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♯03【試写室から】サイモン・ブルック監督作品『ピーター・ブルックの世界一受けたいお稽古』

試写室からいち早く新作映画のレビューをお届けする【試写室から】。第3弾は、演出家 ピーター・ブルックの稽古場を追ったドキュメンタリー『ピーター・ブルックの世界一受けたいお稽古』。演劇にまつわる“社会性”とは何か。

「絶叫している人」に対して社会は冷たい

演劇について文章を書くとき、いつも心が折れて、半ばヤケになって放棄してしまうことがあります。それは演劇にまつわる「前提」の説明です。
演劇へのイメージは人によって違うとは思うものの、日本では近代以降の演劇を知る機会や触れる機会がとても少ないので、ある程度似た先入観が一般的なイメージとなっているように感じます。「あ!え!い!う!え!お!あ!お!」と渡り廊下で発声する演劇部員であったり、ライオンさんやネコさんに扮した人が紐にぶら下がってシャウトしたり、男とも女とも判断つかない白塗りの人間が地獄の底からこみあげてくるような呻き声をあげたり、挙げ句の果てには「勘定奉行に、おまかせあーれーぇえええ!!!」である。
とにかく…絶叫しているイメージがある。少なくとも僕にはありました。そしてこれはとても大事なことなんですけど、「絶叫している人」に対して社会は冷たい。もちろん、「絶叫」なんて演劇に対する一つの歪んだイメージなのですが、日常生活を送る上で舞台芸術に接する機会というのはあまりにもなく、「イメージ」がことさら重要な日本において、一部の大げさな印象がその全てになっている気がするのです。

—どこでもいい、なにもない空間—

今回紹介する『ピーター・ブルックの世界一受けたいお稽古』は“ピーター・ブルック”という演出家の稽古(ワークショップ)をドキュメントした映画です。
“なにもない空間”という演劇論に基づき、最小限の装置と小道具、俳優の肉体から、イマジネーション豊かな劇空間を生み出すピータ・ブルックの舞台作品は「魔術的舞台」とも呼ばれ世界中の観客を魅了しました。
しかし、ピーター・ブルックの偉業は、前述したような「演劇」にこびりついた「演劇なるもの」のイメージを削ぎ落とし、非常にシンプルで揺るがない“演劇”の上位概念を打ち出した点にあるとぼくは考えています。
その演劇概念を端的に言い表したピーター・ブルックの名著『なにもない空間』(71)の書き出しを引用してみます。
どこでもいい、なにもない空間—それを指して、わたしは裸の舞台と呼ぼう。ひとりの人間がこのなにもない空間を歩いて横切る、もうひとりの人間がそれを見つめる―演劇行為が成り立つためには、これだけで足りるはずだ。―
(ビーター・ブルック「なにもない空間」より引用)
ピーター・ブルックはそれまでの「演劇」の構成要素だと思われていた—客席のソファーや分厚いどんちょう、豪華な舞台美術にきらびやかな照明、詩的な韻文に高笑い―その全てを演劇における装飾として分解して、演劇を構成する最小要素を明示しました。
ぼくが冒頭に述べた、演劇の前提とはここに結ばれます。著書「なにもない空間」の通りに演劇を解釈すると、演劇はどこにでも生まれるシーンにあることがわかります。また、ピーター・ブルックが提唱した演劇概念からスタートした現代の「演劇」は、過去の目立つ装飾だけが注目され特殊な幻想を抱かれた「演劇なるもの」とは全く様相が違います。そのため、「演劇」という言葉は誤解が生まれやすいことばになり、一部の演劇を知っているひとに向けてしか演劇に関する物事を発信できなくなるジレンマが生まれるのです。

綱渡りというエクササイズには「創作」の根源的な精神にまで言及する明快さがある

現代演劇の祖とも呼べる演出家の稽古を5台の隠しカメラで撮影した『ピーター・ブルックの世界一受けたいお稽古』ではピーター・ブルックと豪華俳優のピュアなやり取りを目撃することができます。
主な稽古の中身は絨毯の上に、ロープが引いてあると想定して、その上を俳優が綱渡りをするという演劇の基礎的なエクササイズです。
これだけ聞いたら「な〜んだ、そんなことならうちの子供でもできるわ」と思うかもしれません。そうなんです、だれにでもできるんです。しかしだからこそ、この綱渡りというエクササイズには「創作」の根源的な精神にまで言及する明快さがあるのです。
イマジネーションでしか成り立っていない一本のロープの上を俳優が歩く。たったこれだけの行為なのに、ピーター・ブルックの演出によってシーンはスリリングなものになり、そして、時に息も詰まるようなリアリティーを見せます。
また映画の鑑賞者は、劇中の俳優の演技を批判的に観ることでしょう。『綱渡り』は、演技が露骨にさらされてしまう装置だからこそ、ロープをゆらゆら渡り歩く俳優を観て「この俳優の綱渡りにはリアリティーがあるわ」とか「全然、伝わってこないよ」と演出的な目線で、俳優の演技をしっかりと捉えられるのです。
そのため映画の中でブルックが俳優に言う演技哲学的な教示に鑑賞者は自然と感受でき、もしくは巧みなブルックの言葉選びに感心させられます。

—想像を超えた自由が生まれると我々はいつも驚く。何かに動かされたと。さてどう見つける?—

ピーター・ブルックはしきりに俳優たちにイマジネーションを求め、日常を凝縮してそのエッセンスを論理的に知ること、それが綱渡りだと論じます。しかし、実際に自分自身が一本のロープの前に立たされたとしたら、どんなイマジネーションを持ってのぞめば良いのでしょう…。“なにもない空間”で綱渡りをする俳優を観ながらぼくも様々なイマジネーションを喚起してみました。
例えば、ちょっと大きくでたことを言うと、私たちは集団で共有される大きなイマジネーションの上を綱渡りして生きているのではないか、なんてイメージをしました。ひとが考えた、モラルや法律というイマジネーションの上を、堂々と歩くひともいれば、はらはら落ちないように歩くひともいる。本当はイマジネーションのロープの上を歩いているのだから落ちたって死ぬことはない。ただ、そのロープを無下に扱うことはロープを歩いている多くのひとをあざけ笑うとても屈辱的な行為だ…なんて。
ピーター・ブルックは劇中で綱渡りというエクササイズをこんな風に形容します。
悲劇や喜劇というカテゴリーにわけるのは簡単だが、何よりも大切なことはタイトロープ(綱)というこの容赦のないかみそりの刃の上を歩くことだ
何だか、綱渡りという単純なエクササイズが人生味を帯びた、濃厚なシーンにみえてくるじゃないですか。
また、綱渡りを仕事における「プロセス」に置き換えてイメージしてみたりもしました。何かプロジェクトの達成を目指すときグループの中でヴィジョンという見えないイメージを共有して一致団結する。そして目の前には目指すヴィジョンに通じるひとには見えない動線がある。わたしたちはその動線のイメージを失わないように慎重にでも柔軟に、時に迅速に、歩く。その動線の先にヴィジョンは現れ、また別のヴィジョンを目指す。なんて風に。
ピーター・ブルックは映画の中で、俳優に向けてこんなことばを投げかけます。
自由はどこから生まれてくるのか?自由はどこにでも転がっているものだが想像を超えた自由が生まれると我々はいつも驚く。何かに動かされたと。さてどう見つける?
ピータ・ブルックの稽古はドイツの有名企業の育成コンテンツや、サッカーチームのオーナーが選手の教育の一環として使用するなど社会的に認知された教育プログラムになっているようです。たしかに、目に見えないイメージを顕在化させるこのエクササイズはどの業界にも精通するクリエイティビティーがあります。
『ピーター・ブルックの世界一受けたいお稽古』は“なにもない空間”が生む広大なイマジネーションの世界のなかで、想像を超えた自由が生まれる場所までピーター・ブルックが私たちを誘う、文字通り“世界一受けたいお稽古”なのです。
またこれは関係ない話なのですが、ひとりの演劇作家として、演劇というフィールドを胸をはって社会に提示する89歳のピーター・ブルックの姿に胸を打たれながらもいつまでも働かせるわけにはいかないなと強い使命感を覚えたのでした。

■サイモン・ブルック監督作品『ピーター・ブルックの世界一受けたいお稽古』

9月20日(土)より渋谷シアター・イメージフォーラムにてロードショー決定!

9/20(土)〜26(金)11:15/13:15 | 9/27(土)〜11:15/21:15

※9/27(土)TOHOシネマズ梅田/TOHOシネマズ西宮ほか、全国順次公開
『ピーター・ブルックの世界一受けたいお稽古』

原案: ピーター・ブルック、サイモン・ブルック/監督: サイモン・ブルック/配給: ピクチャーズデプト/提供: 鈍牛倶楽部/特別協賛: 公益財団法人埼玉県芸術文化振興財団

出演:笈田ヨシ、ヘイリー・カーミッシェル、マルチェロ・マーニ、ジョシュ・ホーバン、アブド・ウオロゲム、シャンタラ・シヴァリンガッパ、リディア・ウィルソン、 エミリー・ウィルソン、ミーシャ・レスコット、カリファ・ナトール、セザール・サラチュ、土取利行、フランク・クラウチック、マリー=エレーヌ・エティエンヌ

(フランス・イタリア/86分/英語・フランス語/日本語字幕付/2012)

【内容】

ブルック作品でおなじみの笈田ヨシなど、あらゆる国籍の俳優たちが一堂に会して行われた2週間のワークショップ。それは床に敷かれた1枚のカーペットに、ブルックが1本の、目に見えない「ロープ」を引くところ始まる。俳優たちが右から左へ、まるでサーカスの渡りのように架空のロープを渡る。一見単純なエクササイズ に見えるタイトロープは、俳優の想像力の真実を衝くだけでなく、身体が生命を宿しその想像力と一体になっているかどうかを全てさらけ出す、演技の原点ともいえるものに繋がってゆく。監督サイモン・ブルックが5台の隠しカメラを設置して探るのは、創作過程に潜む“魔法”。そして床に敷かれた1本のロープから生まれてゆくドラマの数々。演劇界の巨匠ピーター・ブルックの稽古場がついにそのベールを脱ぐ。
  • 『島村和秀(しまむら・かずひで)』
    LORDSHOW 舞台芸術部門 「そことここ」 Director、劇作家/演出家、(パフォーマ ンスチ―ム『情熱のフラミンゴ』主宰)、俳人。
    大学在学中より演劇作品を制作。また、サウンドアーティストの浜田洋輔と俳句と環境音を用いたサウンド作品『ヒッチハイク』で2011年AACサウンドパフォーマンス道場入選、2013年千代田芸術祭音部門「さいたまんぞう賞」 受賞。2012年に俳句集『電話を切るのが下手な人』を上梓。初監督作品『あおいちゃんの星座』を「前夜映画祭2014」で発表。