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五反田団作品『びんぼう君』レビュー

—なかなかゆるいらしいよ、五反田団—

若輩者ながら五反田団作品『びんぼう君』の見所を紹介せていただきます。見所というといかにも「商品説明」のような印象を帯びてしまいますが、別に評を書くわけでも、雑文を書きたいわけでもないので、見所の説明といった言葉がしっくりくるのです。この記事を読んで、『びんぼう君』なり、「五反田団」なり、引いては「舞台芸術」に興味を持って頂ければ幸いです。

 
まず「五反田団」について僕なりに簡単に説明させていただきます。五反田団とは団長である前田司郎さんが劇作、演出を務める劇団です。1997年に旗揚げして、現在でも年に3〜4回は公演が行われ、多くはアトリエヘリコプターという前田司郎さん所有のスタジオで上演されます。

作品に共通する性格は「ゆるい」ということです。僕が初めて「五反田団」の名前を知った時は、この「ゆるい」という言葉がセットでついていました。「なかなかゆるいらしいよ、五反田団」という具合にです。

「ゆるい演劇」と言うと劇作家/演出家の宮沢章夫氏やシティーボーイズの面々で結成した「ラジカル・ガジベリビンバ・システム」(1985年-1989年)などを想起しますが、笑いの要素がふんだんに盛り込まれているという点では共通するものの、不条理やナンセンスに傾注するラジカル・ガジベリビンバ・システムに比べ、五反田団の方が現実的な生活感のある「ゆるさ」を体現しているように感じられます。

では、何をもってゆるいとするか。

第一印象で語るなら劇中で俳優はゴロゴロしっぱなしという点です。世界的にみても五反田団ほど俳優が寝っころがる劇団はないと思います。とはいえドキュメンタリー的にというか、ただゴロゴロしているのではなく、俳優がどんな芝居だろうと噛まずに発話すのと同じように、五反田団の「ゴロゴロ」もプロフェッショナルな振る舞いであります。

また、もう少し突っ込んで五反田団のゆるさを考えてみると、大変汚い言葉ですが「便がゆるい」という言い方があるように、異質なものがわりと力まずに舞台上に現れる「ゆるさ」が五反田団作品に見受けられます。シームレスというのでしょうか。

前田司郎さんが岸田國士戯曲賞を受賞した『生きてるものはいないのか』という作品では世界中で原因不明の突然死が蔓延して、特に「死」の理由も追求されぬまま舞台上の俳優が全員死亡して劇が終わります。「死」を異質なものと捉えずに不可避の事態として、美化も追求もしないで、舞台にただ死が現れるのです。

言葉足らずの説明ではありましたが、「五反田団」は俳優の振る舞いと共に舞台上に力まず現れる異質なものが重なって「ゆるい」と言われているだと考えられます。

—今はなき父親の姿—

そんな五反田団作品『びんぼう君』は、とある貧乏な父子家庭を描いたお話です。息子のタカシは自分の誕生日に、宿題である月の公転観察を口実にみんなを家に招き、かねてから憧れていた「誕生日パーティー」を計画する。しかし、「びんぼうの家には行かない」と友達はドタキャン。グループのなかで嫌煙されていたカワモリさんという少女のみがハブにされて、タカシの家に訪れる。それでしょうがなく、父あわせて3人で誕生日パーティーやら月の観察をする、といった内容で、舞台上には畳が2枚敷かれ、他は窓のようなフレームが垂れ下がるのみと簡素な舞台空間になっています。

この『びんぼう君』の見所は父子家庭における家族の関係にあります。父は一昔前の権威ある父親然と息子に接して、終止、旧態的な父親像を息子に示し続けるのです。
一見、この父親の設定は現代の生活感で考えるとあまりリアリティーがないように感じられます。昔とは違い今の世の父は「マジキモい」やら「あいつ(オヤジ)のパンツと一緒に洗濯しないで」なんて罵られ、さらには「お父さんみたいになりたくなかったら、勉強がんばりなさい」なんて、コブシに力が入るようなことまで言われ父の権威はほとんどの家庭で失落しているからです。

「父の絶対性」が乏しくなった昨今、父親は「超えるべき存在」ではなくなったように感じます。そのため、志賀直哉の『和解』のような父子関係を描く物語は現代において成り立たず、「母と子」の葛藤に焦点が絞られる物語ばかりです。そういった風潮のなかで父権的な家族関係を描くというのは山崎貴監督作品『ALWAYS三丁目の夕日』のような郷愁作品になる危険を孕んでいます。

—つかの間の、完結した家族関係—

それでは、『びんぼう君』も郷愁作品なのかというと違います。それは、この貧乏家族が旧態的な父子関係を実は装っているという点からわかります。父は父親然とした姿を息子の前で演じ、子も父親を父たらしめるために子供を演じる。このような擬似的な家族関係が、演劇構造においてメタ的な作用を及ぼし現代的なリアリティーと繋がっています。

この擬似的な家族関係はまた、劇中盤に現れるカワモリさんの出現によってさらに深化します。カワモリさんは月の観察グループからハブにされて、一人きりでびんぼうファミリーに訪れた女の子で、最初は貧乏家族独自の手厚い接待に戸惑うものの、家族の間で流行っている人形遊びやおままごとをして一緒に遊ぶことで次第に家族と打ち解けていきます。

その経過のなかで、カワモリさんは無邪気に戯れる男2人を前に自然と母性を帯びるようになっていきます。そのため、3人の戯れが「父・母・子」という完結した関係を様相しているように見えるのです。別れた母親と父が再び一緒に暮らすことを望むタカシにとって、その関係は擬似的とはいえ夢が叶った瞬間でもあるはずです。

カワモリさんは、ただ月の公転観察に来ただけです。そのため、時折みんなで観察する月の動きはこの家族の限られた時間を表します。月の軌道という根源的な時間感覚の中で、月光を浴びながら現れる一時の「完結した家族関係」。その姿が詩的で、美しくも、切ないのです。

演劇は「人形遊び」や「おままごと」のような擬似的関係遊びとの延長にあります。『びんぼう君』とはそのような演劇の原初的な本質を取り込みながら「家族」という最も濃い関係の完結した姿を現代的な倫理感において矛盾がないようゆるやかに描いた作品なのです。

とはいえ、『びんぼう君』の最大の魅力は五反田団の他作品にもあるような、何気ないやり取りに視られる、そこはかとないくだらないお喋りや振る舞いにあるのですが。ちょっとセンチな気分で『びんぼう君』を観ると、なんだか、じんわり染みてくるんですよね。

LOADSHOW舞台芸術特集「そことここ」にて五反田団作品『びんぼう君』配信中!

http://loadshow.jp/feature/sokotokoko

■「そことここ」配信予定作品

五反田団作品

『生きてるものはいないのか』

『生きてるものか』

(8月初旬、2作品同時配信予定)

■五反田団関連記事

前田司郎さんインタビュー

(前編)

http://culture.loadshow.jp/interview/maedashirou-interview/

(後編)

http://culture.loadshow.jp/interview/maedashirou-interview-2/
著:島村和秀(LOAD SHOW舞台芸術特集「そことここ」ディレクター)
『びんぼう君』

「びんぼう君」は五反田団の代表作です。 どれを代表作と呼ぶかは、その日の気分でかわりますが。 びんぼうな家の少年とその父親の日常を、 日常の中でもちょっとだけ特別な日のあれをあれしました。 「たとえ貧しくとも、大切な人がいて、楽しむ工夫をして、 健康に暮らせれば、そこそこ幸せなのではないか?」 という思いを、 金持の立場から描いた作品です。僕の家はわりかし裕福だったので。 楽しんでいただければ幸いです。 前田司郎

五反田団第37回公演

東京公演2012年1月17日-29日

名古屋公演2月1日-2日

静岡公演2月4日-5日

京都公演2月8日-12日

演出・脚本:前田司郎/照明:山口久隆(S-B-S)/宣伝美術:木村敦子/舞台監督:榎戸源胤/制作:清水建志,門田美和/撮影:チーム肉体/出演:大山雄史,黒田大輔(THE SHAMPOO HAT),端田新菜(青年団/ままごと)
『五反田団』
1997年旗揚げ。これまで35回の定期公演および京都などでの特別公演を実施。 "だらだらとした"日常を過ごす人々を力みなく描く独特の劇空間が話題を呼び、特に20〜30代の演劇ファンから絶大な支持を受ける。 一見だらだらとした会話やなにげない表情が、時に雄弁に奥深く人間の本質を鷲掴みにする迫力を見せ、一瞬たりとも目の離せない独特の緊張感溢れる舞台を作り上げる。

■五反田団公式サイト

http://www.uranus.dti.ne.jp/~gotannda/
  • 『前田司郎(五反田団主宰)』
    1977年生まれ。作家、劇作家、演出家、映画監督。五反田団主宰。2004年「家が遠い」で京都芸術センター舞台芸術賞を受賞。「生きてるものはいないのか」で第52回岸田國士戯曲賞を受賞。2009年には「すてるたび」でベルギーのKUNSTENFESTIVALDESARTS に招聘。2011年、フランス人演出家 Jean de Pange との共同作品「Understandable?」がフランスで上演される。
    また、小説家としては2007年に「グレート生活アドベンチャー」で第137回芥川賞候補。2009年「夏の水の半魚人」で第22回三島由紀夫賞を受賞。シナリオライターとしてはNHKドラマ「お買い物」の脚本で、第46回ギャラクシー賞優秀賞を始め、数々の賞を受賞した。著書に「愛でもない青春でもない旅立たない」「誰かが手を、握っている気がしてならない」(講談社)「グレート生活アドベンチャー」「逆に14歳」(新潮社)などがある。
    自作の小説「大木家の楽しい旅行 新婚地獄篇」(幻冬舎)が11年に、『生きてるものはいないのか』(石井岳龍監督、原作・脚本/前田司郎)が12年に映画化。シナリオライターとしては、『横道世之介』(沖田修一監督、脚本:沖田修一・前田司郎)、NHKドラマ「お買い物」を担当。2013年には井浦新、窪塚洋介と強力なキャストを迎えて「ジ、エキストリーム、スキヤキ」で初監督デビュー。
    五反田団立ち上げ以来、これまで40作品以上を発表しているほか、高校生から他劇団まで作品の提供や演出を務め、海外での公演も積極的に行う。