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鼎談採録 石坂健治×野崎歓×夏目深雪「アジア映画の境界線」 vol.3

『アジア映画で<世界>を見る 越境する映画、グローバルな文化』(作品社刊) の刊行を記念して、トークショー付上映会が開催された。最終回の2/2に濱口竜介監督の『THE DEPTHS』が上映された後、編者の三人で行われた石坂健治氏、野崎歓氏、夏目深雪氏のトーク採録を掲載!

彼(彼女)がアジア映画に入った理由(わけ)

夏目 石坂さんが一番若い時からのアジア映画好きなんですよね。
石坂 そうね。もうかれこれ30年以上経ちますかね。私は水俣病のドキュメンタリーや、三里塚の小川プロとか、その辺りから映画に入っているんですね。最初のスタンスは、作品としていいのに流通していないものを、応援していくというものです。まぁそれは今も変わらないですが。80年代半ば頃に早稲田の大学院に入ったら、冷戦構造が揺らいできて、留学が大分しやすくなったんですね。で、同級生に韓国・中国・台湾の留学生がそれぞれ一人ずついて、彼らの影響は本当に大きかったです。当時、アジア映画なんて劇場でやっているような時代じゃなかった。それぞれの大使館や資料センターなどで在日の方向けの16ミリのフィルムライブラリーがあったり、月に一回上映会を行ったりしていた。それで、ちょうど東アジア映画のニューウェーブがはじまった時期で、留学生から「うちの国の映画がいま面白いことになっているんだよ」という話を聞いて、大使館の上映会に行ってみたり、逆にフィルムを借りて学内で上映して彼らに解説してもらったり…というのが直接のきっかけです。侯孝賢の初期のものとか、イム・グォンテクの反共映画とか、イ・チャンホ、ペ・チャンホ…。
夏目 留学生というのは、みなさん映画を勉強しに来られていたんですか。
石坂 そうそう。大体みんな日本映画の勉強に来ていて。当時は小津安二郎研究が盛んだったけど、そろそろ成瀬巳喜男が研究の対象になるというような頃です。
夏目 30数年、アジア映画一筋で、まったくフランス映画っていいなーとか、アメリカ映画は素晴らしい! とかは思わずに…。
石坂 いやいや、そんなことはないですけどね。今日もこちらを主催して頂いているアテネ・フランセ文化センターもずいぶん通いましたし、ミニシアターもでき始めてから全盛の時代ですからね。
夏目 でも私が印象的だったのは、シャブロル監督の試写でお逢いして、終わったあと「俺、フランス映画の良さって全然分からないんだよねー」って仰ってましたよね(笑)。
野崎 それはちなみに何の映画でしょう(笑)。
夏目 『ベラミー刑事』でしたね。
野崎 シャブロルの遺作の。それは石坂さんといえども許せない発言ですね、なんちゃって(笑)。石坂さんは世界中の映画をご覧になっている「映画の鉄人」ですけど、アジア映画の状況というのはかつてと較べてどうですか。ずいぶん変化があったんじゃないかと思いますが。
石坂 大きいですね。でも変わったというよりも、いまだにどう評価していいのか自分でも分からなくなります。夏目さんもそういうことを仰いますけど。評価の基軸を、常に自分のなかで更新していかないと駄目だという。例えばヨーロッパの映画やアメリカ映画は、なんとなく分かったような気になれるんですけど、アジアの場合はそうではない。
夏目 フランス映画のよさとドイツ映画のよさっていうのは、ちょっとは違いますけど、そうは違わないじゃないですか。でもアジアの場合、例えば台湾映画とフィリピン映画のよさって全然違うんですよ。さらに、「この映画、私たちが観てもあんまり面白くないけど、現地の人たちにとっては面白いのかな」とか考えはじめるとキリがなくて、よく分からなくなってきて…。
石坂 そうそう。毎年迷いますね。だからやめられない、という。
夏目 自分も予備審査で評価しなければいけないじゃないですか。点数をつけなきゃいけないので、つけるんですが、これ評価割れるだろうな、というのは、アジアのものが圧倒的に多いですね。
石坂 一つの作品を、必ず二人以上観ることにしていて、予備審査員が4点満点でつけるようなシステムになっています。アジアの場合、4点の人がいれば0点の人もいる、というものがあったり。これがヨーロッパや北米だともうちょっと点数がまとまってきますよね。

選んで上映したものに関しても、私は映画祭というのは一種の見本市の機能もあるので、むしろ賛否両論渦巻いた方がいいな、と思っているんですよ。去年TIFFで上映したもので、たとえばラヴ・ディアスの4時間超の『北(ノルテ)―歴史の終わり』とか、ツイッター画面がひっきりなしに現れるタイの『マリー・イズ・ハッピー』とか、それこそ満点の人と0点の人が同時に盛り上がって、ヒステリックに賛否両論渦巻くものがあったんで、いや、アジア映画ってそういうもんだな、と。
野崎 それは日本の観客にとっては、ということですね。逆にアジアの監督にとっては、TIFFで上映されたということは、「認められた」という実感になるんでしょうね。
石坂 そうであってほしいし、そうなるようにと思ってやっていますが。
野崎 でも国際交流基金時代から長年エネルギッシュにアジア映画の紹介をやってらして、「自分が選んだものがトレンドを作っている」という自信はあるんじゃないですか? たしか十年位前に石坂さんに東大の映画論の授業に来てもらった時に、最後に「この人だけは観ておいてください」という監督はだれですか、と聞いたらアピチャッポン・ウィーラセタクンの名前を挙げられましたよね。その時、僕は名前も発音できなくて、アワアワしたんですが、教わっておいてよかったと思いました。
確かに価値観は多様かもしれませんが、石坂さんの中で、「これだ」という人は常に揺らぎなくあるんじゃないですか?
石坂 いやでもね、後悔の方が多くて。97年だったか、釜山国際映画祭で新人部門の審査員をやったことがあって。キム・ギドクのデビュー作の『鰐(わに)』が出ていたんですね。誰も点を入れなかったんですが、あとになってレトロスペクティブの時に再見して、「うわーすごい。なんであの時俺は良さが分からなかったんだ」と反省して(笑)。「でも俺だけじゃなかった。みんな点を入れなかったんだから」と慰めて。そういうの、いっぱいありますよ。
夏目 ただ石坂さんはずっと「社会派の石坂」と呼ばれてきましたよね。でも例えば去年の台湾特集なんて、メロドラマとコメディが多かったような気がするんですが…。
石坂 まぁどういうものが作られているかにもよると思うんだけど。じゃあ夏目さんは九把刀(ギデンズ・コー)の『あの頃、君を追いかけた』は駄目だったんだね?
夏目 そうですねぇ。
石坂 野崎さんは?
野崎 こないだも言ったじゃないですか。『あの頃、君を追いかけた』だったら、石坂さんと二人で一時間は喋れますねって。夏目さんの冷たい視線を浴びながら(笑)。
石坂 だからそこもアジア映画の不思議なところで。社会派だぜって肩肘はっていたとしても、ミッシェル・チェンなんて女の子が出てくるとヘナヘナって来ちゃうところがあるわけですよ。宇田川幸洋さん的に言えば「運命の出会い」ってやつ(笑)。
夏目 でも若い時はそういう感じじゃなかったのでは…。
野崎 そうですよね。それは僕もそう思ったんですけど。若い頃の石坂さんと言えば、僕が『香港映画の街角』(青土社)という本を書いたとき、石坂さんが書評してくださったんですね。で結論が「やっぱり娯楽映画ばっかりだから駄目」ってことで。
石坂 そんなこと書いてないですよ(笑)。
野崎 石坂さんのイメージぴったりの書評で。背筋を正したい、っていう気持ちになりましたのを覚えています。
夏目さんはアジア映画の本をこれで二冊目になりますが、編集しようとまで思うほどアジア映画が好きになったのは何かきっかけがあったんでしょうか。
夏目 いやいや野崎さんのお話を先に聞きたいんですが。
野崎 僕はいいですよ。ドラマチックなことは何もないです。好きなものには打ち込む、というだけで。
夏目 私はむしろバックグラウンドとしては石坂さんよりは野崎さんに近いと思います。まぁそんなこと言うと図々しいかもしれませんが。大学ではフランス文学を専攻して、出版社でしばらく働いたあと、一年パリに留学しているんです。20代は欧米映画が中心でしたね。

この本の座談会で石坂さんが「この四半世紀、薄味の蓮實節(はすみぶし)が蔓延した」と一喝していますが、どちらかというとそっち側の人間でしたね。
石坂 そういうものを書いてたの?
夏目 まぁでも、蓮實さんそのものより、パリ派って言うんですかね、パリのシネマテークで映画観てきた人たちが、大学を卒業時、ちょうどバブルが弾けるか弾けないかという頃なんですが、席巻してたんですよ。そっちに憧れたというか。やっぱりシネマテークで映画を観なければ、映画は語れないんじゃないかとか思い込んで。
石坂 シネマテーク派は我々の時代にもいましたけどね。憧れました。後光が差してましたよね。
夏目 じゃあ昔からいたんですか。
野崎 まぁ、山田宏一さんと蓮實先生以降だと思いますけどね、シネマテーク派に後光が差したのは。
夏目 ジル・ドゥルーズやセルジュ・ダネーのような批評の層の厚さというのにもやられましたね。実際にパリに行ってからは、その文化がある背景というのも肌で分かりますしね。映画が街に根付いているような気がしました。まぁ映画ばかり観ていたせいかもしれませんが。

帰国してからも、ウォン・カーウァイが盛り上がってきたような時期で、横目で見ていたんですが、そっちに行くという感じでもなくて。実はアジア映画に入ったのは2003年、レスリー・チャンの自殺と、暉峻創三さんがキネマ旬報に書いた追悼文がきっかけです。その頃、自分の人生に行き詰まりを感じていて、まぁ映画ばかり観ていて他にたいしたことをしていないので当たり前なんですけど(笑)、女性問題やフェミニズムを自分で勉強したりしていたんですね。その時暉峻さんが書いた追悼文が、レスリーが、男/女、異性愛者/同性愛者という単純で固定化した二分法的世界観への異議申し立てをしていたというたいへん素晴らしいものでした。私はそれからレスリーの映画を全部観て、香港映画や中国映画を遡って観て、その体験はそれまでアジア映画に興味がなかっただけに、素晴らしい経験であったと同時に、まるで後ろ髪を引っ張られるような経験でした。大袈裟に言うと世界がひっくり返るような経験でもあった。20代を欧米の文化を吸収することに費やした自分が、命を絶ったレスリー=失われてしまったものの痛みを引き受けながら、周縁にありながら息づいているアジア映画を、同じように周縁に追いやられがちな女性として、体験していくという明確な図式としてリンクしたんですね。ずっと地に足がついていなかったシネフィルだった自分が、初めて地に足をつけた瞬間だったような気がします。

なので、むしろ罪悪感でのめり込んだようなところも大きいんですけど、でもあまり儲からないのに(笑)、アジア映画に関する批評本を二冊編集したりしたのは、欧米の映画や批評が基盤としてあるのが大きいような気がします。最初からアジア映画が好きで、そっちの世界に最初からどっぷり浸かっていたら、「アジア映画って面白い!」と、観ているだけで満足していたかもしれません。
石坂 アジア映画は、評価軸を常に更新していく必要があるというのはね、やっぱり評価の軸になる基盤がまだないと思うんだよね。
夏目 そうですね。ドゥルーズの「シネマ」でも、今回引用させて頂いた、野崎さんの訳されたジャン=ミシェル・フロドンの『映画と国民国家』(岩波書店)でも、やっぱり非常にアジアは手薄で。これからの仕事なんじゃないかな、という印象は若い時から持っていました。アジア映画について論考を書ける若手が揃ってきたので、これからどんどんそういうことをやっていなかければいけないんじゃないかという気はしますね。もちろん四方田犬彦さんのように先行してやってらっしゃる方はいらっしゃるんですが。
石坂 そうね。フロドンの「ナショナル・シネマ」という有名な概念がありますが、アジアにそのまま当てはめてもあんまり有効じゃないと思います。アジア諸国の持つナショナリズムは、もう少し別の要素も入れてやっていかないと、という感じはしますね。
野崎 前に三人で話していた時に、夏目さんが「アジア映画って遅れてやってきますよね」って仰っていて、それは僕にとっては共感できるんですよ。十代、二十代と西洋型の文化の摂取に明け暮れてましたから。だからその意味では明治の頃の人間とそう変わってなかったわけです。それはある意味で歴史の必然です。大量生産、消費型の歴史とか、テクノロジーに依存した生き方も、やっぱり西洋が第一頁を書いちゃっているから。それを後から追っかけてるわけですよね。或いはそれを押しつけられている、模倣しているっていう歴史を、日本もアジアの国々も、みんな共有していることは確かですよ。それが顕著な例が映画で、もう西洋で既に発明されていて、やっぱり「遅れてやってくる」のがアジア映画の運命です。ところが21世紀になってみると、その遅れ自体がもう相対的な意味しか持たなくなってきたということに、ある時はたと気づいたんです。ま、一方でヨーロッパが黄昏(たそがれ)ているという事実があって、それはそれでいい味出してますが。

あらゆる意味で、全てのものが横に並んじゃってる時代というのが、もう来たんだな、というのが僕の実感です。そうすると逆に、追いかけるベクトルとしか思っていなかったものが、互いに互いを指さしあって、まさに『THE DEPTHS』のカメラが鏡になるような感じですけれども、他者を見ながら、そこに自分の知らなかった自分を発見するとかね。そういう乱反射が映画に起こってるんじゃないかな、それがアジア映画なんじゃないかな、という気がします。(vol.4に続く)