LOAD SHOW

A Rooted Soul. Vagabond Eyes.

映画の未来をいち早く
Be the first to witness the future of films

加藤直輝監督作品『FRAGMENTS Tokyo murder case』インタビュー

LOAD SHOWにて配信中の傑作短編『FRAGMENTS Tokyo murder case』について、制作の経緯も含め話を聞いた。

「立教大学時代」

本日は立教大学在学中に撮影された『FRAGMENTS Tokyo murder case』(以後『fragments』)についてインタビューをさせて頂きます。まず映画研究会在籍時のことからお伺いします。
加藤直輝(以下:K)分かりました。ざっと大学時代のことを自己紹介みたいにお話しすると、立教大学に入学して映画研究会というサークルに入ったんですね。その時の最上級生に現在では脚本や監督をされている保坂大輔さんがいて、彼が篠崎誠監督の授業があるよって教えてくれたので聴きに行ったんです。授業が2コマあって最初に映画を流すんですけど、その時に『悪魔のいけにえ』が上映されて、自分は初めてだったんですが、あぁ面白いなと思いましたね。その辺りから映画に興味を持ち始めました。
大学に入ってから映画に興味を持たれたのですね。映画少年という訳ではなかったのですか?
K:それまでは週一でレンタルビデオ屋に行って、ヒットしているハリウッドのアクションものを借りて観る程度で、いわゆるシネフィル(映画狂)ではありませんでした。入学後に友達に誘われて新歓の上映会に行ったんですが、その時はまだ半分以上が8mmフィルムで撮られていて、学生映画を観るのも初めてだったんですけど、クオリティーが高く感じたんですね。自分とそんな年の離れてない人たちがこんなことをやっているんだと思って、何かを創作する、表現するということに対してカルチャー・ショックを受けました。先輩たちの作品が面白かったんで、映画って作れるんだっていうのと面白いなっていう思いが同時に来た感じです。それからは先輩の自主映画のスタッフをしたり出演をしていました。
大学で映画にのめり込むと観る本数も膨れ上がっていくと思うのですが、その中でとりわけ影響を受けた監督や作品はありましたか?
K:そもそも立教に入ったのに立教出身の映画監督の存在を知らなくて、映研だと「知らないの?」とか言われて悔しいのでいろいろと観ましたね。日本映画のインディペンデントって言われているような枠で撮っている監督たちの作品が面白かったです。一見自分でも撮れるんじゃないかって錯覚させてくれるんですけど、やってみると簡単じゃないんだってことが身に沁みて分かるわけですけど。とりわけ黒沢清さんだったり、青山真治さんだったり、あとは北野武さんかな。最初の頃はそういった方々に目を開かされたと言いますか、日本映画にも面白いものがあるんだと教えられましたね。

「東京藝術大学大学院映像研究科 受験」

そうした大学生活を経て『fragments』が生まれたのですね。制作状況、例えばキャストやスタッフはどのように編成されたメンバーだったのでしょうか?
K:基本は周りの知り合いや友達です。スタッフに関しては映研の人たちで、キャストも同様です。ヒロインは後輩の友達で、話した感じがよかったのと単純にかわいかったので(笑)、お願いをしたら引き受けてくれました。
藝大の受験のために急遽撮られた作品として聞いていますが、準備期間はどの程度だったのでしょうか?
K:4年生の12月くらいに公示があって、ちょうど卒論を提出し終えてたぶん卒業できるだろうって状況だったんですけど、就活も何もしていなくて、出てから何をしようかと考えていました。そんな時に当時立教にいらっしゃった映画批評家の藤井仁子さんから「黒沢清や北野武が教えるらしい」って話を聞いて、調べてみたらそこに行けば映画が撮れると分かったわけです。「これだ」と思いましたね。それが12月の半ば頃で、提出が1月半ばだったので制作期間は1カ月弱くらいですかね。応募条件の15分以内の作品がなかったので作りました。
立教大学の卒業時期と藝大映像研究科の創設時期とが被さらなかったら映画監督になっていなかったかもしれないですか?
K:それは確実にあります。
シナリオも時間をかけて作れた訳ではなかったのですね。
K:そうですね。ちゃんとしたフィクションのプロットを書くのが苦手なので、物語の内容よりも描写で勝負することに決めました。僕の中では暴力描写とプラスアルファで何かやりたいという思いがありました。直接的なコンタクトによる暴力シーンがある殺人事件を15分の中で起こそうと考えましたが、具体的なものが出て来なかったので当時から付き合いのあった増田圭祐に話を振りました。殺人事件が突発的にあって、その前後は別にどうでもいいんだけど、って投げかけをしたら本当にその通りのものを書いてきました。あがってきたのは女子大生が自分のマンションの風呂場でいきなり入ってきた男に殺される、というものです。これでもいいけど3分くらいで終わらせるのはもったいないと思って、女子大生の1日を描くことにして話を付け加えていきました。
『fragments』を作るにあたって特に意識した作品はありましたか?
K:モロにありましたね。それまでずっと卒論を書いてたんですけど、その時に扱ったのがロベール・ブレッソンでした。最初に『ラルジャン』を観たときからブレッソンってなんだろうっていう巨大なクエスチョンマークがあって、よく分からないけど凄いと。その理由が知りたくてテーマにしていました。
なるほど『ラルジャン』だったのですね!
K:はい。当時DVDは出ていなくて、新宿のTSUTAYAに辛うじてVHSが置いてあったくらいでした。実際観て、自分でも撮っていると応用したくもなりました。真似をしたいオマージュしたいっていうよりはもっと根源的な、なんでこの人ここにカメラを置いてこんな映画撮っているんだろうってクエスチョンがあってそれに答えを出そうと思って撮ったのが『fragments』なんですね。

「『FRAGMENTS Tokyo murder case』の演出」

『fragments』の映像は撮影前に頭の中で組み立てられていたのでしょうか、それとも現場で掴んでいったものなのでしょうか?
K:それは何とも言えないですね。当時からの僕の悪い癖なんですけど、事前にカット割りをしないんです。『アブラクサスの祭』の時でも結構そういうシーンが多くて、現場で俳優の動きと段取りを見てからカットを割るっていう非常に贅沢な撮り方をさせてもらいました。今でもそうです。『fragments』でイメージとしてあったのは池袋西口公園のワンカットくらいで、他はどう撮るっていうのはなかったですね。なんとなくここは移動あそこはフィックスという感覚だけはありましたが、事前にコンテは作りませんでした。
先ほど話題にも上った『アブラクサスの祭』は大好きな作品ですし、『A Bao A Qu』も傑作だと思いますが、『fragments』からはその2作品にも決して劣らない新鮮な衝撃を受けます。監督の着想についてお伺いさせて下さい。加藤監督は多くのインタビューで音について言及されていますが、画も非常に独創的だと思います。池袋西口公園のシーンなどに象徴的ですが、監督の中では画と音のどちらが先にあってシーンが形作られていくのでしょうか?
K:それは場合によりますね。ただ音に対する執着のようなものが人とずれているんだろうなとは自分でも感じています。普通であれば脚本を読んで人物の動きをイメージしてコンテを切ってみると思うんですが、僕にはそこで鳴っているであろう音の種類や音楽のイメージが先に来ます。一本の作品を捉えるときに音のつながりでイメージしているんです。
それは例えば映画全体の構成を考えるときに、音を頼りにアプローチをされているということでしょうか?
K:そうです。100シーン以上ある長編に緩急を付けるときに、主人公の感情の流れであったり映像の色使いからアプローチをする方法もありますが、僕の場合はそれを音で把握しています。もともとは映画を観るよりも音楽を聴く方が好きだったんですよ。脚本の書き方とかも勉強したことがなくて、自分で書いてみるわけですけど、よく分からなかったんですよね。ですから自分で構成を考える上で、自然と当時聴いていた音楽を参考にしていました。
例えばどのような音楽を参考にされていたのですか?
K:Godspeed You! Black Emperorっていうカナダのバンドがいるんですけど、その人たちの音楽が好きで毎日のように聴いていました。基本的にギターロックでヴォーカルがなくて、一曲20分とか30分とか平気であるようなバンドなんですが、その中にすごいドラマティックな構成を持っているんです。音楽の構成って感情と直結しているなって思うんです。他には激情ハードコアとかカオティック・ハードコアとかもよく聴いていました。映画って当然感情を扱うわけじゃないですか。それに対するアプローチとして当時聴いていた音楽が表現の形として身近であったし、信じられるものだったのでそれがベースになっているんじゃないですかね。
『fragments』は制作期間が一カ月足らずでありながら音の作り込みがすごく丁寧でした。あれはヒーヒー言って作っていたのですか?
K:そうです。まさにヒーヒー言って作っていました。今でも覚えていますが提出締切日当日のギリギリまで作業していました。タイトルも決まっていなくて当日つけて入れたんですよ。
そうだったんですか。「fragments(断片)」ってすごく作品に合った名前だと思うんですけど、当日に思い付かれたんですね。
K:イメージとして、くすぶっていて、何かこじゃれた感じがして嫌だなとも思ってたんですけど、他に思い付かないからあれにしました。
いいタイトルだと思います。次にお聞きしたいのが偶然性と言いますか、出来上がった映像とシナリオとの差についてです。シナリオでは到底表現できないであろう演出が多いですが、そういった動きは事前にシナリオに書かれていたのでしょうか?それとも現場で決められたのでしょうか?
K:大概は場所とそこで何をしているかについてはシーンとして書いていたんですけど、具体的な所作は現場でやったんじゃないですかね。
ヒロインのカメラ目線のカットがありました。変な質問ですが、なぜあのようにされたのでしょうか?
K:なんかあれも現場でやりたくなって(カメラに)振り向かせましたね。
普通だったらありえないんですけど『fragments』の中だと許されるといいますか、適合しているんですよね。
K:あのシーンはいらないと言えばいらないシーンなんですけど、たぶん挑発しているんでしょうね観客を。
挑発と仰りつつも『fragments』での演出が妙に物語にフィットしているのが不思議です。例えばヒロインが家に帰って来て飲み物を取るときに、まるで死人が取るような仕方で手を出しますね。あれは異様なんですけど、予兆として効果的な演出になっています。どのような演出を付けられたのでしょうか?
K:僕がブレッソンを研究というか見ながら学んだことは、困ったら手を撮ればいいってことなんです。
でも手って難しくないですか?
K:当時はそういうもんだろうと思ってやってたんですけど、逆に今となってはなかなか難しいと言いますか…
なるほど。『fragments』の手は自然で雄弁なものでした。当時あの演出が成り立ったのは、どういった考えが働いていたからなのでしょうか。
K:学生の時は人間を撮るときにアンビバレンスな思いがありました。さっき話したように映画は感情を扱うメディアだという思いを持ちながらも、なかなか顔は撮りたくなかったんです。相手がプロの俳優などであれば話も変わってくるんでしょうけど、芝居している顔を撮りたくないっていう思いが強かったんですよ。顔を大写しにしなくても映るし伝わるだろうという思いがありました。だからそういう風な撮り方をしている監督の作品はすごく面白かったし影響も受けましたね。
北野武さんのことでしょうか?
K:武さんはまた別ですね。武さんはほとんどバストショットしか撮ってないんですよ。『ソナチネ』とか観ると人物のバストショットが半分以上じゃないかって思うくらいですね。
加藤監督と同世代の作家の中には、例えば濱口竜介さんや三宅唱さんのように顔をバシッと抜いていく監督もいます。『fragments』では顔は撮りたくなかったと仰っていましたが、藝大や、商業デビュー作『アブラクサスの祭』などを経て顔に対する考え方に変化はあったのでしょうか?
K:それはありますね。とくに『アブラクサスの祭』の時はスネオヘアーさんの顔を撮りたいと思ったんですよ。
バスト以上(の寄り)でしたね。

「西口公園のショット」

最後に『fragments』に言及する上で避けては通れない西口公園のショットについてお聞かせ下さい。あのショットの撮影にはどのくらい時間をかけられたのでしょうか?
K:結果的に一日かかりましたね。午前中から撮影を始めてOKを出したのが昼ごろでした。当時はやっぱり段取りがうまく行かなかったので大変だったんですけど、行為自体はすごく簡単なんですよ。気持ちとしてはあの映画の中で一番楽なカットでした。準備とかは大変だけどイメージは見えていたので、そういう意味で楽でした。他の室内のシーンとかの方がよっぽど悩んでましたね。
あのワンショットには奇跡のような瞬間をいくつか感じました。もちろんエキストラはそんなに置けませんでしたよね?
K:そうですね。ただ、何人かは配置しました。
事件現場となる場所の方を指差している家族なんかはエキストラではありませんよね?
K:あの人たちはたまたまその場にいた人たちです。
あの人たちがショットの説得力を相当高めていると思います。テイクはいくつ重ねられたんですか?
K:あれは一発だけですね。
テストは何度も繰り返されたのでしょうか?
K:テストは2回です。最初は動線の確認、2回目は最後までやるけど血糊の代わりに水でやりました。そして本番は血糊を仕込んで一発。ただ、動線を作るのとタイミングを計るのと、それにカメラが合わせることの調整をスタッフと役者に伝えることにすごい手間取りましたね。あとギターです。実際あの場で弾いてもらったんですがかなりの爆音なので一発しかできなかったですね。通報されてしまう(笑)。
話が少し飛びますが相米慎二監督はお好きですか?
K:もちろん好きですよ。ただ熱烈にはまったことはないですね。
すごい横移動で、見ながら『ションベン・ライダー』を思い出してしまいました。
K:恐れ多いです。でも当時はあの異様な凄さをうまく消化できなかったんですよね。
監督の世代ですと00年代くらいが映画にはまった時期ですよね?
K:そうですね。僕は80年生まれなので、90年代が10代、実際に映画を撮り始めたのが00年代なんですよ。
ちょうど立教出身の監督や北野武監督がどんどん作品を発表していた時期に映画を撮りはじめたのですね。
K:オンタイムというよりは、ちょっと僕は遅れてなんですけど、そんな世代ですね。
新作『Sonic Road Movie YOKOHAMA!』の完成を心待ちにしております。今日はありがとうございました。
K:いえいえ、こちらこそありがとうございました。
聞き手・構成・写真: 川田真理
『FRAGMENTS Tokyo murder case』
「ぽかん」と捉えられた映像と次第に飽和していく音響によりある女子大生の一日が1カット毎に張りつめていく。 白昼の池袋西口公園に突如無数の音響が轟音で乱反射する150秒間が流れ、最後に死が顕れる。その音は消えてもそこにいたすべての者に残響する。
2005年/16分/SD/カラー
監督:加藤直輝/原案:増田佳祐/脚本:加藤直輝/撮影:杉原 憲明、加藤直輝/録音:福原悠介/整音:加藤直輝/編集:加藤直輝/出演:鈴木智恵、­坂ノ下博樹、小津俊之/Live:Electric Guitar 増田圭祐:Synthesizer 金澤律夫
ダウンロードはこちら!
  • 『定者如文(じょうしゃ・ゆきぶみ)』
    兵庫県神戸市出身。映画少年だった幼少期、バイクに溺れた10代、旅行に彷徨った20代前半を経て26歳で大阪芸術大学映像学科に入学、30歳で卒業・上京し東京藝術大学映像研究科第一期生として過ごし31歳で映像業界へと進む。その後映像業界で数々の現場をこなし東京で過ごした10年のキャリアの集大成として本年度の文化庁新進芸術家海外研修制度を利用してアメリカへと渡る予定。
  • 『加藤直輝』
    1980 年東京生。立教大学フランス文学科卒業。在学時は映画研究会に所属。2007年、東京藝術大学大学院映像研究科(映画専攻・監督領域1期生)を修了。修了制作作品『A Bao A Qu』が第12回釜山国際映画祭コンペ部門にノミネートされるほか、ドイツやオーストラリアなど各国の映画祭で上映。10年『アブラクサスの祭』(原作:玄侑宗久 出演:スネオヘアー、ともさかりえ 音楽:大友良英)で監督・共同脚本として商業作品デビュー。サンダンス映画祭2011、釜山国際映画祭2010など各国の映画祭で上映された。最新作は『2045 Carnival Folklore』(2013-2014)。