓(以下、相原):日本映像翻訳アカデミー(JVTA)という会社に勤めています。JVTAは翻訳を教える「学校」と「翻訳エージェント」という2つの柱があり、僕は講師とディレクター、両方の仕事をしています。

講師としては日本語字幕と英語字幕のルールや作品解釈について教えたり、新たな講座や単発の講義を企画しています。ディレクターとしては翻訳依頼を受けた作品に対して翻訳者の手配とそのディレクションをします。僕は主に日本語から英語への日英翻訳、英語字幕の作成、吹き替えに携わっています。

映画の記憶

相原:僕の家族は転勤族で大学を卒業するまでアメリカに住んでいたのですが、小学校低学年の2年間だけ日本の川崎に戻ってくることができました。その時期に『火垂るの墓』(監督:高畑勲/88年)を見たんです。物語を解釈できてはいなかったと思うんですけど、そのときに体験した感情は鮮明に覚えています。小学生ながら号泣したんですよ。感情に訴えるインパクトがあったんですよね。

中高生の頃は、映画はひとつの娯楽という認識で見ていました。その頃好きだった映画は『ファイト・クラブ』(監督:デヴィット・フィンチャー/99年)です。出演しているブラット・ピットやエドワード・ノートンが格好いいなって(笑)。映像に漂う、デヴィット・フィンチャー監督独特のセンスも好きでした。

比較的、映画をよく見るようになったのは大学生になってからです。アメリカの大学に通い、7〜8人でルームシェアをしていました。メンバーは個性が強くて、髪が紫色の中国人やイエス・キリスト似の長髪のベーシストなど、本当に風変わりな人たちで。週末はビデオで映画を見ていた仲間が誰かしらいたので、便乗してビール飲みながら観賞していました。ただ、たくさんの作品を見ていたということではなく、ルームメイトの好きな映画を何度も繰り返し見ていました。そのなかで僕が好きになったのはコーエン兄弟の作品です。『ビッグ・リボウスキ』(98年)以降の作品は欠かさず見ています。

ルームメイトみんなでハマってたのは『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』(監督:ジョン・キャメロン・ミッチェル/01年)です。僕も確かに面白いと思ったのですが、カルト的なファンのルームメイトがいて、かなり繰り返し見た作品です(笑)。

映画翻訳をはじめた理由とは?

相原:学生時代はこのままずっとアメリカにいるものだと思っていて、日本に対しての繋がりを意識することはありませんでした。しかし、ちゃんと将来を考えたときに、日本で長く暮らしたこともないので一度くらいは戻ってみようかなと、大学卒業のタイミングでノープランのまま日本に帰国する事にしました(笑)。

一年間は実家がある川崎市に住んで英語講師をしていました。同時期に大学の仲間のひとりが日本の英会話スクールに就職をして岡山県に住んでいたんです。その友人に何か自分たちでも会社をやろうと誘われて、僕も岡山に行くことにしました。勿論、岡山に縁があるわけではないです。でもいざ行ってみると、気候もいいし、災害もないし、いい仲間に恵まれ充実した日々でした。

ただ、はじめた会社は結局なかなか発展せず、友人も一年半ほどで帰国してしまい…。僕は岡山を離れる理由がとくになかったので、そのまま四年ほどいました。当時も英会話スクールの講師を務めていましたが、仕事を楽しむことができなくなり、結果、模索の時期だったのだろうと思います。

そんな時、「翻訳」という仕事に興味を持つようになりました。僕は小さい頃から、家庭では日本語、外では英語だったのでこの言語スキルを活かす方法がないかなと考えていたら自然と思いついたんです。ただ、翻訳といっても種類があって何がいいかなと考えたときに、『映像翻訳』を選んだんです。それで関東に戻り、翻訳の勉強をするためJVTAに入学しました。

学校には映画がなくては生きていけないという映像好きもいれば、語学の勉強が優先というひともいます。僕は後者でした。日本人なのに日本語がうまく使えないというコンプレックスがあったので、克服のため、日本語を徹底的に勉強しました。当時はかなりの情熱と気合いが入っていたと思います。

JVTAに入社。映像を仕事にすることとは?

相原:週末はJVTAの英語を日本語に翻訳する英日コースに通い、平日は塾でアルバイトをするという生活を一年半続けました。当時のJVTAでは日英翻訳の需要は増えていたのに、出来る人が少なかった。そこで「英語できるんでしょ」と声をかけていただき、英語字幕のお仕事もさせて頂くようになりました。それで卒業間近にスタッフの空きができ、お誘いいただいてJVTAのスタッフになったというわけです。

入社当時は基本的な電話やメール、クライアントから依頼を受けて発注したりと、通常業務を行うのも僕にとっては大変なことでした。また、映像に対しての理解がまだまだ足りないことに気がついたのもこの時です。僕の場合は入り口が「言語」だったわけなのですが、この仕事は「映像」あっての翻訳なわけです。そのため先輩からは「映画をたくさん見なさい」とご指摘を受けたりもしました。そのため、仕事をはじめた頃は浴びるように映像作品を見るようにしました。

そうして、通常業務や映像についての知識も少しずつ増えていって、気持ちに余裕がでてきたときに、やっと、自分は映像と向き合っているんだと認識できるようになりました。

お仕事で出会った濱口竜介監督 『親密さ』(12年)に衝撃を受けたことも仕事への意識が変わるきっかけになりました。世の中にはこんな素晴らしい作品があるんだと驚いたわけです。すると自然と濱口監督の他の作品や制作の背景、人物像、影響を受けた監督などが知りたくなったんです。また、そういった好奇心につられるように映像制作にかける情熱もさらに湧いてきたわけです。

作品との出会いが仕事の喜び

相原:作品になった状態の日本語というのは行間に含まれているニュアンスや文化的な背景など、非常にハイコンテクストなものです。それを英語に落とし込むということは、どういう意図で言葉が使われているのか読み解き、同じ表現になるように英語に訳さなくてはいけません。とても時間がかかる作業です。文脈を踏まえた上で、観客に伝わる言葉にするというのは非常に難しいんですよね。

ただ、英日翻訳と違うのは、日本の作品なので国内に映画の制作陣がいるということです。海外の作品であればこういう意味だろうなと推測で仕事をしなければならない範疇も監督やプロデューサーと直に解釈を確認しながら翻訳することができる。そのため、より確実でクオリティーの高い翻訳が出来上がると思っています。それに、作品を作ったご本人に聞けるわけですから、贅沢ですよね(笑)。

やはりこの仕事のやりがいは作品との「出会い」です。興味の問題は別にして、こんな作品が世の中にはあるんだと、同じ内容のものが二度はないので、そういった数々の作品に出会えるのが日々の楽しみです。また、濱口監督作品のような、衝撃的な作品に携えるのも大きな喜びです。

あのときの一本

デビット・リンチ監督作品『マルホランド・ドライブ』(01年)
相原:初めて見た時「僕は一体何を見てしまったんだ…」という不思議な気持ちになりました。つまらなかったわけでもないですし、好きだったというわけではない。ただただ、印象に残ってる。だからデビット・リンチ監督作品に精通している方に色々お話を聞いて、もう一度見直したいとおもっています(笑)。
◼︎日本映像翻訳アカデミー(JVTA) 公式サイト
http://www.jvtacademy.com/
■日本映像翻訳アカデミー(JVTA)翻訳作品/LOADSHOWにて世界に向け配信中!!
□加藤直輝監督作品『FRAGMENTS Tokyo murder case』
http://en.loadshow.jp/film/2
□濱口竜介監督作品『不気味なものの肌に触れる』(英題:Touching the Skin of Eeriness)
http://en.loadshow.jp/film/8
採録・構成:島村和秀
『日本映像翻訳アカデミー(JVTA)』
業界の第一線で活躍するプロの映像翻訳者を養成するスクール。輩出したプロは 約1000人に上る。併設するエージェント部門(東京/LA)では映画・テレビドラマなど エンターテイメント素材を中心に多様な翻訳案件を扱うほか、字幕版・吹き替え版の 制作など映像編集業務にも対応する。国内外の映画祭、映像イベントでの特別上映 プログラムやワークショップの実施などコラボレーション企画の実績も豊富。著書に 「はじめての映像翻訳」(アルク)などがある。公式Webサイト: http://www.jvtacademy.com/
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  • 『相原拓(あいはら・たく)』
    1981年、福島県生まれ。幼少期より20年間アメリカで過ごし、ミシガン大学教養学部を卒業後に本帰国。現在は日本映像翻訳アカデミー(JVTA)で講師と翻訳ディレクターを務める。海外マーケットや映画祭出品用にテレビ番組や映画などの英語版制作のディレクションを担当。自身が字幕を手がけた作品は松江哲明監督『フラッシュバックメモリーズ 3D』(2012年)、牛原虚彦監督『怪猫謎の三味線(恩讐謎の怪猫)』(1938年)他。