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『色道四十八手 たからぶね』井川耕一郎監督、「PG 」林田義行(プロデューサー)インタビュー

渡辺護監督が最後に残した企画『色道四十八手 たからぶね』。渡辺護監督の遺志を継ぎ、見事な喜劇として完成させた井川耕一郎さん(監督・脚本)と「PG」林田義行さん(プロデューサー)に今作が辿ってきた歴史と、作品のもつ魅力の源についてお聞きした。

「本人達は真剣なんだけど客観的に観ると喜劇」(井川)

今作は、200作以上のピンク映画を撮り続けてきた渡辺護監督が最後に残した企画という事と、ピンク映画50周年記念でもあり、また脚本家として多くの作品を手掛けている井川耕一郎さんの劇場長編初監督作品といった、多くの意味合いをもった作品だと思うのですが、まず最初にこの映画を渡辺護監督が企画されたのはいつ頃だったのでしょうか?
井川:2008年に国映で『喪服の未亡人 欲しいの…』(監督:渡辺護/脚本:井川耕一郎)を撮った後に、もう一本国映で撮れそうだって話になったんですね。それで、渡辺さんと話し合った時に、『喪服の未亡人 欲しいの…』にはちょっと笑えるような所があるんですが、本人達は真剣なんだけど客観的に観ると喜劇になっているものをもう一回やろうという事で、それで『色道四十八手 たからぶね』のシナリオを書いたんですね。で、2009年の秋に撮る予定だったんですが、国映がピンクから撤退しちゃったんですよ。制作延期になってしまったと。
それで、宙に浮いてしまって、僕はその時はこの作品はもう撮れないだろうと。内容的に他のピンクの会社で撮るっていう事はきついだろうと思っていたんで、まずいなと。渡辺さんの遺作は『喪服の未亡人 欲しいの…』になる可能性が大きいという所で、ちょっと途方に暮れていたら「PG」の林田と「ぴんくりんく」の太田(耕耘キ)の二人がピンク50周年の企画を立ち上げて、その時に渡辺さんが太田さんに『色道四十八手 たからぶね』の脚本を見せていたんですよ。渡辺護が撮るならこれが50周年の企画としてありなんじゃないかっていう事になったので、そこから先は林田さんですね。
林田:そうですね。そういう流れがあって。2011年の終わり位に太田さんから連絡があって、渡辺監督が、いまお話にあったような宙に浮いてしまって脚本まで出来ている企画があると。一回その本を読んでもらえないかっていう風に言われて、もしそれを読んで面白いっていう事で乗ってもらえるのであれば、翌年の2012年のピンク映画50周年に合わせてこの映画を「PG」と「ぴんくりんく」のプロデュースという形で一緒にやりませんか?って言われたのが最初の取っ掛かりではありますね。それで脚本を読ませてもらって面白かったんです。これを渡辺護監督が撮って、ピンク映画50周年という事でやるのであれば、すごく意味のあるものになるだろうなっていうところで、やってみたいと思いますっていう風に太田さんに返事をして、そこからスタートしたっていう事ですね。
2012年の段階で、そこから一度撮影準備っていうのがあったんですか?
林田:それは2013 年ですね。2012年になって、まずは既存のピンク映画の会社で、通常のピンク映画の枠の中で出来ないかという形で話を持って行きました。台本としてはピンク映画としては申し分のない出来で、出来る事ならやりたいけれどもという反応をいただけた会社もあったりはしたんですが、なかなか我々の思うようには実現出来なくて。結局「ピンク映画50 周年」は実質的には終わってしまったんですが、2013 年の夏に太田さんから連絡があって、ピンク映画自体の本数も減ってきて、映画自体がどんどんフィルムからデジタルに変わっていく時代になり、ピンク映画もいよいよそうなりつつあるという中で、特に太田さんはフィルムで映画を作るっていう事に強いこだわりがあるので、フィルムでピンク映画を作るっていう体制はいまを逃すともう出来ないんじゃないかという事になってきて。これはもう自分たちで制作費を出す形でやるしかないと。
太田さんもそのために長い時間を掛けて準備してきたと思うんです。私の方もそういう覚悟をもって考えていたところもあったので、じゃあそういう形でやりましょうっていう事になったんです。それが決まったところで、渡辺護監督にはこういう形で映画化しますって初めて話をしたんです。それまでは、私と太田さんと井川さんの三人の中だけで進めていたんです。そこで正式にお願いをして、「よし分かった。じゃあやるよ」っていう言葉を頂いて、そこからが本当の意味でのこの映画のスタートなんです。

「俺は癌だからもう映画は撮れない。井川代わりにやれ」

渡辺護さんが昨年の12月にお亡くなりになってしまいましたが、その後に井川さんがこの作品を撮られる事になったのはどういうタイミングだったんでしょうか?
井川:渡辺さんの所に自主制作でこの映画を作りたいんですけどって言って、やるって言ったのが9月末くらいで、それでもう一回シナリオを読み返して直しをやろうって言って打ち合わせをしたのが10月で、それからちょっとして渡辺さんの所に行ったらどうも体調が良くないっていうような話をしていたんですよ。それから、11月の初めに散髪に行って倒れちゃったんですよ。病院に行って検査をしたら、末期の大腸癌だと。渡辺さんにもがん告知があったんですよね。病院に見舞いに行ったら、「俺は癌だからもう映画は撮れない。井川代わりにやれ」っていう風に言ったんですよね。
さすがに渡辺さんと僕とでそこら辺のところを決める訳にもいかないですから、太田さん、林田さんと話し合って最終的に渡辺さんの言う方向で僕が監督をして、佐藤吏(さとう・おさむ)さんといってピンク映画を何本も撮られている方が助監督という体制でやりますと。で、渡辺さんは製作総指揮という形でお願いします、という話で制作の準備に入ろうという事になったんですね。それからしばらくして渡辺さんが亡くなってしまったと。
渡辺護監督との最初の出会いというのを、お二人それぞれお聞かせ願えますか。
井川:僕は大和屋竺(やまとや・あつし)のシナリオ集(「荒野のダッチワイフ―大和屋竺ダイナマイト傑作選」1994年発売)を作るために、高橋洋と塩田明彦と三人で編集をやっている時に、大和屋竺について知っているところに行って、シナリオを借りて取材したりっていう事をやった中に当然渡辺さんの名前もあったんですね。『おんな地獄唄 尺八弁天』(1970年)と『㊙湯の町 夜のひとで』(1970年)は大和屋竺の脚本で撮っている訳ですから。それが個人的な付き合いのきっかけになっていく訳ですね。もちろん、僕が高校の終わりから浪人してる頃にかけてはピンク映画で渡辺さんはほぼ月一で撮っていたから、その頃観ていたので渡辺さんの事は知っていたし、面白い映画を撮る人だとは思ってたんですけどね。
林田:僕は渡辺監督との付き合いっていうのは、さほど深くなくてですね。太田さんは、井川さんよりはもっと後からだと思うんですけど、大阪の方で渡辺さんの特集上映をして監督を呼んだり、渡辺監督の『義母の秘密 息子愛撫』(2002年)という作品の製作に携わったりしているんですね。渡辺護監督へのリスペクトがものすごく強いんです。僕がピンクを観始めたのは80 年代の終わり頃で、その時は渡辺さんはもうピンクからほぼ離れていた時期で、かといって渡辺さんが一番撮っていた頃のピンク映画っていうのも当時はほとんど観れない状況でした。自分にとってのピンク映画の中心は、リアルタイムで撮っていた「ピンク四天王」(佐藤寿保、サトウトシキ、瀬々敬久、佐野和宏)らの作品などでしたから。
その後、長くピンク映画と関わっている中で、亀有名画座っていう成人映画の名画座の閉館特集上映に渡辺さんの作品を上映して来て頂いたり、ピンク映画40 周年で銀座のミニシアターで特集上映をやった時にもトークショーに来て頂いたりとか、そういう要所要所でわずかにお会いする機会があったくらいで。本当に渡辺さんとしっかりお会いして話をしたっていうのは、銀座シネパトスでピンク映画50 周年の特集上映を行った時に渡辺さんの『少女縄化粧』(1979年)を上映して、井川さんの司会でトークイベントを行ったんです。その時は我々の中では『色道四十八手 たからぶね』の企画が動いていたので、これをきっかけに関わっていければいいなっていう思いもあって、その時が初めてちゃんと自分の中では渡辺さんとお会い出来たって感じでした。去年正式に映画をやりましょうっていう話になって、亡くなるちょっと前くらいにやっと名前を覚えてもらえたかな位の感じですね(笑)。なので、ほんとに短いんですよね、私に関しては。

「ピンク映画は、面白い日本映画の新しい作家達が生まれてきた場所の一つ」(林田)

ピンク映画から生まれた名作は数多くあると思うのですが、それとともにピンク映画出身で現在活躍されている映画監督もたくさんいらっしゃると思います。渡辺護監督も活躍されていた70年代はピンク映画の全盛期でした。その当時から現在までピンク映画は日本映画界の中でどういったものを担ってきたんでしょうか?
林田:自分は80年代の終わりからピンク映画を観てきたんですが、その頃は滝田洋二郎さんや周防正行さんといった方達が初めて一般映画を撮って、ピンクの時から注目はされていたとは思うんですけど、さらに注目されるようになったという事があって。自分もそういう監督の初めて撮った一般映画の作品に触れてすごく面白いと思って、その後からその人はピンク映画を撮っていた人なんだと知って、そういう監督の昔の作品を遡って観るようになったんですね。そういう意味では、当時の自分の感覚としては面白い日本映画の新しい人達っていうのが色々いる中で、そういう作家達が生まれてきた場所の一つがピンク映画や日活ロマンポルノだったと思うんです。
現在にかけてピンク映画全体で変わってきた部分って何なのでしょうか?
林田:自分が観始めた80年代末期は、まだいまに比べれば本数も映画館もいっぱいありましたし、もっと盛り上がっている感ていうのはあったと思うんですけど。とは言え、業界的には下火だと言われていて、特にアダルトビデオが出た影響もあって、若いお客さんが特にピンク映画を観なくなって、製作、配給する会社も減ってきた時代でもあったので、もう無くなるんじゃないかってよく言われてました。
だから、そこから現在まで、割とピンク映画という産業自体が低空飛行のままっていう雰囲気はあったんです。ただ、その中でもやっぱりすごく面白い作品とか、いわゆる一般映画とは違うちょっと尖った作品というのはあって、そういうのが出てくる場っていうのは変わらないですし、だからこそピンク映画を観続けていたっていうのはあると思うんです。そういう根底の部分は大きくは変わっていないんじゃないかなと僕は思いますね。
井川さんは、ピンク映画に関わられたのは大体いつ頃からだったんですか?
井川:僕は鎮西尚一(ちんぜい・なおかず)さんの『女課長の生下着 あなたを絞りたい』(1994年/監督:鎮西尚一、脚本:井川耕一郎)が最初なんですね。どっちかという僕の場合は、ピンク映画との関わりは遅いんですね。むしろエッチVシネの方だから。エッチVシネで僕が脚本を書いたのは、常本琢招(つねもと・たくあき)とか大工原正樹(だいくはら・まさき)とかになる訳で。彼らはピンク映画で助監督をやって、ピンク映画でデビューをしたっていう人達で。だからピンク映画出身の監督とは仕事をしてきたれども、直接ピンクっていうのは鎮西さんの作品が最初ですね。それからは『喪服の未亡人 欲しいの…』までは無いんですよ。
渡辺護監督とやられた『片目だけの恋』(2004年)はまた違った形ですよね。
井川:そうですね。もとは、エッチVシネの企画で書いたシナリオなんですよ。でも、企画が流れてしまって。たまたま映画美学校で「映画番長」の企画募集って張り紙があったから、ユーロスペスの分室に行って、「これは講師が応募してもいいの?」って聞いたんです(笑)。シナリオと良い監督をセットで提供出来ると思うって言って、売り込んだんです。
「映画番長」って新人監督といわゆる大御所との対決ですよね。大御所側が応募していた訳ですね(笑)。

「映画の中で使っているのは本当のエロ写真集」(井川)

そろそろ映画の内容に触れていきたいと思うのですが、まず「ほたるこい」の歌から、春画を試す江戸の夫婦の映像が始まり、その後奇妙な因果関係を感じさせる様な現代の二組の夫婦の話になっていきます。ドロドロした関係なんですけど、喜劇としてすごい楽しめました。今回の作品の喜劇調というのは井川さん自身かなり重きを置いたところなんですよね。
井川:渡辺さんとの話し合いでは、『喪服の未亡人 欲しいの…』が当人達は真剣だけれども客観的には喜劇であるっていう線でやったんで、次も国映で撮れるなら同じ路線でいこうというのと、『喪服の未亡人 欲しいの…』では旦那の遺品整理をしていて、旦那が浮気をしてたんじゃないかと疑う人妻が死んだ旦那に復讐しようとする話をやったんですよね。死者に復讐なんて出来る訳ないのになぜか復讐をしようとする悲喜劇っていう感じだったので、じゃあ復讐で悲喜劇でいこうと。形を変えて同じテイストにしようという事なんですね。『喪服の未亡人 欲しいの…』でも二組の夫婦が出るんですよ。もうちょっと二組の夫婦を今度は深く関わらせるような方法でやってみたいっていうのが渡辺さんにあったんで。だったらスワッピングになりますわな(笑)、という事で考えていったんです。
「たからぶね」っていう発想はその後生まれてきたんですか?
井川:その後になるんですよね。『喪服の未亡人 欲しいの…』の時も、遺品整理をして浮気を疑うっていうのも、その証拠になる品をどうしようかなと思って、色々考えてカセットテープにしたんですよ。何か声がいいだろうと思って。ただ、声が入る媒体は最近色々あるじゃないですか?その中で渡辺さんが、あまり最先端のものをやると分からないっていうので(笑)、カセットテープみたいなちょっと古い物の方が面白いかなと思ったんですよね。
それで、『色道四十八手 たからぶね』をやる時もちょっとレトロな媒体をわざと使うっていうので、それ何にしようかって考えていった時に、渡辺さんが昔浅草で飲んでる時にやくざから買ったっていうエロ写真集、映画の中で使っているのは本当のエロ写真集なんですけど(笑)、もちろん写真は差し替えてますよ。エロ写真集そういえば渡辺さん持ってたなって事で、あれを使おうと思ったんです。あれは本当に四十八手のエロ写真集なんですよ。見ていくと、色んな体位の名前がある中に「たからぶね」って何か面白いなっていうのがあって、後からなんですね。
そうなんですね。「たからぶね」っていうのは弁天というキーワードとともに、やっぱり色々繋がってくるところはありますよね。
井川:そうですね。エロ写真集を使おうってなると、大和屋竺が脚本を書いて渡辺さんが監督した『㊙湯の町 夜のひとで』の中でエロ事師の雀と久生がエロ写真を撮るシーンが印象的にあるんだけれども。やっぱりそれも、思い出して。まあ渡辺さんが撮る、エロ写真集が出るんだったら『㊙湯の町 夜のひとで』を思わせるテイストのシーンも作ろうという事で、ほたるさんと野村貴浩さんがやったあのシーンは、江戸時代風ではあるけれども雀と久生っていう役名にしてるんです。「たからぶね」を出せば弁天だし、弁天といえば『おんな地獄唄 尺八弁天』もあるしなっていうので、渡辺さんの過去の作品もちょっと入れていこうって思ったんですね。

「ピンク映画50周年でやろうという話の中で、作品の面白さがそれと合致した」(林田)

今回はご自身で監督された訳ですけども、脚本についてはその後書き直されたりっていう事はあったんですか?
井川:いよいよ、「ぴんくりんく」と「PG」で制作するってなった時に直しをしました。渡辺さんがちょっとっていう箇所がいくつかあったんで、それを直したんです。それが、印刷にまわって撮影で使った脚本です。ただ、現場でも直してるんで。
それは演出をしながら直していったっていう感じだったんですか?
井川:シナリオに書いてある通りでもいいんだけども、役者の芝居を見てて、この役者でやる時にこれでいいのかなって考える所がいくつかあったんですよ。例えば、家でセックスして最後足つっちゃったっていうあのシーンも、後背位でセックスって脚本には書いてあるんですよ。要するに奥さんを後ろから突きながら、愛田奈々(役名:千春)の事を思い出して、ちょっとぼんやりしてしまうっていう風に書いていて、それはそれで成立するんだけど、でもそれで、なかみつさん(なかみつせいじ/役名:一夫)と佐々木さん(佐々木麻由子/役名:敏子)が面白く見えるのかなって考えて、撮影する朝の電車の中で考えて、ベッドでセックスしてるんだから騎乗位でなかみつさんがベッドの縁までいけば、がくんと頭が後ろにいくから佐々木さんからは見えないだろうとか考えていく内に、心臓マッサージみたいっていうくだらない事を思い付いたんです(笑)。
あれはほんとに笑いました(笑)。その後、なかみつさんが佐々木さんの足を持っていて結果的に逆「たからぶね」になっているっていうのも面白かったんですよ。
井川:やっぱり、なかみつさんと佐々木さんが面白く見えれば良かったので、それで変えている所はあるんです。
林田さんは井川さんが、最初に仕上げてきた脚本のインパクトって具体的にどんな感じだったんですか?
林田:単純に面白いなって。その面白いっていうのは独特の世界観っていうのもありますし、描かれている関係性とか物語的なものってすごくシンプルじゃないですか?オーソドックスなんだけど、ただ平凡な日常的な男女の関係性が描かれているんじゃなくて、もう一歩先の深みがあるっていうか、そういうところだったり。あと、「四十八手」とかっていう日本的なエロスとピンク映画っていう日本独特のジャンル。それをピンク映画50周年という枠の中ですごくやる意味があるなと。いろんな面白さが合致したっていう印象があります。

「渡辺さんは、「監督はまず芝居の演出」って言っていた」(井川)

夢の中で一夫が、江戸の町人が春画を真似た体位の写真を撮っていて、「たからぶね」で急に千春が現れるっていう、その時の千春の表情がすごく魅力的で、一夫がそれに取り憑かれてしまうのが分かっちゃうくらい魅力的だったんですよ。木魚とお経の音がしてて、「たからぶね」っていう言葉自体が呪いめいたものの様な感じも受けてですね、そういった千春の魅力を強く印象付けるための演出上の工夫についてお聞きしたいです。
井川:愛田さんが主演ですから、何とかしなくちゃっていうのがありましたけど、すり替わるところは愛田さんがそういう演技をしてくれたからなんですが。愛田さんの所でシナリオと違って直したのが、最初にラブホテルでなかみつさんと愛田さんがセックスするシーンでですね、衣装合わせの時に「不倫現場に行く時の衣装ってどうしますか?」っていう風に言われて、そんなに派手な服は着て行かないと、化粧はどこか外で直すとして、「服は普通なんだけど脱ぐと下着がドキッとするようなのがいいんじゃないですかね」とか言って、愛田さんが下着を選んで、「こういうのでどうでしょう?」って言って衣装合わせに持ってくる訳ですよね。
で、これでいきましょうって言って、それからしばらくして、「という事はきちんと服を脱いで下着を見せないといけない訳だ」って思い、でもシナリオそうなってないよなって(笑)。だから下着を見せるような脱ぎ方を撮らないとなと思ってですね、なかみつさんに、「すみませんけどパンツ一枚で正座して下さい」って言って、「その前でゆっくり焦らすように服を脱いで下さい」って言ってやる訳ですよね。そうすると、なかみつさんはですね、やっぱりじっと座ってるのじゃ駄目だと考えて、すぐに立ち上がって押し倒そうっていう芝居になるんで、「いやいや、なかみつさん、じっとしてる後ろ姿が情けなくて良いんで、動かないようにしてほしいんですけど」と言いつつも役者だから動くよなと思い、愛田さんに犬に言うみたいに「待て!」って言ってもらったんです。
そしたら、それがおかしかったんですよ。愛田さんが今までやってた役って、比較的貞淑な女の人の役をやっていたから、ああいう役をやってないんです。AVでも陵辱される人妻みたいなのですから。ああいう役は観た事は僕は無かったし、やれるのかなって思ったら、やり始めたら面白がってやってるから、じゃあこれは使おうと、それで直していく訳ですよね。この「待て!」は面白いからもう一回別のシーンで使おうと思って、後半でまたやると。
あの千春の奔放さの魅力はすごいあって、尚かつやっぱりエロいんですよね。あの奔放さが。僕が以前、井川さんが渡辺護さんにインタビューした文章を拝見した時に「絡みはフルで撮るのが一番エロチックなんだ」っていう事を渡辺護さんがおっしゃっていたみたいで、井川さん自身そういった渡辺監督の演出方法、撮り方みたいなのは意識された所はあったんでしょうか?
井川:いや、僕はもう芝居の事だけにしようと。カメラマンの清水正二さんは、ピンクをたくさん撮られていて、ベテランですから、撮り方は清水さんにお任せしようっていう事ですよね。渡辺さんは、「監督はまず芝居の演出」って言っていたから、今回はそれでって事です。引いた画になっているのは、清水さんが引いて撮った方がいいと思ったからなんじゃないかな。
その分、演出に関してはかなり粘ってやられたんでしょうか?愛田さんが足バタバタさせたりとかって(笑)。
井川:(笑)。でもあれって、愛田さんちょっとやってみて下さいよって言ったら、すぐやってましたけどね。そんなに何回もやった覚えはないんですよね。やりながら、愛田さんはこういう事も面白がってやる訳だ、と思いながら、それを覚えていて、後の所ではこういうノリで芝居が出来るんならって考えながらやっている所がありますよね。
最初はすごく従順な奥さんみたいな印象で、あそこでガラって変わるじゃないですか?しかも本当に楽しんでるんで、どっちが本当なんだろうってすごく悩まされました(笑)。

「絡みがちゃんと芝居として成立するものを」

林田さんは今作の完成形を初めて観られた時はどういう感想だったんでしょうか?
林田:撮影は四日間だったんですけど、ほぼずっと見ている中で、さっき話に出てたような現場で変わっていくライブ感っていうか、作品の雰囲気も変わっていくし、キャラクターもシナリオで読んだ印象よりもどんどん広がっていくしっていう、そういう面白さを、映画を作っていく過程の中で色々と感じていったものだったんです。撮影後の、アフレコとかダビングの時に、こういう音を入れるんだとか、そういう意外性もあったりして。だから、初号を見てというよりは、一個一個の過程の中で感じたことですけど、すごく個性的な映画になったなあと思いました。渡辺さんが撮っても面白いものになったと思うんですが、井川さんが撮ったことで渡辺さんを意識しながらも、これはやはり井川さんの映画になったんじゃないかなと。
井川:全然渡辺さんと無関係にやった訳ではなくて、シナリオの打ち合わせをやると大体渡辺さんは、ここをこう直してくれというのはほんのちょっとなんですよ。あとは大体、シーン1から始まって、「ここはこういう風に撮ろうと思うんだけど、どうだろう?」って。要するに自分がいま考えている演出を喋って反応を見るっていうような所があるんで、それをメモしてたんです。撮影前に一応整理して演出ノートにして、渡辺さんはこのシーンではこういう狙いを持ってたっていう、そういう部分は一応尊重しようという事でやってはいたんですよ。ところが困ったのは、絡みについてほとんど言ってないんですよね。
シナリオを観ながら、「うん、これで撮れる。大丈夫」って言う訳ですよ。それは絡みの演出は俺に任せてくれっていう事なんですよ。あとは、現場で役者を見て、役者の面白い仕草を活かして、膨らませてやるから任せとけっていう事でして。渡辺さんとしては、ピンク映画をきちんと撮るっていう目標があるから、そこは悩んだ所ですよね。渡辺さんは、「絡みがちゃんと芝居として成立するものを」っていう風に考えて、しかも役者の個性を活かして動かそうとしている。でも、それについては演出ノートは作れない。そこはどうしたらいいんだろうって。渡辺さんなら必ず役者を見て、動きを変えるはずだ、っていう所だけは守ろうという事だったんですけどね。
渡辺監督の昔の作品など観られていて分かっている所や、井川さん自身、渡辺さんの撮影現場も見られているので自然と分かる部分はあったんじゃないでしょうか?
井川:でもやっぱり、自分で撮る段階になって、はじめて気付く事って多いですよね。撮る前に渡辺さんの昔の映画で『紅蓮華』(1992年)とか『好色花でんしゃ』(1981年)を観ていると、シナリオだと一つの室内でほとんど動かないで座ったまま喋っているシーンっていうのがあるんですが、改めて観てみると確かにその部屋の中だけなんだけど、人が結構出入りしながら会話が成立してたりするんですよね。
あるいは一部屋で成立している芝居を二つの部屋に分割して、こっちの部屋で喋っていて、こっちに移動して喋るっていう風になってたりするんです。これが実は、シナリオの狙いを効果的にやってるんですよね。シナリオの狙いがもっと明確に伝わるように二部屋を使ってやるっていう風な事をしていて、「ああ、こういう風にやらなきゃいけないんだ」って。それはやっぱ自分で監督する立場になってから渡辺さんの映画を観て、初めて気付いた点ではあったんですよね。
なるほど。僕は映画美学校時代に教室で井川さんの演出を拝見させてもらった事があるんですが、とにかくお芝居を何度も何度も反復させていたんですね。それがすごい印象に残ってまして、今回の現場でもかなり時間をかけてリハーサルやテストを行っていたんでしょうか?
井川:基本同じですよね(笑)。まあ、自由にやってみて下さいって言って、何度か自由に演じてもらっている内に、この役者さんはこういう風に動きたがっているんだろうな、というのを見つけて芝居を変えていくって事ですよね。渡辺さんも役者に合わせて芝居を変えていく人だけども、渡辺さんはしつこく繰り返しやらせてとかはない訳で。
映画の後半の方で、スワッピングみたいな事になる、そのドタバタの所ら辺はずっと繰り返しテストをやっていると、もうその時は色々試していいんだって役者さんは分かっているみたいだったから、岡田(智宏)さんとかは毎回毎回芝居を変えてましたよね。色んな事やってみていいんだって。その中で面白いのがあったら取り入れていて。で、岡田さんの芝居を見ているうちに、なかみつさんも「そういくんなら、じゃあこうしよう」っていう風に変わっていくっていう感じですよね。岡田さんに佐々木さんがフェラチオしていると、廊下で正座して見ていて襖をすーっと閉めるのは、あれは別に僕がそうやって下さいって言った訳じゃなくて、なかみつさんがやったんです(笑)。「いや、そうしたい気持ちになりまして」ってなかみつさんが言うから。
(笑)。そういう風にして生まれているお芝居も多いんですね。
井川:そうですね。

「シナリオライターの頭でやっていると映画を撮るときはまずいんじゃないか」(井川)

今回もっとも苦労されたシーンってどの辺ですか?
井川:やっぱり最後のスワッピングになる所ですよね。ていうのは、確かに今まで短編は撮ってたり、いくつか映画を撮ってた事は撮ってたんですが。考えてみると、登場人物二人が画面に出て芝居してるっていうのしか撮っていない訳で、四人を撮った事がなかったんですよね。だから、その四人の人間が動くってどうやったらいいんだろうっていうのは悩んだ所と、もう一つは、あのシーンは一回のリビングっていう風に書いてあって、延々芝居について書いてある訳ですよね。
一階のリビングの一部屋だけでやる、それでいいんだろうか?っていうのがさっき言った渡辺さんの作品を観直して、『紅蓮華』で一部屋の芝居を二部屋に分けてやっていて、しかもそれがシナリオの狙いを効果的に伝えているっていうのが分かった時に、これを応用しようと。だから、リビングだけで成立しなくていいっていう風な事で、横にある和室を使おうと。シナリオライターの頭だと、どうしても室内だったらこの部屋だけで完結するように芝居を書きたがる。そうならざる得ない所があるんだけれども、同じ頭でやっていると映画を撮るときはまずいんじゃないかって思ったんですよね。
あのリビングと和室の距離感が、より滑稽な感じを表現してるんですね。
井川:ただ、カメラマンの清水さんやスタッフの方達は大変でしたよ。テストをやっている時は、「どう動いてもいいっていう風にしたいんで、部屋の隅っこにいて下さい」って、広いリビングなんだけど、スタッフはみんな壁に張り付く様な感じでした(笑)。こう動くんだったら、ライトどうするんだとか話していましたね。
そうですよね(笑)。でも、大体の映画はある一カ所に集中して撮影しちゃう所があるので、それ以外の部屋って荷物を置いたりとかでシャットダウンされてますよね?そういうのが、やっぱりお芝居の可能性をちょっと失わさせてる部分もあるのかもしれないですね。

「渡辺さん死ぬかもしれないとか思ってるから、あれを書いちゃってるんだろう」(井川)

劇中の台詞のなかで「僕は悔しい男になりました」という台詞が大好きなんです。
井川:あれはでも、中原中也ですよ。中原中也が小林秀雄に彼女取られた時に確か「悔しい男になりました」っていうのをどこかに書いてたんです。中原中也にお礼を言わないといけない(笑)。
そうでしたか(笑)。結局一夫って「悔しい男」から脱する事が出来なかった訳じゃないですか?ラストはああいう形になるっていうのは、一夫にとって必然だっだんでしょうか?映画の中でも二人がいなくなってしまう予感めいた描写は感じ取れるんですが。
井川:最後はねえ。何であんな風になっちゃったんですかね?2009年のシナリオの段階から、最後は地震がおきるっていうのは書いてあったんですけど、ただその時は揺れがすぐ止まって笑い声が響いてくるってなっていたんですよね。それが何か、やっぱり3.11があった後は、ちょっと揺れたくらいでは駄目だろうなと思っていたら、現場のスタッフがみんなして思いっきり揺らす訳ですよ。そうすると、タンスが飛び出すくらいにしなきゃいけないとか、みんなでやり始めると、段々揺れ方が大きくなっていって止まらなくなる訳です。シナリオでも揺れがずっと続くとは書いてはあったけど。で、岡田さんが「これは、でかいですね」とか台詞を言うと、より一層終末感が漂う訳ですよね。
新谷尚之さんの特殊造形も独特な雰囲気ですよね。
井川:シナリオを書く段階から、新谷さん頼みのつもりではいたんです。最後に突き抜けたイメージで終わりたいなっていうのがあって。渡辺さんも新谷さんの事は知っていますからね。ここは新谷さんにお願いしてっていうのは渡辺さんも言ってたから。
「みんな仲良く、いつまでも」っていう台詞が印象に残りますね。
井川:あれは実は、最初の脚本では無いんですよね。本の直しをしている最中に渡辺さんがどうも体調が良くないってなってから、なぜか付け足しているんですよね。いまになってみると、ひょっとしたら渡辺さん死ぬかもしれないとか思ってるから、あれを書いちゃってるんだろうと思うんですよね。

「ピンクの新しいスタンダードを作る」

最後にですね、お二人が『色道四十八手 たからぶね』に込めた思いと、この映画は観るお客さんにメッセージをお願いします。
林田:ピンク映画50 周年で、渡辺さんに撮ってもらうっていう所から始まりながらも監督が亡くなってしまって、僕らがその思いを継いでっていう、色んな意味合いが結果的についた作品になったんです。新人監督という言い方は違うと思うんですけど、でもピンク映画にとっては新人である井川監督、そういう新しい作家にピンク映画っていう場所からデビューしてもらったっていう、そういう意味合いも持った、本当に色んな事が含まれましたね。
現在新東宝、オーピー、Xcesというピンク映画の会社がある中で、ピンク映画はそれらの会社が作り、成人映画館に流すものという捉え方になってますけど、今回「PG」や「ぴんくりんく」っていう映画会社ではない所が作るっていう形態で、いま「独立プロ」っていう言い方はしないですけど、ピンク映画の始まりの頃っていうのはそういう「独立プロによる成人映画」っていう言い方があって、ある時井川さんから「これは本当の意味での独立プロですね」って言われて、ああなるほど、そういう意味合いもあるのかなって思ったりもしたんです。
ピンク映画っていうジャンルの原点回帰というか、終わりつつある状況の中でまたここから始まればいいかなって思ってるんです。そういう意味合いも含んで、これから作品が一人歩きしていく訳ですけど、それこそ「たからぶね」の船出じゃないですけど、これからに向けた映画になってくれればいいなって思います。
井川:自分で監督しといて言うのもあれなのかもしれないけど、やっぱり渡辺さんに撮ってもらいたかったですね。相変わらず、撮り終わった後にも痛切に感じる事なんですよね。渡辺さんが『喪服の未亡人 欲しいの…』の時から言っていたのは、「ピンクの新しいスタンダードを作る」という言い方をしていて。『色道四十八手 たからぶね』もやっぱり、新しいスタンダードを作る試みの延長線にある、そういう事を渡辺さんは『色道四十八手 たからぶね』でも目指してたんだと思うんですよね。そこが果たしてうまくいったかどうか。渡辺さんがやりたかった事は、ピンク映画の枠の中で何か自分の表現をしたいものをやるとかじゃなくて、「ピンク映画の枠の中でまさにピンク映画を作る」、それを最後の最後にやろうとしてたと思うんで、渡辺さんの思いを引き継げたかどうかっていう所は観て頂くお客さんに判断してもらいたいって思います。
あとは、「ぴんくりんく」の太田さんが橋本愛ちゃんに観に来てほしいって言ってたから(笑)。まあ、あとは林田さんが言った通りですよね。要するにいまピンクの状況は危機的な訳で、これからどうなっていくか分からない中で今回自主制作、自主配給でやったっていうのは、やっぱり意味のある事で。どうしても映画は監督の表現とか、そういう風に観られがちだけれども、今回の作品に関しては製作した林田、太田の表現でもあるという風に観てもらいたい。ピンクの始まりに戻るような形態で映画を撮るんだっていうのが、林田と太田の思いでしょうし、そこの所がうまく伝わればいいかなとは思ってますね。
本日はお忙しい中、本当にありがとうございました。
【Story】

江戸の町人風の男と女が、春画の中で様々なまぐわいを見せている。仰向けになって片足をあげた男の上に、女がまたがり、男の足にしがみつく。男の足を宝船の帆柱に見立てる。女は弁天様のよう。

それは、性戯四十八手のうちの「宝船」―

結婚一年目の若い夫婦。誠実そうな三十過ぎの一夫と、まだ二十代後半のうぶな千春。ある晩、千春が、寝言でつぶやいた「たからぶね」という言葉。それ以来、一夫の頭の中にはその言葉が頭からこびりついたように離れなくなる。

そんなある日、一夫は叔父の健次に偶然エロ写真集を見せられ、「たからぶね」が四十八手の体位であることを知る。千春は清純でエロに免疫がないと一夫は思い込んでいたが、実は千春は一夫との結婚前から健次と交際しており、結婚後も夫の目を盗んで健次とのセックスライフを楽しんでいたのだ。

やがてその事実を健次の妻・敏子と一夫が知ることになり、ふたりは結託しそれぞれのパートナーへ強烈な仕返しを計画する。

そして、ついに一夫と敏子と復讐の日がやって来た…。
井川耕一郎監督作品『色道四十八手 たからぶね』
10/4(土) より ユーロスペースにてレイトショー絶賛上映中

以後、大阪・第七藝術劇場、京都みなみ会館、神戸映画資料館、ほか順次公開

■公式サイト
http://www2u.biglobe.ne.jp/~p-g/takarabune/index.html
■「渡辺護」公式サイト
http://watanabemamoru.com
■関連記事(映画紹介記事)
http://culture.loadshow.jp/topics/takarabune/
聞き手、構成、写真: 川邊崇広
『色道四十八手 たからぶね』
出演:愛田奈々、岡田智宏、なかみつせいじ、佐々木麻由子、ほたる、野村貴浩

企画・原案…渡辺護

監督・脚本…井川耕一郎

プロデューサー…太田耕耘キ(ぴんくりんく)、林田義行(PG)

撮影・照明…清水正二

主題歌「尺八弁天地獄唄」 唄…結城リナ

助監督…佐藤吏/特殊造形…新谷尚之/編集…酒井正次/録音…シネキャビン/現像…東映ラボ・テック/題字…日野繭子

製作:PG ぴんくりんく/配給・宣伝:PG ぴんくりんく

2014 年/ 71 分/カラー/ 35mm / R18+

©PG ぴんくりんく

  • 『井川 耕一郎(いがわ・こういちろう)』
    1962年生まれ。映画監督、脚本家、映画美学校フィクション・コース講師。

    1987年、監督作品『ついのすみか』が第10回ぴあフィルムフェスティバル入選を果たす。1993年、後藤大輔監督『のぞき屋稼業』で脚本家デビュー。その後、鎮西尚一監督『女課長の生下着 あなたを絞りたい』(1994年)、常本琢招監督『黒い下着の女教師』(1996年)、大工原正樹監督『のぞき屋稼業9 恥辱の盗撮』(1996年)、『姉ちゃん、ホトホトさまの蠱を使う』(2011年)、山岡隆資監督『痴漢白書10』(1998年)、渡辺護監督『片目だけの恋』(2004年)、『喪服の未亡人 欲しいの…』(2008年)、などの脚本を手がける。監督作としては、『寝耳に水』(2000年)、『西みがき』(2006年)などがある。

    今作『色道四十八手 たからぶね』では、渡辺護監督の遺志を継ぎ監督・脚本を担当した。
  • 『「PG」林田義行(はやしだ・よしゆき)』
    1972年生まれ、東京都出身。ピンク映画専門誌「PG」の編集長であり、ピンク大賞の企画者。今作『色道四十八手 たからぶね』では、関西でピンク映画情報誌を制作している「ぴんくりんく」の太田耕耘キとともに作品プロデュースを行う。