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♯28「映画と私」川本直人(映画作家)

—瀬戸内が生んだ気合いの塊・川本直人—

映画作家の川本直人です。東京を拠点に瀬戸内をテーマにした制作活動をしています。出身は瀬戸内海にある生口島という島の瀬戸田という所で、小・中・高校を卒業するまでずっと「島」という無菌室のような環境の中で生きてきました。高校卒業後は、上京してダンスや舞台をやりたくて多摩美術大学の映像演劇学科に入学しました。でも、大学2年時にちょっとしたきっかけで映像を専攻するようになって、それからはずっと映像を中心に制作しています。

2011年、大学卒業の直前に3.11がありました。そこで、なんとなく島に帰って、これからどうしよとか考えてたんですが、一ヶ月くらいしたら島の生活に耐えられなくなって、改めて上京。それからは、中華料理屋でアルバイトしたり、VP(ビデオプロモーション)の制作会社に就職したり、カメラ機材のレンタル会社で働いたり。作品は作品で、就く仕事に関わらず作っていました。今は母校である多摩美術大学の映像演劇学科の副手として働いています。

制作は、毎年2本を目安に作品をつくっています。それと並行して、毎年故郷で『瀬戸田映画祭』という映画祭を主催していて、今年で3回目になります。

これまで自分が作った作品は日記映画とかドキュメンタリー、アニメーション、実験映画とジャンルについて特に考えず制作してきました。多分、専門学校じゃなくて、美大というのが大きかったと思います。基本的に技術を学ぶ場ではなく、いかに特異性や独自性を出していくかというような、そんなことばかりを考えて制作していましたので。

—いずれこの世界から飛び出して、本当の世界に行くんだ!—

僕が人生で初めて観た、というか思い返して覚えている映画は、深作欣二監督の『里見八犬伝』ですかね。ラストの方で、仲間がすすんで犠牲になって、どんどん死んでいく。そんなところに感動したのを覚えています。

あとはジャッキー・チェン監督作品の『酔拳』ですかね。強くて、おもしろいジャッキーに憧れていました。でも、どちらかというと僕は映画というより漫画にはまっていました。それもジャンプ。小・中学生の頃は漫画家になるのが夢でしたし。「なにかをつくる」とか「表現」といったようなことを、はじめて意識したのは漫画がキッカケでした。

小学低学年頃は特に「キャプテン翼』が好きでした。3つ年上の兄が買ってたんですね。「ドラゴンボール」か「キャプテン翼」どっちを買い集めていくか悩んだ末、兄は『キャプテン翼』を選んだみたいです。そのお陰で、後々まで「キャプテン」っていうその揺らがない存在感に憧れることになりました(笑)。

あと同時期の作品でいえば『SLAM DUNK」。これは「ほんとに好き」っていえる初めての作品かもしれません。その物語の世界に憧れすぎて、単行本に直接描き込みをしたりしていました。観客の一人を自分で付け加えたり、桜木花道の汗を足してみたり(笑)とても主観的に読んでましたね。自分も高校生になったら、桜木花道みたいになるんだなって思っていました。

育った瀬戸田町は人口が9千人くらいで、決して小さな島という感じではないのですが、当時はインターネットもなかったせいか島の外の情報があまり入ってこなかったので、相対的に島を視ることができませんでした。だから「ここは一般的ではない場所」「まだ始まってない場所」という意識がありました。知らない女の子と出会うこともないし、ゲーセンもないし、危険な場所も、ピンクなお店もない(笑)

それだから、ここにいても一生何も始まらないなと考えていました。島は世界の片隅というより、隔離された、一般の世界とは違う、また別の世界だと感じていたんです。「いずれこの世界から飛び出して、本当の世界に行くんだ」というのが感覚的にずっとありました。『未来少年コナン』の「のこされ島」みたいなイメージですかね。

じゃあ本当の世界って何だって言ったら、漫画やドラマで観るような「東京」だったりするんですけどね。「学校帰りにマック寄ろうぜ」とか、「サーティーワンアイス奢ってやるよ」みたいな世界を、本当の世界だと真剣に考えてた。だからマクドナルドもサーティーワンアイスもない瀬戸田という場所にいる自分が、舞台に立てていない感覚がして、とてももどかしくて、ずっと嫌いでした。

—俺は誰のためでもなく、俺のために走ってんだ!—

「退屈な島」を初めて飛び出したのは、中学校卒業して、高校入学するまでの春休みでした。東京の知り合いに、「東京から瀬戸田(広島県尾道市瀬戸田町)まで乗って帰るなら自転車やる」って言われて、東京まで自転車もらいに夜行バスで行くことになったんですよ。それで、島を出る口実にヤッターってなって、「やっと始まるぞ」って意気揚々と島を出ました。

自転車を受け取って、旅の一番始めにしたことは、好きな子に電話することでした。旅先の公衆電話から「元気にしてる?」と言いたかったんですよね。多分。ケータイも持ってなかったし。あとはコンビニでチョコ買いました。それとコーラ。あんまりそういったものを食べさせてくれない家だったので、コンビニ前でコーラとチョコ食べて「うまー!!」って感激したのを覚えています。当時15歳。電車も乗り方分かんなかったくらいだし、いちいち何にでも感動してましたよ。

とはいえ、初めての「本当の世界」は一言でいうなら「辛い」でした。寂しさもあるし、厳しさもある。チャリンコ、漕がないと前にも進まないですし。

ちなみに、この15の旅は、自分でも気付かないうちに広まっていって、地方紙に紹介されたり、知らない人からエールもらったり、24時間テレビのマラソンみたいになっていて。「あなたはすごいことをしているのよ。頑張って!」なんて言われたりしたんですけど、僕も思春期でささくれてたんで、「俺は誰のためでもなく、俺のために走ってんだ!」って雨の中、泣きながら走ってました。

初めての旅で抱いた感想は、人は環境や出来事で変わることはない、ということです。すくなくとも変化は結果論だと。つまり「本当の世界」に行こうが、変わるのは環境であって、自分は相変わらずささくれてる。それって変わってないよなって。

でも、色々な場所をみられたのは自分にとって大きな収穫でした。それで、瀬戸内に帰ってきたときは圧倒されました。「なんだ、この美しさは。こんな場所旅先にはなかったぞ」って。環境や人ではなく、初めて土地や風景として瀬戸内と対峙した瞬間でした。

—だめ。全然本気じゃない。気合いが足りない!—

中学、高校って体育祭とかの催しでダンスを踊ったりするじゃないですか。それが僕は大好きで、メンバー集めて音頭とって、振り付けしてっていうことを中学生の頃からしていて、高校2年生の時には『ジコマン』という映画を監督しました。内容はたしか・・・学校に閉じ込められたサッカー部が、パンツ被った一人の変態に襲われて、部員が一人また一人と減っていくっていう話だったと思います。襲われた際のリアクションを各自考えてもらうんですよ。

でも、僕は「だめ。全然本気じゃない」って。もう、笑えなくなるまでやってもらって、飽きてきたら「じゃあ本番いこっか」ってなる。今思えばそれがやりたかっただけかも。ジャンルとしてはホラーですかね(笑)その映画があまりにもヒドくて。お客さんが「意味分かんない」って。

それで悔しくて、次の年には『ジコマン2』という続編をつくってみたりしました。これは好評でしたね。ローソン・マーシャル・サーバー監督のコメディ映画『ドッヂボール』に感化されてつくった、ドッヂボール映画だったんですが、主に試合中のドッヂボールでいかに死ぬかが勝負でしたね。「だめ。全然本気じゃない。気合いが足りない」って、やっぱりかなりストイックに挑戦しました(笑)でも「監督デビューだ!」みたいな実感とかは全くなくて、体育祭のダンスの発表とかの同じ流れに映画制作もあったんだと思います。

なんで技術や知恵もないのに「制作」に対して挑戦していけたかっていうと、できる環境があったからだと思います。「あれやりたいね」って言ったら周りが動いてくれて。結局、最後になって何も身に付いてないのは僕だけで。撮影終盤まで「よーい、アクション!」のところを「よーい、カット!」って言ってて、撮影現場をみにきてくれてた先生に「それおかしくないか?」って言われるくらい。「よーい、カット!・・・はいカット!」撮影中ずっと叫んでました。

そろそろ高校も卒業だって時に、なぜか進路の選択肢で、ニューヨーク行きか美大かの二択で悩んでいました。ニューヨークについては向こうで何かをしようというわけではなくて、とにかく遠くへ行くことが大事だったんだと思います。向こうには何かがある、待ってるはずだ。みたいな確信を抱いていました。

美大を志望した理由は全然思い出せませんが、当時美術室に通ってて、美術の先生がダンスカンパニー「コンドルズ」の公演映像を観せてくれたんです。「これなら自分にもできるかも」って思っちゃったんですね。それで「ダンスやろう」と。

当面の目標になりました。それからその先生と受験対策をしました。多摩美の映像演劇は面接時に自由にパフォーマンスする試験があるんです。それで美術の先生が「何かしろ」と言うんで、「尾崎豊歌います」って言って、教室の隅でホウキを手に熱唱しました。

そしたら「殺気は伝わったぞ」って。「ありがとうございます」「でも音程がな」とか言われて、それから「ドレミファソ〜」って、先生の後に続いて、美術室で永遠と音階の練習していました。試験当日は結局裸で踊って、運良く多摩美術大学に合格できましたけど、歌はいまだに下手です。

中・高の頃、映画館へは自転車で行ってました。小学校の頃、「しまなみ海道」が完成して、本州の尾道から四国の今治まで橋で繋がったんですね。その橋を自転車で渡って、今治まで映画を観に行くわけです。往復100キロくらいかな。とにかく坂が多くて、初めて行く人は、向こうへ着いた時点で「ゲー」って。デパートでもどしたり。それくらいキツかったです。

今治で観た映画は『スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃』とか『ロード・オブ・ザ・リング』などですね。特に『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズは周りの友達も好きでした。「行って帰ってくる」という構図が好きだったんじゃないでしょうか。過酷な環境で、自転車をこぐ自分達と重なっていたのかもしれません。逆に瀬戸田でたまたま観た新藤兼人監督の『裸の島』は観終わって絶望した気持ちになりました(笑)「やっぱり繰り返しか」って。とにかくあの頃の映画鑑賞は、体験が伴うものでしたね。

—地元の島がすっかり「本当の世界」になってました—

さあ念願の、東京という「本当の世界」で暮らすようになって、最初の1年間はとにかくいつ島に帰るかってことばかりを考えてました(笑)その頃の彼女が地元にいたってのもあったけど。プチ引きこもりですね。1年が終わる頃には、地元の島がすっかり「本当の世界」になってました。

結局引きこもりも1年続かなかったんですが、そういう状況から抜け出せたのは、大学の助手さんの存在が大きくて、僕の今の仕事の前任者ですね。親身に話を聞いてくれて、その人との関わりの中で今のままではいけないな。恥ずかしいなと。その人が、詩人であり、映画作家だったんで、その流れで気付いたら映画を専攻していました。

僕が大学で初めて制作した映画は、その人に当てた手紙でした。最も正直で、最も切実なものをテーマにしたかったんです。とにかく半端なものをつくりたくなかった。知識や、技術では周りに全く及ばないことも分かってたんで。とにかく撮りたいものを撮りまくりました。

当時僕は8ミリフィルムカメラを使っていたんですけど、音を同時録音できなかったんですね。カメラ内で。だから、撮りまくった映像をどう後撮りの音や編集によって解釈するか、どう肯定するかが勝負でした。明確に過去が確認できることは初めての体験で、撮影することはまさに「行って帰ってくる」の連続でした。行って撮影。帰ってラッシュ。「これどうなったら映画になるんだ・・・」ってよく頭抱えてました(笑)

そんな時に園子温監督の『俺は園子温だ!』を観たんです。それ観て驚いて「もう自分で出て、喋っちゃお」と割り切りました。

以降は手法として似たような映画を何本かつくりました。ジャンルとしては日記映画になるのでしょうか。画としては、イメージの連続という感じでしたが、卒業制作の頃には、カメラの前で自覚的な行為になっていきました。具体的に「語りかける」とか、「移動する」とか、「その後」とか。人や場所や時間ですね。前はそんなの関係なかったから。

映画には相変わらずして、厚かましさはむしろ増したのかもしれませんが、ただ客観性ももてるようになって、「行って帰ってくる」という意味で、行き来の距離は広がった気はします。

—「今、こうしたい!」—

大学を卒業してからは「撮ったものをどう解釈していくか」という、自分のやり方というか、考え方に飽きてきました。それはもしかしたら、大学卒業直前におこった震災に関係があるのかもしれません。「何が原因だ」「あれをこうしていれば」というような言葉に辟易していました。

音を録ったり、編集なんかしてると「今、こうしたい!」と思っちゃうんです。「撮影時のことなんか関係ない」って。とにかく我慢できない。僕の手法のせいでもあるんですが、撮影したイメージ先行なのも、なんとなく釈然としなくなりました。憤りすらあった(笑)だから過去の手法を否定する意味で、シネカリグラフィー(※フィルムに直接ペイントや傷を施す手法)を始めたんです。「今」を反映できると考えたからです。

それは、当時自身の頭の中でリフレインしていた「拒絶」という言葉にも合致しました。なにを拒絶し、対立するのか。その最も普遍的な対立として、「現在」と「過去」がそう位置づけできるのではないかと。

僕にとって、撮影済みのフィルムの像が過去そのものでした。その像を拒絶することが、過去の拒絶になったわけです。説明が難しいですが、画として要は、一コマの中に撮影して映っている像と、真っ黒な部分がある。その真っ黒の部分に線を描いて、像に向けて「今」をぶつけていく。そのぶつかった線が渦を巻いていく。それを一コマ一コマ描くわけです。「ぶつかっていく、たったそれだけでドラマになるはずだ」という、「劇」へのアンチテーゼもありました。

それが『渦潮』(8mm/7min)という作品で、第62回ベルリン国際映画祭の短篇部門に入選しました。僕の初めて公に評価された作品でもあります。翌年は同じ手法を少し発展させて、今度は夕日をモチーフにした『渦汐』(16mm/10min)を制作しました。これも第63回ベルリン国際映画祭短篇部門に入選しました。『UZUSIO』シリーズは3部作を考えており、あと一作品も現在制作中です。

—瀬戸田にしかないものが宿っているという確信があった—

最近は、生まれ故郷である瀬戸田に向けて映画を制作したり、活動することも増えてきました。『UZUSHIO』シリーズも瀬戸内がモチーフですし。今までも手紙のように誰かに向けて制作してきたのですが、瀬戸田にはBccでまわすみたいな態度でいました。それがだんだんTo瀬戸田になってきたって感じです。今ではそれが広がっていって、瀬戸内海へ向けて制作しています。

15歳の時、自転車の旅から帰ってきた時からの確信ですが、瀬戸内にはまだ捉えられてない何かがある。少なくとも僕はそう思うんです。だからその確信を発掘して、表現を通して新たな「瀬戸内」というものをつくれたら嬉しいです。こんな瀬戸内もあるんだ、って住んでる人も含めてみてもらいたいですね。

—デートの行き先で迷ったときは『瀬戸田映画祭』!!—

『瀬戸田映画祭』の大きな動機として「瀬戸内に住んでる人に映画を観てもらいたい」というのはずっとあって、映画祭を開催するキッカケとなったのは小学校の閉校でした。小学校最後の年に、小学生たちの思い出に残るようなことをやりたいと考えて、海に面した小学校のグランドで野外上映会をしました。上映した作品は沖浦啓之監督作品『ももへの手紙』と僕が監督した「渦潮」でした。

後で聞いた感想だと、『ももへの手紙』にはさすがに勝てなかったけど、抽象映画である『渦潮』も、それなりに見慣れないものを楽しむような感覚で観てくれた印象がありました。その反応をみるだけでも楽しかったんです。瀬戸田映画が「体験」として印象にのこるような、そんな映画祭にしたいと考えています。

また、将来的には作品を公募したいと考えています。会場が複数あって、例えば海上とか、丘の大理石とか、瀬戸内を一望できる山の上とか。その何カ所かの会場から、監督や作家が上映したい場所を選んで応募する。故郷の瀬戸田には、それに応えるだけのポテンシャルがあると思います。

余談ですが、本当はそのような瀬戸田のロケーションで映画を撮りたいなと思うことももあったりするのですが、でも恐らく違うんだろうなとも思う。画になりすぎちゃうというか。そういった、映画に収まらないけど、いい場所、好きな場所を別の形に還元したい気持ちがあるんです。

今年はその先駆けになる展開になっていて、会場を3つまで増やしました。初めての試みですね。白い大理石にそのまま上映する会場であったり、高校の校舎にスクリーンを垂らしたりと様々な環境での上映を予定しており、上映する作品も公募ではありませんが、その環境で観たい映画を若い監督中心で選びました。

「瀬戸田映画祭」の目標は「島中で、瀬戸田でしかできない映画祭」にすること。「島」と「瀬戸田」という特性を活かした上映会にしたいですね。案外映画の観せ方はまだ方法があるように思えて、考える余地がある気がしています。

それと「映画祭」というくらいですから、ちゃんと「お祭り」にしたいですね。島の外からもちゃんと人を呼びたい。しかも映画が大好きな人じゃなくても、デートの行き先で迷ったときは『瀬戸田映画祭』!!くらいの感じで。夢ですね。
第3回瀬戸田映画祭 開催!!!
■開催日
2014年8月8日(金)~10日(日)
■開催場所
広島県立瀬戸田高校(住所:広島県尾道市瀬戸田町名荷1110-2)
旧南小学校校庭(住所:広島県尾道市瀬戸田町荻2576-1)
耕三寺博物館 「未来心の丘」(住所:広島県尾道市瀬戸田町瀬戸田553-2)
■上映作品
8月8日(金)(会場:瀬戸田高校)19:00- 開場 19:30- 上映
【入場料:無料】

嶺豪一監督作品 『故郷の詩』

(2012年/日本/カラー/HD/71min)

島村和秀監督作品『あおいちゃんの星座』

(2014年/日本/カラー/HD/45min)
8月9日(土)(会場:旧南小学校校庭)19:00- 開場 19:30- 上映
【入場料:¥500-(中学生以下無料)】

園子温監督作品『自転車吐息』

(1989年/16ミリ/カラー/93min)
8月10日(日)(会場:耕三寺博物館 「未来心の丘」)19:00- 開場 19:30- 上映
【入場料:無料】

川本直人監督作品『渦潮』

(2012年/日本/カラー/8mm/7min)

川本直人監督作品『渦汐』

(2013年/日本/カラー/16mm/10min)

木村達人監督作品『stone meditation』

(2013年/日本/カラー/5min)

山本圭祐監督作品『疾走ラブレター』

(2013年/日本/カラー/16mm/6min)
■公式サイト
http://katoreak.wix.com/setodafilmfestival
■公式Facebook
https://www.facebook.com/setodafilmfestival
聞き手・写真・構成:島村和秀
  • 『川本直人(かわもと・なおと)』
    1988.9.26生まれ。瀬戸内にある瀬戸田(生口島)で育つ。高校卒業後上京。多摩美術大学入学。 海を撮影したフィルムにシネカリクグラフィーを施し、時間の拒 絶を試みた『渦潮』(8mm)が第62回べルリン国際映画祭短編部門に入選。翌年、続編である 『渦汐』(16mm)も第63回べルリン国際映画祭短編部門に入選。その後「小津国際短編映画 祭」(イタリア)、「Festival Imago」(キューバ)、「等々力国際映画祭」(東京)等各地で招待上映される。 日記映画からはじまり、ドキュメンタリー、アニメーション、キネカリグラフィーと横断的な手法で作品をつくる。また海辺等で野外上映を行う『瀬戸田映画祭』 を故郷で主催するなど、瀬戸内をテーマにした表現活動を多くおこなっている。