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鼎談採録 石坂健治×野崎歓×夏目深雪「アジア映画の境界線」 vol.1

『アジア映画で<世界>を見る 越境する映画、グローバルな文化』(作品社刊) の刊行を記念して、トークショー付上映会が開催された。最終回の2/2に濱口竜介監督の『THE DEPTHS』が上映された後、編者の三人で行われた石坂健治氏、野崎歓氏、夏目深雪氏のトーク採録を掲載!

3.11をふまえた、フェスティバルのような本が作りたかった

夏目 『アジア映画で世界を見る 越境する映画、グローバルな文化』は、アジア映画の本と一言で言うことができないくらい、多岐に渡る試みをしていますが、まず私の希望としては3.11を反映した本にしたかった。これは、まず私自身が3.11後、映画そのものに限界を感じてしまった。私は自分で撮るわけではないんで、あくまで観ることと批評することに関してですが、例えば震災を撮ったドキュメンタリーを観ること、それを批評するってどうなんだろうと思ってしまった。それで演劇に傾倒してしまったんですね。で、そこであった演劇人たちの、ポリティカルであることが自然で自明である態度というのに接するうちに、なぜシネフィルがこう現実と乖離してしまったんだろうという疑問を抱いた。

映画祭に関しても、演劇界ではフェスティバル/トーキョー(以下F/T)という、3.11を強く打ち出した演劇祭があるんですが、東京国際映画祭(以下TIFF)も東京フィルメックスも、3.11を表象した映画の上映はやりました。ただ特集というようなところまでいかなかった。3.11が起きたその年に特集を組んだのは山形国際ドキュメンタリー映画祭だけですね。やらなかったからいけないということではないし、もちろんいろんな理由があると思います。ただ、私としては、この先生きていって、若い人に「3.11後、夏目さんは何をしていたんですか」と聞かれた時に、「映画観てました」とは言いたくないと思った。映画界での応答のような本を作りたかったんです。「3.11」「政治性」「日本とアジアの関わり」というようなお題を執筆者にぶつけて、そこでそれぞれが自らの闘い方を見せるというような、フェスティバルのような本を作りたいと思った。

それらの大きな議題についてこの本で答えが出ているとは私も思ってはいませんが、そもそもF/Tにしても、もう一つ「イメージ.福島」というこちらも素晴らしい映画祭がありましたが、みんなが実際に集まること、問題を共有すること、実際に声を出すこと、私が素晴らしいと思ったのは実はそんなことです。アートが現実に対してできることは実際限られてはいる。ただ3.11で何が可視化されてしまったかというと「分断」ということですね。福島と東京、被災者と被災者以外というような。少なくとも「アジア映画」を語るうえでも分断を助長するのではなく、「問題を共有しながら個々の闘い方を見せる」というようなことがやりたいと思った。

ですので、石坂さんと野崎さんは、長らくアジア映画上映・批評に携わってこられて、尊敬する大先輩ですが、実はじっくりお話や考えを聞いて、という暇もなく制作に入ってしまったというのが実情です。今日は本の感想も含めてその辺りのことをじっくり聞いていきたいと思います。

野崎 僕は最近とみに記憶力に問題が生じていて(笑)、夏目さんと初めて会ったのがいつだったかよく思い出せないのですが、とにかくその時すごく存在感がある人だな、と思ったのは覚えています。批評精神の塊というか、僕なんか近づいたらふっとばされそうな。石坂さんでさえ、「夏目さん、怖いよね」と僕にすがりつくように仰るくらいで、これは強力な新世代が登場してきたな、と思ったんです。

僕が常に意識しているのは、若い人に彼らが面白がっていることを教わる、ということです。「これはいい」っていうのを教えてくれる若い人にはついていこうという精神で、今年で教師をやって25年くらいになるんですが、その点では一貫しています。それは、教師であることの一番の利点というか、アジア映画なども最初はほとんど若い人経由で教わったんですね。今みなさんがご覧になった『THE DEPTHS』の濱口監督に関しても、夏目さんが「凄い」とかなり吹聴していた場に居合わせて、観ていないものをDVDで取り寄せて、観てみるとこれが実際、全国展開されているメジャーな映画なんかよりも物凄く刺激的なわけです。生き生きとして面白い。それで夏目さんの批評眼を本物だと確信するに至った。それで夏目さんが立て続けに本を二冊作ることに微力ながらお手伝いさせて頂いたというわけです。
石坂 私と夏目さんとの関わりを言うと、もう6年くらいですか、TIFFの予備審査を担当してもらっているというのが縁です。野崎さんが仰った「怖い」というのはね、まぁ応募してくる作品をたくさん観てらっしゃるわけですね。それで「石坂さん、なんであの映画やらないの」とか「あっちの作品の方が良かったのに」と非常にズケズケと言ってこられるという。
夏目 他の方は言わないんですか?
石坂 なんか毎年、夏目さんに言われたことが一番残っていますね。
夏目 それは痛いところを突いてしまったということでしょうか(笑)。
石坂 プログラムを最終的に選ぶというのは、いろんな要素があるんですね。いつもご期待に添えることばっかりじゃなくて申し訳ないとは思いつつ、的確な批評をされるんで、「アイタッ」と毎年…というのが一番スパンの長いお付き合いですかね。そして『アジア映画の森 新世紀の映画地図』(作品社)から今回の本へと二冊立て続けに本を作ったというのが、ここ三年くらいになりますか、もっと密接なお付き合いになりますね。ちょうど『アジア映画の森』の企画が立ち上がったのが3.11が起きた直後になります。私自身どうしたらいいのか途方に暮れているところだったので、夏目さんともう一人の若い編集・ライターの佐野さんが、2人で来て「作りましょう」と言って作り始めて、そしてハードルあげてもう一冊、と今回の本を作ったのが、本当にちょうどいいリハビリになったというか…。
夏目 そうだったんですか。
石坂 先ほどTIFFは3.11に対して何もしなかったじゃないかと夏目さんが言っていましたが、まぁ映画祭を代表して弁明するような立場でもないんですが、やっぱりあの年は開催自体できるかどうかの話が出ていたくらい揺らいでいたのは確かです。そして開催するんだったら普通にやろう、みたいな方向に結果的には行った。さらに言うと、夏目さんも言ってたけど自分としては震災に関するドキュメンタリーを並べてそれでどうなのかな、と思ってしまったところがあります。個人的には3.11後、演劇ばっかり観るようになってしまったという。
夏目 そう、そこで石坂さんとは話が合ってしまったんですよね。
石坂 そのあたりがこの本を統べる共通認識としてあるのかな、という気がするんですよね。
夏目 まぁ映画の本なんで、演劇について分析するようなことはできないわけですけど、一歩引いて、外から映画そのもの、そしてわれわれと映画との関係を見てみるということですよね。
石坂 私は9.11の時から、演劇の方が、色々と反映するものが早く出てくるな、という気はしていたんですけども。3.11はさらに輪をかけて顕著な感じで。
野崎 その年のTIFFは特集などで3.11を打ち出すようなことはなかったんでしたか。
石坂 そうですね。仙台でサテライト上映したりとか、そっちの方向ですね。それで10月にTIFFが終わって、F/Tが11月に開催されたんですが、これは「震災と演劇」というのがテーマで、これは本当にジャンルを超えて参考になりました。
野崎 やっぱり映画の脆弱さというか弱さを、思い知らされたということですよね。演劇だったらその場で身体があればできる。映画はそれだけでも負けてしまう。さらに言えば、物語映画が我々の映画の大きな部分を占めているわけだけれども、その空々しさみたいなものが突然浮上してくるわけです。それはもうどうしようもないと思いますね。現実が何か大変な時に、それを映画で一気に凌ぐっていうのはなかなかむずかしいですね。だから逆に言えば僕は3.11は、むしろその映画の弱さっていうのを、出発点に考えるというきっかけを与えてくれたということに尽きるんじゃないかと思いますね。その弱さが映画の貴重さ、ぜいたくさでもあるんじゃないか。

今言ったのは、夏目さんが本を作るにあたって3.11を問題提起として立てていたのに対して、僕なりに考えたことです。夏目さんは先ほどもシネフィルがどうして現実から乖離してしまったのかと言いましたが、でも僕は思うんですね。シネフィルが居心地のいい時代があったのかと。世の中の人が真っ当なことをしている時に、映画を観ているというのは、未だに僕はうしろめたい。それが出発点なのではないか。と言ってしまうと単に居直っているみたいなんですけど。
夏目 でも例えば石坂さんは、社会派というんですか、映画と社会を結び付けるようなことをずっとなさってきたかと思うんですが。
石坂 まぁ原点はね。私は水俣や三里塚の支援運動から映画研究に入った人間なんで。
夏目 一方で、娯楽というか、まぁ我々が見ずにはいられいような存在としての映画があって、ただ一方で、社会との線が全く切り離されてしまったわけではない、映画が我々に社会的な影響を及ぼすことももちろんあるし、また我々が映画に及ぼす影響というのが社会的なムーブメントになっていく可能性もあるわけです。そこを信じたくてこの本を作ったというところが私はあるんですが。
野崎 夏目さんにとって、それが一番大きな目標となっていることはわかります。それは大事にしてほしいと思いますよ。
石坂 この本を作る時にもね、「アジア映画」になんで「3.11」なんだという議論はだいぶやったよね。夏目さんはそこはスッと行ってしまったみたいなんですけど。
夏目 お二人は抵抗があったと。
石坂 抵抗というか、どう繋げるかというのはそれぞれ考えたところなんじゃないですか。
野崎 まぁただ夏目さんのアプローチはストレートですよね。最初はなかなか議論もかみあわない感じがありましたよね。
夏目 みなさんの論考を読んで始めて繋がった部分はありましたね。「ああ、こういうことだったんだ」と。企画を立てた段階では確かに勘だけのところはありました。ただ、3.11から5年経ってさぁやりましょうと言っても、もう遅かったんじゃないかと思うんです。今だから出来たことだったんじゃないかと。それはもう、本当に賛同頂いた方々に感謝しなければいけないと思います。

あと、別の言い方をしますと、自分も全くそうであったからこそ、シネフィルの完璧主義、重箱の隅をつつくようなところが嫌気がさしたというか。もっと、演劇の世界って、まぁこう言ってしまうと語弊があるかもしれませんが、「えいっ、やっちゃえ!」みたいなところがあって、それを好ましく思いました。失敗すらもプロセスであり、観客もそれを「目撃」、「体験」することに意味があるというような。3.11後、巻頭言でもさんざん書いていますが、「全てが瓦礫になってしまった」ところで、あのシーンがどうだの、あのショットがどうだの、そういうことをやることは自分にとって自然ではなかった。何故なら、3.11は、われわれが作った世界の綻び、もっと強い言葉で言えば失敗に他ならないわけです。もちろん気持ちのうえでということですが、むしろ失敗が予感されるようなことがやりたかった。結果的には、石坂さんと野崎さんのご尽力や執筆者の力量によって、全く失敗していないと思いますが。たぶん心労をおかけしてしまった(笑)お二人と作品社の青木さんには、この場を借りて御礼を言っておきたいと思います。(vol.2に続く)
■書籍紹介
『アジア映画で<世界>を見る 越境する映画、グローバルな文化』
夏目深雪、石坂健治、野崎歓=編
「今、アジア映画を見ること」の意味を問いながら、歴史/政治/社会状況を読み解きつつ、映画/映像の可能性を探り、批評の文脈を刷新する。 地図上の〈世界〉とわれわれの生きる現実(リアル)な〈世界〉を、14の論考と7つの対談・座談で切り取る、画期的評論集!
作品社、320頁、2013年12月発行、税別2800円
目次ほか詳細  http://www.sakuhinsha.com/art/24616.html