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♯22「映画と私」保坂大輔(映画監督・脚本家)

誰も観たことの無い物語

映画やテレビドラマの監督と脚本家をしています。でも最近は仕事の7~8割が脚本業かな。清水崇監督作品『ラビット・ホラー3D』、英勉監督作品『貞子3D2』などの脚本を書きました。

僕が脚本を書く上での究極的な目標は、言うなれば「誰も観たことの無い物語」を作る事です。2000年以降の映画で言えば、ロン・ハワード監督作品『ビューティフル・マインド』やミシェル・ゴンドリー監督作品『エターナル・サンシャイン』に新しい物語の可能性を感じました。

また、クリストファー・ノーラン監督作品『インセプション』を観た時にも驚かされました。僕は過去や夢が交錯する物語をよく作るのですが、同じ様に、空間や時間が交錯していても感情の繋がりが一定している映画が僕の好みみたいで。僕が脚本を書いた『ラビット・ホラー3D』でも過去の記憶世界に入るシーンがあるのですが、本当は「過去の過去」と3重先まで書こうとしていてさすがにプロデューサーに止められました。ですので、インセプションを観た時は「先にやられた!」と、ある種の悔しさを感じました。もしかしたら、「誰も観たことの無い物語」は自分の心の深層のさらに奥にあるのかなとも思います。

寝る前の妄想が創作の起源

僕の一番最初の映画体験は、幼稚園の時に隣の家のおばさんに連れて行ってもらったスティーブン・スピルバーグ監督作品「E.T.」ですね。号泣したのを覚えています。どのシーンが心の琴線に触れたとかは全く覚えていないのですが(笑)。

それで、幼なじみに桐山真二郎くんという映画監督になりたいと言っていた友達がいて、子供の時は真似っこ感覚で「僕も映画監督になる」って。それだからいつも一緒に映画を観に行ってました。中でも渋谷パンテオンで観たロバート・ゼメキス監督作品『バック・トゥ・ザ・フューチャー』は忘れられない一作です。

映画以外ですと、幼稚園のころから僕は漫画家「藤子不二雄」に傾倒していて、『21エモン』や『藤子・F・不二雄のSF短編集』を特に好んで読んでました。また、『藤子不二雄ランド』という週刊販売の単行本を毎週欠かさず買っていましたね。

中学生になって映画監督を目指していた桐山くんと学校が別れてしまい当時はビデオレンタルもあまりなかったので、1人で映画館に観に行くことが多かったです。なかでも、ハリウッド作品を観るのが大好きでした。

そんな生活のなかでケビン・コスナー監督作品『ダンス・ウィズ・ウルブズ』を観た時にはっきりと「僕は映画をつくろう」と決めました。映画の内容は迫害されるインディアンの集落に傷を追ったケビン・コスナーが現れ、助けてもらい、少しずつ心がインディアンになっていくそれでも結局白人たちがインディアンを殺しに来る…という話だったと思います。多分、描かれている差別の問題が僕のなかで響いたんですね…

なんでそんなに感動したのかと言うと、やっぱり子供の時いじめられていたというのが大きかった気がします。小学生の時は結構最悪な毎日を過ごしていて、漫画や映画に逃避していたんですよ(笑)。恐らく、僕の創作の起源はそこにあります。夜、眠る前にいつも物語を妄想していて、想像のなかにいる時だけ僕は物語の中で活躍できる。

初監督作品はひどいタランティーノのパクリみたいな映画でした

それで、幼なじみの桐山くんが「大学に入学したら8ミリで自主映画を撮る」と言い出して…当時、黒沢清監督や青山真治監督、周防正行監督らが邦画のムーブメントを作っていた時代で、そういう人たちはみんな早稲田大学か立教大学で映画を作っていたらしいということを桐山くんはキャッチしていたみたいで、それだから俺も大学に入ったら自主映画作るんだって言い出して。その勢いに僕も引っ張られるように「じゃあ僕も立教か早稲田に入学するぞ!」って。

でも結局僕は早稲田大学の試験で落ちてしまい、桐山くんは早稲田大学に、僕は立教大学と別れてしまったのですが、今でもよく一緒に遊びます。桐山くんは現在テレビドキュメンタリーのディレクターをしていて、今でも僕にとっては常に一歩先をゆく存在で、監督としても尊敬しています。

立教大学での生活は本当に刺激的でした。僕は映画研究会に所属していたのですが『アブラクサスの祭』を監督した加藤直輝くんなどがまわりにいて、他にも大学8年生のような先輩たちが部室でいつも「サム・ペキンパー」だとか「ロバート・アルドリッチ」などを話題に映画の話を延々としていて。

「お前あれ観た?」って後輩の僕にたまに話を振ってくれるんですけど観ていない作品ばかりなので答えられず、なんとか先輩達の話についていけるよう、この時代に有名無名に関わらずたくさんの映画を観ました。その時ロバート・アルドリッチ監督の映画を知って、面白いなーって。

そして念願の映画制作も始まりました。当時、同世代の間ではクエンティン・タランティーノ監督がヒーローで、『レザボア・ドックス』が話題になって、それで『パルプフィクション』でパルムドールを受賞するなど乗りに乗っていた時だったので非常に影響されました。そのため僕の初監督作品は男2人がマリファナばっかり吸って、延々くだらない話をするといった、ひどいタランティーノのパクリみたいな映画でした。脚本もほとんどありませんでしたね。親父のビデオカメラで自分の部屋だけを使って撮影しました。

本当に僕は1人じゃ何も出来なかった

それからも自主映画をコンスタントに監督して立教大学時代は全部で4~5本は監督したと思います。監督してみて自分が制作した映画の評判が良いと嬉しかったですね。思い返してみれば僕は評価されるなんてことがまったくなかったので。

大学生の時って、良くも悪くも自分の好きな監督や作品に影響されすぎるものだと思うんですけど、僕はロバート・アルドリッチ監督に傾倒していたので、男達の戦いにすごく憧れていて、それだから『ダイナマイト青春』というプロレス映画を監督しました。

当時、それなりに就職活動をしていたのですがどこにも受からなくて…途方に暮れていたら京都学生映画祭に『ダイナマイト青春』が入選しましたと連絡が来て、なし崩し的に僕の映画人生が開けていきました。

京都学生映画祭の審査員には憧れの黒沢清監督がいました。しかし、当時は生意気な学生だったので「ロバート・アルドリッチを意識したんですよ」とか言っちゃって(笑)。黒沢監督によくそんなこと言えたなって今考えるととても恥ずかしいです。

立教大学には篠崎誠監督の授業があったんですけど、黒沢清監督はそこで篠崎誠監督の授業を薦めてくれて、それから篠崎監督の授業をうけるようになりました。

映画美学校に入ったのは、篠崎監督の勧めでした。もうお分かりだと思いますけど、本当に僕は1人じゃ何も出来なかったと言うか、僕を映画の道に案内してくれたのは幼なじみの桐山くんと篠崎監督でした。

立教大学6年生の時に、映画美学校に入りました。同期には杉田協士くん、池田千尋さん、瀬田なつきさんらがいて、僕は立教大学ではそこそこ評価されていて、敵なし感覚だったんですけど、映画美学校に入ったらすごく才能のある人ばかりで驚いたのを覚えています。

『世界は彼女のためにある』は小学生の妄想なんです

みんなオリジナリティーというか独特の話法を持っていて、これまでは自分の好きな映画を真似していたところがあったんですけど、映画美学校ではそれが通用しなくなってしまったという感触がありました。そのため、映画美学校での2年間は自分の方法論を探す時間でしたね。

映画美学校の修了制作は優秀な生徒が選ばれて、映画美学校からお金を頂き映画を撮るんですけど、1年目の初等科での修了制作時は選ばれず、でも周りの監督は自分しか撮れない映画を撮っている。それだから、もし高等科で修了制作の監督に選ばれなかったら自分は「映画」を辞めようと決心しました。

もしかしたら、次が最後の一作になるのかもしれないなら、本当に作りたいものを作ろうって決め、そこで初めて自分と向き合ったと思います。僕は立教大学での学生時代に映画をたくさん観て、批評的な目が自分の内側に向いてしまい、その目が僕のクリエーションを邪魔していたんじゃないかってある時に気がつきました。

それで、あのいじめられていた子供時代、眠る前にしていた妄想の方がよっぽど面白いんじゃないかって考えて作ったのが『世界は彼女のためにある』です。なので、あれは小学生の妄想なんですよ(笑)。

心のパンツを脱ぐ

やっぱり妄想していた子供時代こそが原点だったんだと思います。僕はよく「心のパンツを脱ぐ」っていう表現をするんですけど、結局、色んな価値観をインプットすることで、今までもっていた純粋な価値観みたいのが否定されることがあるのですが、やっぱり最後に頼るのは自分の原点にあるものなんだと感じます。

『世界は彼女のためにある』を25歳の時に監督して翌年、26歳でゆうばり国際ファンタスティック映画祭のオフシアター部門で審査員特別賞を頂き、そのタイミングで篠崎監督が僕にプロデューサーを紹介して下さって、次第に仕事を頂けるようになって行きました。

よくしていた仕事はアイドルドラマのメイキング制作です。BS-TBS製作のアイドルドラマ『恋する日曜日』などのメイキングを撮っていました。メイキング制作は2年間くらいしていましたね。

それとほぼ同時期に、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭で知り合ったプロデューサーが、仕事を紹介したいと制作会社に連れていって下さったのですがそこで「脚本家の保坂くんです」と紹介されてしまい、えっ!?って驚きました。今考えると、そのプロデューサーは僕のなかに脚本家の才能を見ていたのかもしれません。

初めて脚本家として携わった映画が江川達也監督作品『KING GAME』でした。また、メイキング制作を始めて一年半くらい経って、少しずつ深夜ドラマの監督を任せて頂けるようになっていきました。脚本は別だったので、監督専門でしたけど。

修了作品の制作から今までは目の前の仕事を追い続けて、気がついたらここにいたという感じがします。今は映画美学校で講師もしています。講義もしますが生徒が課題でもってきたシナリオやビデオを見て、「こうしたら?」などアドバイスを送ることをしています。

これからの活動において、脚本家としては「誰も観たことの無い物語」を目指して、エポックメイキングになるような作品を作りたいと思っています。僕にとって「映画」というのは普段生活していて出来ないことから一歩踏み出して、勇気を持った一言を言えたり、秘めたる感情を出せるものだと思うんですよね。

そういう意味では『世界は彼女のためにある』は、笑かしなんじゃないかと思われることがあるんですけど、本気でした。もちろん、笑ってもらえると嬉しいですけど(笑)物語を作るのは何にしても「本気」でぶつからないとダメだと僕は考えています。

あの時の一本

『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(1985年/監督:ロバート・ゼメキス)
『シンドラーのリスト』(1993年/監督:スティーブン・スピルバーグ)
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』はもう身体にしみ込むほど観ました。『シンドラーのリスト』みたいな映画はまだ作ったことないですけど、いつも心に残っています。
『世界は彼女のためにある』LOADSHOWにて配信中!!!
http://loadshow.jp/film/51
聞き手:島村和秀
写真・構成:島村和秀
『世界は彼女のためにある』
《Story》クラスメイトからいじめられるカヲリだったが、泣いたことのない坂ノ下は彼女・カヲリを守ってやれない。そして突然の坂ノ下の事故死。だが二人の間の交換日記は続いていた。実は坂ノ下は国家のために培養されたクローン人間第二号だったのだ。非日常的現実に徐々に錯乱していくカヲリ。助けを求めて受けた手術の果てに、二人は想像を絶する再会を果たすのだが……。
製作:映画美学校/監督・脚本:保坂大輔/撮影:松本岳大/音楽:長蔦寛幸/録音:吉村健作/美術:原尚子
出演:坂ノ下博樹,布瀬谷香,諏訪太朗,小田部千夏,堀江慶,浅野麻衣子,津田寛治
  • 『保坂大輔(ほさか・だいすけ)』
    映画監督・脚本家
    立教大学文学部キリスト教学科卒。在学中に制作した映画『ダイナマイト青春』が京都国際映画祭に入選。卒業後、当時立教大学で講師をしていた篠崎誠の勧めで、映画美学校に入学。映画美学校高等科修了作品として監督した『世界は彼女のためにある』が、2005年ゆうばり国際ファンタスティック映画祭・オフシアター部門審査員特別賞を受賞。その後『貞子3D2』(英勉監督作品)や『ラビット・ホラー3D』(清水崇監督作品)などの脚本を手がけ、現在は脚本家、映画監督としてだけではなく映画美学校のフィクション・コースで講師も務めている。