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瀬々敬久×切通理作 特集上映「アナーキーじゃぱん史あるいはアナーキーな純情?―瀬々敬久監督 1982-2001」開催記念対談

特集上映「アナーキーじゃぱん史あるいはアナーキーな純情?―瀬々敬久監督 1982-2001」 2015年12月18日(金)まで、K's cinemaにて公開

映画監督・瀬々敬久の特集上映「アナーキーじゃぱん史あるいはアナーキーな純情?―瀬々敬久監督 1982-2001」が、現在 東京・新宿のK's cinemaにて開催中だ。当特集上映では、新作『菊とギロチン -女相撲とアナーキスト-』の始動を宣言すると共に、ベルリン国際映画祭で2部門に輝いた『ヘヴンズ ストーリー』の他、ピンク映画時代の作品群と学生時代に制作した8ミリ映画『少年版私慕情 国東 京都 日田』の計11作品が上映される。そこで今回は瀬々監督と旧知の仲である、文化批評家の切通理作氏をお呼びし「アナーキー」や「テロ」をテーマに瀬々敬久監督のルーツに迫った。

民衆の猥雑でロマンスのある活劇

切通理作(以下、切通):本日はよろしくお願いします。
瀬々敬久(以下、瀬々):よろしくお願いします。
切通:今回の特集上映は『ヘヴンズ ストーリー』の公開5周年ということの他に、新作『菊とギロチン -女相撲とアナーキスト-』のキックオフイベントという側面もあるんですよね。
瀬々:そうですね。
切通:『菊とギロチン』は瀬々監督の自主企画なんですか?
瀬々:そうです。1995年の頃、ロッテルダム映画祭でピンク映画の特集が行われ参加した時に、企画を出して海外からの出資者を募るコーナーにこの『菊とギロチン』を出したのがそもそものはじまりです。当時の反応は「興味はあるけど、完成したらね…」というものが多く、以降実現せず。なので20年くらい前から温めていた企画なんですよ。脚本自体は2000年ごろにできていたのですが、そろそろ実現に向け本腰を入れたいと思い、空族の相澤虎之助くんに脚本を直してもらい、このタイミングで企画の告知をして、映画に出資してくれる奇特な人を募るという算段をしているわけですわ(笑)。
切通:個人単位の出資を募っているんですか?
瀬々:そうですね。もちろん会社でも、グループでも良いんですが。
切通:クラウドファウンディングとは違うんですよね。
瀬々:クラウドファウンディングはお金が返ってくるわけではないけど、これは所謂出資という形なので、収益が上がれば出資者に返ってくるシステムになっています。ただ、11月29日に京都大学の西部講堂で企画の宣言をしたものの反応が全くないんですよ(笑)。当然ですが、甘くないなあと。
切通:この『菊とギロチン』は大正時代のアナーキスト達と女相撲がモチーフになっているそうですが、発想から20年経っても瀬々監督にとって「今」の企画なのですね。
瀬々:最近、テロって非常に悪い事とされているじゃないですか。まあ、当然悪い事なんですけど(笑)。『菊とギロチン』でモデルにしているアナーキスト達は「ギロチン社」といって、思想家である大杉栄の報復の為爆弾を作ったりした、いわばテロ組織なんです。でも、結局捕まって死刑になってしまうんですよ。ギロチン社の最終目的が大正時代の摂政・裕仁、後の昭和天皇の暗殺だったりというところにも死刑の理由があったと思うんです。
切通:大正天皇は当時病気で実権がなかったんですよね。だから、摂政だった昭和天皇を狙い、天下の転覆を図っていたわけですね。
瀬々:そういうことです。それで、このギロチン社が企てた暗殺計画は当時の格差社会を反覆するため計画されたテロだったわけなんですよ。しかし今のテロを鑑みるとすごく管理されていますよね。大規模なグループによって戦略的に行われる政治的に管理されたテロ。自分はそれに対して違和感を覚えているんです。一方で、昨今の日本は、日本だけでなく世界的に、戦前的な雰囲気があるじゃないですか。ギロチン社は関東大震災以降、戦争に向かっていく過程のなかで、国家の右傾化に対して、何とかしようという思いでやった。それは現代にリンクすると思うんです。
切通:むしろ今の時代に突き付けるものになっていると。
瀬々:ただ、アナーキストだけを描くのは映画として茫洋かなとも思いまして。ノンフィクション作家の井田真木子さんが『プロレス少女伝説 新しい格闘をめざす彼女たちの青春』というレスラー列伝を書いてるんですけど(90年/文春文庫)そのなかで女子プロレスの発祥として「女相撲」という格闘技が江戸時代末期からあったという言及があるんです。また、当時の農村の次女、三女は身売りなど悲惨な顛末に転がりやすく、そういう人たちにとって女相撲は憧れの的であり、勝手に全国興行についていったりしたそうなんです。
切通:女股旅ものみたいな面白さも出せそうですね。
瀬々:その話を知って、女相撲の民衆的なパワーとアナーキズムを組み合わせることで新しい運動的な映画になるんじゃないかなって、思ったわけですよ。
切通:めちゃ面白そうな内容ですね。この取材、もうここまででいいんじゃないですか?(笑)。
瀬々:ふふふ。もういいよね(笑)。

「実際の事件を因にしたフィクション的な妄想に興味が湧く」(瀬々)

切通:瀬々監督の作品にはよくテロリストが出ますよね。宮沢賢治の詩がタイトルになっている『わたくしといふ現象は仮定された有機交流電燈のひとつの青い照明です』(92年)もそうですが、東アジア反日武装戦線の大道寺将司も宮沢賢治の影響を受けていると言われます。テロを描くのはこだわりなんですか?
瀬々:ううん、テロというよりテロリストが好きというか。政治運動が60年代後期から70年代一気に盛り上がりましたけど、特に俺が好きなのはそれのちょっと下の世代。沈静化した世情のなか個人的な思いを達しようとしてテロリストになる人々が好きなんですよね。
切通:東アジア反日武装戦線のメンバーもやや下の世代でしたよね。瀬々さんに薦められて読んだ松下竜一のノンフィクション『狼煙を見よ』(社会思想社/93年)に彼らのそうしたリアリティが出てきているのを思い出しました。
瀬々:ギロチン社もちゃんとした組織だったグループでなく若者たちの集まりみたいないい加減なところもあって、当時の労働運動が弾圧される中、ずっと小さな炎を燃やし続けて、大杉栄など運動家の亡き後も個人的な想いを持ち続けていた。そういう人に興味があるんですよ。
切通:瀬々監督がテロをしたいわけでは?
瀬々:したくはないよ(笑)。ムーヴメントが去った時代にひっそりと闘志を燃やす青年に興味があるんです。
切通:どうしてなんですかね?
瀬々:なんでだろうね(笑)。その価値観はずっと変わんないですね。
切通:実際にテロリストと会ったとかいうことは?
瀬々:ないですねぇ。人脈もないですし。今までもリサーチとして人に会いに行くという行為はあまりしてないですね。ただ、事件が起きた場所にはよく行きます。
切通:瀬々さんに勧められて読んだノンフィクション作家の朝倉喬司さんも瀬々さんと同じタイプですよね。その場に行って妄想するような。
瀬々:朝倉さんのはほとんど妄想ですよね(笑)。僕もそっち系なんじゃないですかね。もちろん事件の実際の史実にも興味はありますが、どちらかというと大正時代のアナーキストと女相撲が合体したらどうなるかという、フィクション的な妄想に興味が湧くんですよ。
切通:歴史の“if”に興味があるんですね。そういう切り口で瀬々さんの映画を眺めると、瀬々さんの映画は観客の共感を呼ぶための映画ではないように感じます。殺人者やテロリストを出しても別に共感してほしいわけじゃない。かといって指弾したいわけでもない、というような。
瀬々:共感を誘うことはないですね。ましてや指弾したくないですよ(笑)。

「ゼロ」になって生きるひと

切通:以前、所謂「酒鬼薔薇」事件の犯人が14歳だとわかった時に、それについて瀬々さんに尋ねたら、大きな事件には興味がないと言われていましたよね。
瀬々:そうだね。ただ、『絶歌』(太田出版/15年)は読んだ。その中で、彼が出所した後、ゴミ収集のおじさんたちなど元少年Aと一緒に働くひとの群像の描写には、深く感じるものがありました。
切通:僕も読んだのですが、その箇所は『ベヴンズ ストーリー』を思い出しました。
瀬々:元少年Aに内在するヒロイズムやナルシズムには問題大ありなんだけど、なにか考えさせる深い描写はあったと思います。『絶歌』的なことについては、いつかもっとちゃんと考えていきたいと思ってます。
切通:忍成修吾さん演じる殺人者のミツオであったりそんなミツオを受け入れる山崎ハコさん演じる恭子だったりと、『ベヴンズ ストーリー』は失うだけの人生というか、救済される可能性のない人生が描かれていると思うんです。そういうひとたちにも興味があるんでしょうか。
瀬々:そうだね、諦めて生きているひとにもなぜか興味がある。諦念ってすごい日本的に感じるんですよね。
切通:瀬々さんも諦めてるんですか?
瀬々:僕は諦めてないですよ(笑)。
切通:じゃあ諦めていない人間でないとリアリティーを感じないということなのですかね?
瀬々:ううん、なんというか「ゼロ」みたいな局面に興味があるんです。「ゼロ」って70年前後の時代の言葉だと思うんですけど。最近読んだ栗原康という人の『現代暴力論』(角川新書/15年)にアナキズムとの関連の中で非常にうまく書かれてた。
切通:瀬々さんの言う「ゼロにする」というのはどういうことですか?
瀬々:なんていうか、近代主義は自我や自意識を大事にするじゃないですか。教育も含めて。ひとの立脚点を大事にして育てるみたいな。それが近代主義っぽすぎるというか、違う方向を考えてみたいんです。こういうこというとカルトっぽくなってしまいますけどね(笑)。

僕は、何かを諦めて「ゼロ」になってしまったひとと、アナーキストなど生を謳歌する激しさを持つひと。そのふたつに興味があるような気がしています。『ヘヴンズ ストーリー』も切通さんが仰る通り登場人物たちがゼロっぽくなっていく。行き場がなくなり、押しやられ、にっちもさっちもいかなくなり、そこで触れ合って爆発する、みたいな。そんな人間関係に興味があるんだと思います。
切通:だから、瀬々さんの映画の主人公は近代的な個人が目覚めて、頑張り、勝利を獲得するという映画にはなってないのかもしれませんね。
瀬々:なるほど、そうかもしれない。

「私」という感覚に疑いを持つ世代

切通:映画『わたくしといふ現象は仮定された有機交流電燈のひとつの青い照明です』は宮沢賢治の詩「春と修羅」の書き出しですが、賢治に惹かれるのは、ひとつにゼロへの意識があるからですか?
瀬々:そうですね、自我否定というか、自分という現象は仮定でしかないと。有機交流電燈には反作用、副作用と化学反応がいろいろあるんですけど、ひとはそのうちのひとつでしかないというね。また、この映画はレズものなんだけど、『「レズビアン」である、ということ』(河出書房新社/92年)という掛札悠子さんの著作に影響を受け始まった映画でもあります。当時はカミングアウトという言葉が流行した時代だったんだけど、掛札さんの言う“カミングアウト”は「レズビアンと告白する」という意味合いで使用するのではなく、もうちょっと違ったニュアンスの表現だったんです。それを読んでいて宮沢賢治の詩を思い出し、レズビアンであるということと宮沢賢治的世界観を合流できないかなって思って作ったんです。
切通:こうしてお話ししていると、僕は瀬々さんの影響で色んな本を読んできたんだなと改めて思うんですが、やはり当時、僕も瀬々さんに教えられて『「レズビアン」である、ということ』を読みました。<ヘテロセクシャルの人が自分の性を告白しても当たりまえのように、レズビアンにとってのあり方も本来とりたてて言うべきことではない。ただ、レズビアンというのは少数で、ヘテロセクシャルが社会の中で規定されている性であるから、カミングアウトする意義がある>という内容でしたよね。僕はあの本を読んで以来、例えばものを書いたりする時の主語の「私」「僕」に対して、とても自覚的になった気がします。 
瀬々:そうでしたね。やはり、掛札悠子さんの本でもレズビアンを通して「私」に疑問を持っているように感じました。
切通:映画『少年版私慕情 国東 京都 日田』(82年)は以前アテネ・フランセで拝見したのですが、これにも無自我というかゼロに対する意識はあったんですか?
瀬々:ありましたね。これは原將人さんの『初国知所之天皇』(73年)を見て刺激を受け作った映画で、「初国〜」も“私”に対して疑いがある映画だったから影響は多分に受けていると思いますよ。
切通:『少年版私慕情 国東 京都 日田』を撮ろうと思ったきっかけはなんだったんですか?
瀬々:う〜ん、30年前の映画だからなあ(笑)。8ミリカメラで撮っていたホームビデオみたいなものを徐々に作品にしていった感じだったと思うけど…。詩人の鈴木志郎康さんの影響もあって、8ミリを撮っていた頃は個人映画をよく作っていたんです。それに、8ミリでドラマのある映画を作るのって難しいですしね。
切通:初めて映画を撮ろうと思った時の「映画」は劇映画のイメージだったのでしょうか?
瀬々:一番最初は劇映画をイメージしてました。でも、変な劇映画を目指してましたね。原將人さんの『おかしさに彩られた悲しみのバラード』(68年)とか。
切通:たしかに原さんも主体を疑う映画ですよね。大島渚監督は『東京戦争戦後秘話』(70年)で当時は新しい世代としての原さんの視点を取り入れていました。
瀬々:原さんも全共闘より遅れて生まれてきた人だし、僕も運動が沈静化した時代を過ごしていたので、近い感覚はあったのかもしれない。「私」というものに疑いを持つ世代なのかもしれませんね。

「最近の若い役者さんって、メジャーとかマイナーとか区別しない」(瀬々)

切通:瀬々さんが映画を作る上で、ピンク映画の道を通過していったのには意味はあったんですか?
瀬々:その道しかなかったからなあ(笑)。イメージフォーラムに出したら、けちょんけちょんにけなされ、ぴあフィルムフェスティバルに出せば落ち。もう自主映画からデビューしていくことはできないなと思っていて。それで、ある映画にスタッフとして参加した時にチーフ助監督の人がピンクにも出ていた俳優の山本竜二さんを紹介してくれて、それで映画業界に入ったわけで。その道しかなかったんですよ。
切通:そうなんですか。
瀬々:でもピンク映画って少人数で作るので、自主映画みたいなものだったんですよ。だから、作れたんじゃないかな。もともと作りたい映画も変わってたし、自然な成り行きだったのかもしれませんね。
切通:変わった映画というのは、原さんの作品のように、映画である事を問う映画という事だと思うんですが、今は商業大作でもある『64-ロクヨン-』を撮られれば、自主企画の『菊とギロチン』を企画していたり……。
瀬々:もう歳だから、時間がないんすよ(笑)。あと働けるの10年くらいでしょ。最近、歳感じないですか?
切通:僕も物書きとして、もう一花、二花咲かせたいところですけど(笑)。
瀬々:僕なんか現場によっては最年長だし…、やばいんですよ(笑)。
切通:たとえば若い時はアナーキストに興味あっても歳とったら体制的になる人も居ると思うんですけど、瀬々さんの場合、題材選びは歳と関係しないんですか?そりゃまあ、老人のアナーキストもいらっしゃるでしょうが(笑)。
瀬々:俺は若い子好きだからさ、あんまり変わらないね。最近の若い役者さんって、メジャーとかマイナーとか区別しないんですよ。
切通:瀬々作品に出られてる方では染谷将太さんもそうですね。
瀬々:そうだね。もちろん事務所の事情もあるだろうけど、みんな面白い作品があれば参加する意思を示してくれるんだよ。それはやっぱり原動力になるよね。

「映画」の幅を広げる

切通:90年代はあまり熱い時代じゃなかったと仰っていましたが、今の世情は割と沸騰してきているじゃないですか。そういう時代だからこそ、逆に冷めてしまうってことはないんですか?
瀬々:今は本当にやばい感じになってるじゃないですか。だから作ることで示していくことは必要だと思っています。
切通:先ほど瀬々さんが仰った通り、90年代は熱気がない時代だと思うんです。だから、何か事件を起こせば平地に乱を起こすみたいな…、インパクトがあったと思うんです。でも今は、たとえば政治に関心は出てきていても逆にいまさらテロを起こしていても世の中が変わるわけじゃないという空気もあると思うんですよね。それに対してある種の閉塞感を感じたりしたりはしないですか?
瀬々:まあ、別に俺はテロを推奨しているわけじゃないからね(笑)。でも、映画業界を見ても閉鎖感というか、選択肢の幅がなくなってきている気はするね。フィルムがなくなってデジタル一辺倒になり、予算も縮小して超低予算か大作の二極化が進み、中規模の映画が無くなってきている。それに連れて、単館系の映画館も経営が難しくなってきている。ネットという場はあるんだけど、あくまでネットは遠いものが繋がる場であって、一緒の空気を吸う場が少なくなってきている。そんな窮屈さみたいなのは、自分が映画を作る上で嫌な感じだなって思いますし、そういう空気感を打破するのが今の僕の制作動機になっている気がします。
切通:そういう時代に上映5周年を迎える『ヘヴンズ ストーリー』は稀有な映画ですね。
瀬々:うん。久しぶりにこの間、『ヘヴンズ ストーリー』を自分で見たんですけどこういう映画があってもいいんじゃないかと思いましたね。『野火』(監督:塚本晋也/15年)であったり、『恋人たち』(監督:橋口亮輔/15年)もそうだと思うんだけど、いろんな映画があることが健全でいいと思うんです。

例えば、ピンク映画とかって、ちょっとステージが低い映画って思われたりもするんです。でも、自分としてはそういう映画も普通の映画と同じくらい面白いんだって考えて作っているんですね。その気持ちは今も変わらないっすね。予算とか上映時間っていうのは決して映画の境界を引くものではないし、変な話携帯で撮ったっていいわけなんですから。
切通:『ヘヴンズ ストーリー』を100回見たという方もおられましたからね。
瀬々:そうですね。上映のシステムも含めて、自分は何やっている時も面白い映画を作っていこうという気持ちでいますし、少しでも映画の幅を広げられたらと思っています。
切通:新作『菊とギロチン』も楽しみにしています。
瀬々:まずは、企画を理解してくれて協力してくれるひとがいればいいんですけど…。みなさん、よろしくお願いします!

特集上映「アナーキーじゃぱん史あるいはアナーキーな純情?―瀬々敬久監督 1982-2001」
2015年12月18日(金)まで、K's cinemaにて公開

『ヘヴンズ ストーリー』in大阪 公開5周年
1月16日(土)より1月22日(金)まで、大阪 第七藝術劇場にて公開

◼︎特集上映「アナーキーじゃぱん史あるいはアナーキーな純情?―瀬々敬久監督 1982-2001」
□上映館
新宿K’s cinema(住所:東京都新宿区新宿3−35−13 SHOWAKANビル3F)
http://www.ks-cinema.com/
□上映・イベントスケジュール
・12月17日(木)

13:45 『ヘヴンズ ストーリー』(2010年/278分)

18:45-19:15 トークショー 瀬々敬久×安川午朗(音楽)

19:30 映画『End of The World』(公開題:「すけべてんこもり」/1995年/65分)

21:15 映画『雷魚 RAIGYO』(公開題:「黒い下着の女 雷魚」/1997年/75分)
・12月18日(金)

13:45 『ヘヴンズ ストーリー』(2010年/278分)

18:45-19:15 トークショー 瀬々敬久×山崎樹一郎(『新しき民』監督)

19:30 映画『現代群盗伝2 月の砂漠』(公開題:「破廉恥舌戯テクニック」/1990年/62分)

21:15 映画『現代群盗伝』(公開題:「未亡人 喪服の悶え」/1993年/62分)
◼︎『ヘヴンズ ストーリー』in大阪 公開5周年
□上映館
第七藝術劇場(住所:大阪府大阪市淀川区十三本町1−7−27)
http://www.nanagei.com/
□上映スケジュール

1月16日(土)より1月22日(金)まで

連日14:55(途中休憩あり)より
◼︎『ヘヴンズ ストーリー』公式サイト
http://heavens-story.com
◼︎瀬々敬久監督 最新自主企画『菊とギロチン -女相撲とアナーキスト-』
出資及び出演に関する問い合わせ先:

「菊とギロチン」製作委員会(仮)

有限会社スタンス・カンパニー 担当:坂口一直

eMail:kikujiro@stance.co.jp

取材・構成・写真:島村和秀
『ヘヴンズ ストーリー』

(2010年/日本映画/カラー/アメリカンビスタ/278分/DTSステレオ/PG12)

監督:瀬々敬久

出演:寉岡萌希/長谷川朝晴/忍成修吾/村上淳/山崎ハコ/菜葉菜/栗原堅一/江口のりこ/大島葉子

吹越満/片岡礼子/嶋田久作/菅田俊/光石研/津田寛治/根岸季衣/渡辺真起子/長澤奈央/本多叶奈/佐藤浩市/柄本明

©2010ヘヴンズ プロジェクト

ストーリー:8歳のサト(本多叶奈)が友達と海で遊んでいると、近所のおばさん(渡辺真起子)が慌てて車で彼女を迎えに来る。サトの両親と姉がトラブルに巻き込まれて殺害されたため、彼女はひとり暮らしの祖父(柄本明)に引き取られることになったのだ。同じころ、トモキ(長谷川朝晴)は見知らぬ少年(忍成修吾)に妻と幼い娘を殺され……。
  • 『瀬々敬久(ぜぜ・たかひさ)』
    1960年大分県生まれ。京都大学文学部哲学科在学中に『ギャングよ 向こうは晴れているか』を制作。卒業後、向井寛が主宰する獅子プロダクションに所属。89年、『課外授業 暴行』で商業監督デビュー。以降、思想性を帯びたピンク映画によって評価を高める一方、『KOKKURI こっくりさん』(97)、『冷血の罠』(98)、『HYSTERIC』(00)などの商業作でも熱い支持を得る。2009年にはバンドの現在に日本の戦後史を透視する大作『ドキュメンタリー頭脳警察』を発表。2010年公開の『ヘヴンズ ストーリー』はほぼ自主制作にもかかわらず、ベルリン映画祭では国際批評家連盟賞とNETPAC賞(最優秀アジア賞)を受賞。現在、公開待機作に横山秀夫の著作「64(ロクヨン)」を原作にした2部作映画『64 -ロクヨン-』がある。また、自主企画映画『菊とギロチン -女相撲とアナーキスト-』の制作準備中である。
  • 『切通理作(きりどおし・りさく)』
    1964年東京都生まれ。文化批評。編集者を経て1993年『怪獣使いと少年 ウルトラマンの作家たち』で著作デビュー。批評集として『お前がセカイを殺したいなら』『ある朝、セカイは死んでいた』『情緒論~セカイをそのまま見るということ』で映画、コミック、音楽、文学、社会問題とジャンルをクロスオーバーした<セカイ>三部作を成す。『宮崎駿の<世界>』でサントリー学芸賞受賞。続いて『山田洋次の〈世界〉 幻風景を追って』を刊行。他、新聞/雑誌/Web 様々なメディアで時評・書評・コラムを執筆している。