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加藤直輝監督作品『Echo Never Goes Out』

短編『Echo Never Goes Out』について、制作の経緯を含め話を聞いた。

※『Echo Never Goes Out』は今後LOAD SHOWにて無料配信を予定。

「曲を作ろう」

今日は加藤監督の短編『Echo Never Goes Out』(以下『ENGO』)についてお話をお聞きしたいと思っていますが、まずは制作の経緯について教えていただけますか。
加藤直輝:(以下K)2010年の仙台短編映画祭(以下映画祭)で『FRAGMENTS Tokyo murder case』を上映したいとのお話をいただきまして、実際に出品をしました。それが映画祭との最初の関わりですね。その翌年、2011年ですね、震災があってすぐのことですが、4月頃に担当の菅原さんからメールをいただきまして、このような状態で今年開催ができるかは分からないけれど、準備はしていきたいと。具体的にはこれまでのように自主映画の一般公募という形が取れないかも知れないので、短編を撮ってくれないかということでした。映画祭と縁の深い冨永昌敬監督が仙台に行かれた際、スタッフの方々と対話をする中で映画祭と縁のある監督達で短編を撮影する企画が持ち上がったようです。10年以上続く映画祭ですから、声をかけた映画監督の数はそれなりのものだったようです。結果として42本の短編が生まれ、復旧が完全とは言えない中ではありますが、9月にせんだいメディアテークでそれらの短編は上映されました。その後もオムニバス映画として地域の映画祭をはじめとした色々な場所で上映をされています。
加藤監督は商業デビュー作である『アブラクサスの祭』をオール福島ロケで撮影されています。『ENGO』も福島で撮影されたものであるわけですが、やはり今回オファーを受けられた際、ある種必然的に意識がそこへ向かった部分があるのでしょうか?
K:連絡をいただいて、やりますと返事はしたものの、全く撮りたいものが思い浮かばなかったんですね。そうした精神状態はこれまでに経験したことがありませんでした。フィクションであれドキュメンタリーであれ、カメラとレコーダーを使って作品を作る気には全くなれなかったのが正直なところです。震災から3か月が経ったころ、東京は徐々に日常を取り戻しているように見えました。少なくとも表面上はそのように見えたということです。僕自身もその流れの中で生活をしていましたが、けれども今回の『ENGO』に限らず、映画を撮影したいという気持ちに全くなれずにいました。映画を見るということに関してもそうで、実際全然見ていなかったです。
そんな気持ちのまま時間は過ぎ、気がつけば夏を迎えていました。〆切が8月の末と迫っていましたが、結局フィクションであれドキュメンタリーであれ、気持ちが映画作りに向かうことはありませんでした。
それでも撮れるものってなんだろう?と考え続けて、ふっと思い浮かんだのは「曲を作ろう」ということでした。3分11秒という尺の制限もちょうど良かったですし、1曲3分11秒の曲を作るというイメージで撮影をしてみようと。とは言えこれまで作曲をしたことはありませんので、まずは友人でミュージシャンの増田くんに声をかけました。この時点でも映像のイメージは全くなかったのですが、編集の鈴木宏くんにも声をかけて、制作の態勢が一応できあがりました。そうして最終的にですが、もう一度今の福島を見ておきたいという気持ちがずっとありましたから、車を運転して一人で福島へ向かいました。
実はその前に福島には二回ほど行ってるんです。最初は4月に友人と3人で何日か周りました。主に『アブラクサスの祭』でお世話になった町やロケ地を再訪しました。あと三春の滝桜が満開で、それをどうしても見たくて。そして帰りは三春から東に向かって走りました。今は警戒区域になっているところです。気づいたら福一から2kmくらいのとこまで来ててね。あのときに感じた恐怖はまだ腹の底に残っています。目に見えないもの、人間が知覚できないもの、そしてそんなものが撒き散らされたまま、震災の傷も手つかずで放っておかれているという現実。キャメラは持っていってましたが、僕は目の前のそれを撮る気になりませんでした。撮っても映らないからです。これは結構致命的な経験でした。目の前の現実に対して、自分が感じているものは絶対に映らない、ということをいやというほど感じました。それは、これまでの映画制作では一度も体験したことがない性質のものでした。キャメラと人間の眼は違うという単純な事実は理解していたつもりですし、それを常に考えて映画と付き合ってきたはずなんですが。
2回目は8月のProject FUKUSHIMA!のフェスのときです。こっちは純粋に見に行きたかったですね。実際行ってよかったです。ほんとにすごいと思いました。
その後8月の後半にカメラとレコーダーを持って3日間ぐるぐると福島を回りながら撮影しました。このときはこれまで訪れたことがない場所、見てみたいところを中心に周りました。最初はそれこそ3分11秒黒味だけというのも考えましたし、実際それでも良かったという思いもあるのですが、最終的にそのようにして撮影を続けたということです。

「存在の証明」

お話を聞いて非常に合点がいったというか、『ENGO』を見て最初に受けた印象は、加藤監督は曲を書いたのだなというものでした。しかし印象と矛盾するかも知れませんが、決して音楽に映像が乗っているというわけではなく、これはやはり映画であるというのが率直な感想です。

そこに繋がっていくかは分かりませんが、音響=ノイズのことについてお聞きしたいと思います。加藤監督は『アブラクサスの祭』、あるいはそのずっと以前から音響=ノイズについて深く追究をされています。一般的にはノイズというと雑音といった捉えられ方があると思いますし、我々が普段目にする映像においても単純な違和感の表明として浮上してくる場合が多い。『ENGO』でも美しいギターのフレーズとともに、激しいノイズが浮上してきますが、勿論それだけではなく、非常に繊細な音響=ノイズが施されており、それら全てが単純な違和感の表明ではない何かとして機能しています。映像にはガイガーカウンターや放射能汚染マップも登場しますし、映し出される風景は殆どが曇天のもと撮影されています。それにも関わらず全体としてポジティヴ、適切な表現かは分かりませんが、そう言った印象を受けましたし、誤解を恐れず言えばある種の心地よさすら感じる場面もありました。例えばアザラシの飛び込むシーンなど、施された音響=ノイズとともに大変美しいものです。
K:あのアザラシですが、シャイなやつで。顔だしてくれるまで2時間くらい粘りましたね。「きぼう」という名前が映っていたと思いますが、アクアマリン福島も震災の被害を受けて、中が流されてしまったんですね。魚達も随分死んでしまったようですが、アザラシを含めた生き残った海獣や生き物たちは復旧まで避難をしていたらしいんです。あのアザラシ「きぼう」は避難先で生まれたそうです。震災後半年も経たないうちにアクアマリン福島は復旧して運営を再開していました。行ってみてびっくりしたのですが、周りにある水産加工場ですとか、倉庫ですとか、そうしたところは流されてしまっている状態で、手つかずの瓦礫が残っていたりもするのですが、アクアマリン福島に関しては意図して痕跡を残さなければ何事もなかったかのように見える状態で営業をしていました。実際行って見なければそうした状態を感じることはできなかったと思います。
ノイズに関してですが、ノイズミュージックと言っていいのか分かりませんが、そうしたものはもともと好きなものですから、映画の中でそれに向き合いたいと思って作ったのが前作の『アブラクサスの祭』でした。それは僕の中で本当に大きな経験でしたね。先ほど心地よかったと仰ってくれましたが、ノイズというと普通ただの雑音、音楽として聞かれる場合にも大体において不快でうるさい、凶暴なものというのがパブリックイメージですが、決してそれだけではない。それを具体的な形にして出したいなという思いがありましたし、実際に撮影をはじめて、編集をし、音楽を付けていくなかで、自然とノイズに対するイメージが広がっていくというか、自分の体に、腑に落ちてくるようなそんな感覚がありました。それはスネオヘアーさんをはじめとするミュージシャンの方々と仕事ができたこともありますし、やはり大友良英さんの存在が大きいです。もともと原作の中に概念があったというか、主人公の浄念にとってのノイズを考えていくなかでそうした方向に向かっていったと思いますが、それがそのまま今回の『ENGO』に繋がっていった気がします。ただ、冒頭曲を作ろうと思ったという話をしましたが、実際僕はメロディーを作ることはできませんし、イメージが弱かったんですよね。ですから増田くんにメロディーを弾いて貰って、実際に福島で撮影してきた音を重ねていくことで曲になっていけばと思っていました。それと、そういった音に対するノイズとは別に、もっと抽象的な意味でのノイズですよね、それがやはり大きくて、撮影する気持ちになれなかったこととも直結しています。上手く説明できないんですが、なんか嫌な感じ、単純に嫌なだけではないんですが、目に見えないそうしたものが炸裂したのが311以降の状況だと思うんです。それは具体的に言えば原発事故以降の状況のことですが、そういう現実を前にして、なにか感じてはいるけれどアウトプットできないというか、そうしたことが映画タイトルにも繋がっています。
『There Is A Light That Never Goes Out』
タイトルはそこから引用をされているのだと思いますが、美しい響きです。
既に様々な場所で上映されているとのことですが、これまでに得られた反応があれば、どのようなものか教えていただけますか?
K:『ENGO』がどのような受け止められ方をしているのか、これは映画であるのか、ある種PVのような印象を持たれているのか、その辺りは見当もつきませんが、ひとつ驚いていることがあります。仙台で上映した際に福島からこられた方が何名かいらっしゃいまして、感想を伝えてくれたんですが、要は作品を受け止めてくれたんですね。撮影中も撮影後も自分には今これしかできないという気持ちでいたわけですが、それがどう受け止められるかは人それぞれですから、やはり不安な気持ちがあったんです。特に福島で暮らしている人が何を感じるのかがね。けれどそれをそのまま受け止めてくれたというか。福島ってもの凄く広いんですね、3日間で1000km以上走ったんですが、実際目に見える傷跡ですとか、そういった光景をほとんど映していないんです。『アブラクサスの祭』は全編福島ロケだったわけですが、その際に見ることができなかった福島を見たいという気持ちもありましたし、ひたすら自分が見たいと思ったものをドライブしながら撮影していました。ですから見る人によっては観光ビデオじゃないですけど、そうしたものに見えるかも知れないという思いもありました。
『ENGO』に映し出される、風景、蝶や蜘蛛、アザラシ、子供たちの姿、決してこれまでを知るわけではありませんが、全てが以前とは変わってしまったものとして映し出されているかのような感覚を覚えもします。けれどもそれを決定的なものとして突きつけているのではなく、それらは変わらず美しいということが映し出されているように思います。
K:制作中はとにかく手探りで、確信めいたものはありませんでした。
僕はENVYというバンドが大好きなんですが、もしかしたら一番好きな楽曲かも知れませんが「存在の証明」という短い楽曲があります。
結局そういうことなのかも知れないと思いました。ノイズというのはそういうものだと。あるものがその場所で、決して声高には叫んでいないけれども発しているもの。それが美しさというものとして現れたりするのかもしれません。
『Echo Never Goes Out』
録音・撮影・監督 : 加藤直輝
2011年8月/DV/3分11秒
311仙台短篇映画祭映画制作プロジェクト作品『明日』
Aug. 2011/Stereo/3min.11sec./All Located in Fukushima
編集 : 鈴木宏(JAY FILM)
MIX・音楽 : 増田圭祐
Acoustic&Electric guitar, Electronics : 増田圭祐
Bell, amplified field recording, Feedback noise : 加藤直輝
Recorded and Mixed at Hamon Studio and Bed room in Aug.2011
機材協力 : 森永泰弘,難波田哲史,ハモンスタジオ
解説:2011年。4月に仙台ショートピースからメールが来た。「今年も映画祭をやりたい。例年通りにはできるか分からない。だから短編を撮ってくれませんか」。こんな内容だった。「完成するかわかんない。けどやります」と返信した。締切1週間前まで何を撮るか分からなかった。撮りたいものが無かったからだ。「出口なし」な感じ。ただ、曲を作りたいなと思った。そして行ってみたいところ、見てみたい景色はあったなと思った。
一人で福島を周った。まだ行ってないところをあちこち、3日間で1000km以上走った。福島はやっぱり広かった。
  • 『加藤直輝』
    1980 年東京生。立教大学フランス文学科卒業。在学時は映画研究会に所属。2007年、東京藝術大学大学院映像研究科(映画専攻・監督領域1期生)を修了。修了制作作品『A Bao A Qu』が第12回釜山国際映画祭コンペ部門にノミネートされるほか、ドイツやオーストラリアなど各国の映画祭で上映。10年『アブラクサスの祭』(原作:玄侑宗久 出演:スネオヘアー、ともさかりえ 音楽:大友良英)で監督・共同脚本として商業作品デビュー。サンダンス映画祭2011、釜山国際映画祭2010など各国の映画祭で上映された。最新作は『2045 Carnival Folklore』(2013-2014)。