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特集「韓国映画の怪物 - キム・ギヨンとキム・ギドク - 」(11/1-14)によせて

『玄界灘は知っている』キム・ギヨン

世の倫理を逆撫でする“悪態の映画作家”キム・ギヨンとキム・ギドク。その向こうにある人間の普遍的な真実を垣間見る快楽を、さぁ、味わおう!

10月初旬にちょっとだけ釜山国際映画祭に参加したのだが、海辺の飲み屋でなんとキム・ギドク監督と同席する機会があった。おずおずとチラシを取り出して、「11月に渋谷でこういう特集があるんですが、サインしてもらえま……」と言い終わるか終わらないうちに監督はチラシを手に取り、「ギヨン&ギドク2人展?組み合わせが面白いねえ」とえらくお気に入りの様子で、「もうひとり、パゾリーニを入れて3人展にすれば完璧だね」と付け加えたのだった。

キム・ギヨン(金綺泳/1919~98)とキム・ギドク(金基徳/1960~)。親子以上に年齢の離れた2人に映画界での直接の接点はない。ギドクがデビューした1990年代半ば、韓国映画は冬の時代の只中で、ギヨンもすでに引退していたからだ。強いて言えば1997年10月、それまで韓国の若い世代にとっても“知られざる巨匠”だったギヨンの大々的な回顧展が、その後の韓国映画復活の象徴となっていく第2回釜山国際映画祭で開催されたときか。このとき世界の映画祭ディレクターたちが『下女』(60)や『高麗葬』(63)を観て度肝を抜かれ、その後のヨーロッパでのギヨン・ブームにつながっていったのだが、韓国映画部門にギドクのデビュー作『鰐~ワニ~』(96)も出品されていて、受賞もせず大きな話題にならなかったのだが、事実上の国際デビューを果たしている。両者がこのとき言葉を交わす機会を持ったかどうか定かでないが、ギヨンはその4ヶ月後、漏電による自宅火災で亡くなってしまうので、いま振り返ると、あの年の釜山が唯一の接近遭遇の場だったのである。

韓国映画の“怪物”と称されるギヨンとギドクをぶつけるシネマヴェーラの企画に快哉を叫びたい。2人の共通項、それは世の倫理を逆撫でする“悪態の映画作家”である点だろう。ギドクがパゾリーニの名を出すのも納得だ。ただしギヨンとギドクのスタイルには差異がある。『下女』から『虫女』(72)を経て『死んでもいい経験』(88)に至るギヨンの「女シリーズ」は、ほとんど同じ話の反復である。たいていはインテリか金持ちであるギヨン的な主人公が、“運命の女”との不倫の甘美さを味わいつつもその果てに相手に翻弄され、自らの人生も家庭もみな崩壊させて堕ちていく。他方、ギドク的な物語はより多様多彩で、米軍基地と韓国社会の捻れを描く『受取人不明』(01)、援交少女の本音が満載の『サマリア』(04)、整形大国の韓国の断面図というべき『絶対の愛』(06)など、現代のさまざまな問題が吹き出してくる一方、多くの作品でわれとわが身を切り刻む身体毀損の場面が頻出し、強烈な印象を残す。“イタい映画”と呼ばれる所以である。

反=倫理的な登場人物を描き続けることは、しばしば彼ら2人に世のバッシングを招き寄せることにもなった。その点も共通している。雇い主を誘惑するギヨン的“下女”の振る舞いに激怒した女性観客が映画館を取り巻き、宗教団体からクレームも来たという『下女』の伝説。片や、映画業界との摩擦にイヤ気がさして山中に隠遁したギドクの独白集ともいうべき『アリラン』(11)を観れば、作家に対する世間の風当たりの強さが窺えるだろう。しかし多くのファンは、彼らの反=倫理的な表現を冷静に見つめ、その向こうにある人間の普遍的な真実を垣間見る。そこにこそギヨン&ギドク映画を観る快楽が存在するのだ。

今回の特集はギヨン6本+ギドク10本の編成で、注目作がいくつも含まれるが、まずはギヨン『玄海灘は知っている』(61)。近年の修復技術で上映可能となったが、欠落箇所も多いので、韓国でもソフト化されていないレアものだ。太平洋戦争末期に徴用され、名古屋の連隊に配属された朝鮮人青年ア・ロウンが体験する凄まじい差別と戦時下の恋。軍隊での差別という点では山本薩夫『真空地帯』(52)あたりと比較したくなるが、ギドク作品では、何も起こらない東海(トンへ)の海を守る湾岸警備隊が一人の狂女によって丸ごと崩壊していく『コーストガード』(02/今回は上映なし)を横に置いてみたいし、黒人米兵との混血児や米兵の愛人など、基地の町に生きる虐げられた者らを描いた『受取人不明』とも響きあうだろう。余談だが、青山真治監督が『玄海灘は知っている』の大ファンで、ディレクターを務める故郷の北九州市(目の前が玄界灘!)の映画祭で上映するほどの入れ込みようである。

それからギヨン『虫女』も久しぶりの上映だ。「女シリーズ」の中核をなす1本だが、70年代以降のシリーズ諸作は、本妻と愛人のバトルが描かれる一方、インポ夫を回春させるために愛人も含めた擬似家族が成立していくような側面もあり、『虫女』では本妻と愛人の間を男がローテーションで往復する。“両手に花”状態を羨ましいと思うなかれ。男にとってそれは決して天国ではなく地獄にほかならないことを本作は教えてくれる。かといって、不倫はやめて幸せな家庭を築きましょう、などという生ぬるい教訓譚とも無縁なことは言うまでもない。また「擬似家族」というテーマはギドク作品にもしばしば登場するが、ヴェネチア・グランプリの『嘆きのピエタ』(12)では、天涯孤独の冷酷な借金取立て人の前に、突然母と名乗る女が現れ、奇妙な共同生活が展開される。そういえば公開中のギドク脚本作『レッド・ファミリー』など、ど真ん中の擬似家族ものではないか!家族とは何か。ギヨンもギドクもこの厄介な問題と向き合っている。

まだまだ紹介したい作品が目白押しだが、話しすぎるのも野暮だろう。筋金入りのギヨン・フリーク(篠崎誠監督、四方田犬彦氏、それに筆者)が登壇するトークショーもあるので、シネマヴェーラで会いましょう!

【トークショー開催!】


11/1(土)13:00~13:40 篠崎誠監督×石坂健治氏(東京国際映画祭アジア部門ディレクター)


11/8(土)13:05~13:45 四方田犬彦氏(映画史家・比較文学研究家)


*トークショーは、11:00からのキム・ギヨン作品をご鑑賞いただいたお客様のみご覧いただけます。

『韓国映画の怪物 - キム・ギヨンとキム・ギドク - 』
日時:2014年11月1日(土)-11月14日(金)(14日間)
会場:シネマヴェーラ渋谷
公式サイト : http://www.cinemavera.com/preview.php
  • 『石坂健治(いしざか・けんじ)』
    1960年東京生まれ。早稲田大学大学院で映画学を専攻。90~2007年、国際交流基金専門員としてアジア中東映画祭シリーズを企画運営。07年より東京国際映画祭「アジアの風」(13年より「アジアの未来」)部門プログラミング・ディレクター。11年開学の日本映画大学教授を兼任。共著に『ドキュメンタリーの海へ 記録映画作家・土本典昭との対話』(現代書館)、『ひきずる映画』(フィルムアート社)など。