LOAD SHOW

A Rooted Soul. Vagabond Eyes.

映画の未来をいち早く
Be the first to witness the future of films

#07 【映画祭レポート】福島映像祭2014(9/20-26) (前編)

『無知の知』2014年11月1日 より ポレポレ東中野ほか全国にて公開

福島原発事故にまつわるあらゆる映像を集め、多様な映像を通して「福島の今」を映し出す映像祭

「福島原発事故にまつわる、あらゆる映像を集めて上映する」がコンセプトの福島映像祭は、今年で2回目となる。主催はOurPlanet-TV。インターネットを使ってビデオ作品を配信する市民メディアの草分け的な存在である。

「企画の段階では、市民のビデオ作品を集めて上映会を開くようなイメージだったのですが、いろいろ見ていくと、実は福島や原発事故に関わりのある映像作品はたくさんあって、どんどん埋もれてしまっている。〝今、私たちがこれを観てほしい!〟というのが、このプログラムの核になった感じです」とOurPlanet-TVの高木祥衣さんは昨年、インタビューにて語っていた(neoneo web【Interview】特集・福島映像祭のここがツボ! http://webneo.org/archives/10993)。

今年の特徴は、【市民部門】だけでなく【映画部門】【テレビ部門】の上映作品も公募で広く募ったことだという。その結果かどうかは分からないが、より作風にバラエティが出ているというのが第一印象であった。昨年も上映されて話題を呼んだ『東電テレビ会議 49時間』や、『汚された村から~福島チェルノブイリ~』『迷走する中間貯蔵施設』のような、原発事故やその被害を検証するもの、東電や原発システム自体の矛盾を厳しく告発するものもあるのだが、同じテレビ部門でも、『100人の母たち』『ようこそ球美の里へ~原発事故から3年 福島と沖縄~』や『僕と親父の農業』のように、タイトルの印象やスチールを見ても人々の笑顔が感じられるものがある。テレビ部門の上映作品6本のうち3本、つまり半数がそのような原発事故後の人々の着実な生命の営みが感じられるものであることが、やはり3年半という歳月を感じさせる。

おそらく、公募であることよりも(実際のところ、テレビ作品は集まりが悪くOurPlanet-TV側から声をかけたものが多いという)、やはりその3年半の年月の重みがラインナップに反映されていると見るべきであろう。『100人の母たち』は、原発事故の影響を恐れて東京から福岡に移住した写真家の女性が、同じく住み慣れた街を離れて暮らす方や、震災に人生を変えられながらも、懸命に生きる母たちの姿を追った作品。『ようこそ球美の里へ~原発事故から3年 福島と沖縄~』は、被災した児童や親たちが〝保養〟のため沖縄県久米島で10日間を過ごす取り組みを追ったドキュメンタリー。『僕と親父の農業』は、風評被害により従来の1/3になった売り上げをなんとかしようと、東京でのモデル生活をやめて父親の農園を継いだ青年を追ったものとのこと。

映像祭のHPにこんな文章がある。「福島映像祭は、福島原発事故にまつわる、あらゆる映像を集めて上映する映像祭です。映画、テレビ番組、そして一般市民による日々の記録まで、多様な映像を通して事故以降の福島の姿、そして「福島の今」を映し出すことが狙いです。」

「多様な映像」「福島の今」…ともすれば、空疎なキャッチフレーズになってしまいがちな言葉であるが、偏向のない、地に足がついたキュレーションは市民メディアとしての実績ゆえだろうか。この映像祭で多くの作品を観れば、そのキャッチフレーズも決して空疎には聞こえないのではないか、そんな気がした。

しなやかに福島を描き、したたかに原発村と被災者の境界線を乗り越える震災後の映画

震災後の映画製作、この3年半をざっと振り返ってみよう。まず、動きが早かったのはドキュメンタリーである。震災直後、映画作家たちはテレビでは報道されない、本当に何が起こっているかを知るために、カメラを持って被災地に向かった。ただただ続く瓦礫の山を撮った『無常素描』(11/大宮浩一)、カメラを持って被災地に向かうドキュメンタリストの高揚感を自虐的に撮り、死体を撮ろうとする自身と住民との軋轢をもカメラにおさめた『311』(11/森達也・綿井健陽・松林要樹・安岡卓治)。

一方、初動が落ち着いてからは、福島に一定期間腰を落ち着けて、避難、そして避難所暮らしを余儀なくされた人々をていねいに取材した『相馬看花-第一部 奪われた土地の記憶-』(11/松林要樹)、『フタバから遠く離れて』(12/舩橋淳)などが製作され、苦しむ福島の人々の等身大の姿を届けようとする試みが行われたと言えよう。

一方、フィクションに目を転じると、秋葉原事件と津波による瓦礫の山を接続が無理を感じさせた『RIVER』(11/廣木隆一)など、当初はこのような甚大なカタストロフィについて劇映画を構築することの難しさが露呈した感がある。

一方、「震災ものはいい映画がない」と囁かれた時期を経て、ただ被災地や被災者にカメラを向けるのでもなく、ただ被災者との距離を想像力で補うでもない、映画そのものを発明し直すような映画も出てくる。そうだ、あの瓦礫の山を見て「これからどうやって映画を撮っていったらいいのだろう」とみんな思ったはずなのだ。そこからの「映画の再生」は、我々の「魂の再生」だ、と言うのは言い過ぎだろうか。

例えば、ドキュメンタリーにおいては、津波の映像も瓦礫の映像もいっさいなく、被災者が夫婦や姉妹などのペアで震災前・震災時・震災後どうしていたかをただ「語る」というシンプルでありながら力強い魅力を持った『なみのおと』(11/酒井耕、濱口竜介)など、ドキュメンタリーにフィクションのよさを取り入れたような作品。

劇映画に関しても、ラストシーン、警戒区域に指定され無人の故郷にて、認知症の症状が出始めた母親とともに農作業に励む青年の姿で締めた『家路』(14/久保田直)の登場にて、やっと劇映画の重量が現実のカタストロフィの重みに追いついた感がある。

『物置のピアノ』全国順次公開中

オープニング作品は似内千晶監督の『物置のピアノ』。映画部門の6本のうち、唯一の純粋な劇映画である。舞台は福島県中通り、桑折町。高校生の春香は上京していた大学生の姉の帰郷によって、変化を余儀なくされる。実は昔は姉妹でピアノをやっていて、春香がピアノのコンテストで姉に勝ってしまったことによって、姉はピアノをあきらめてしまった。内気な春香は、音大に行きたい気持ちを押し殺し、姉のせいでおいやられた物置のピアノを弾く毎日を過ごしていたのだった…という話。

この作品は、震災や原発事故の傷跡を確かに描いている。風評被害のせいで、手塩にかけて育てた桃が売れないだけではなく、放射能を心配する母親にまるで汚いものでも見るような視線を向けられ、発狂せんばかりの悲嘆を見せる桃農家である祖父の姿は胸につきささる。春香が淡い思慕を抱く、浪江町から避難・転校してきた康祐の、津波で喪ったらしい母親への思慕や、残された父親が持つ虚無感のリアリティも圧倒される。

だが、私はこの作品に感服したのは、決して震災や原発事故の傷跡を描くことがメインではなく、そこに迷いがないところだ。内気そうな春香が物置でピアノを弾く姿は、何か心の中の一番柔らかい部分に触れてくるようなところがある。美人でしかも利発、田舎では浮いてしまうほど垢抜けたファッションの姉との対比、2人がお互いにコンプレックスを抱く複雑な感情の描写も見事だし、過去のいきさつからの確執が柔らかい姉妹愛に変化していくところもリアリティがある。

つまり、思春期の少女にとって、自分が何になるかという迷い、何かができるのかという畏れの方が重要であることは当たり前のことであり、そのような少女の前では津波の残した傷跡も、風評被害によって被る心労も、後景に過ぎない。被災者ではないものが「後景に過ぎない」とはなかなか言い切りづらい部分があるが、そんな逡巡をまるで吹き飛ばすかのように少女の屈託と、未来への可能性が映画の躍動感となって息づいている。悲劇を無理に忘れたり、無視しようとするのではなく、様々な人の営みがカタストロフィを後景にしていくというしごく当たり前の事実を実感させられ、涙腺が緩んだ。

映画上映後の舞台挨拶には、似内千晶監督と、原作者の原みさほさんが登壇。原さんは舞台となった桑折町の出身で、この話を書いたのは大学1年の夏とのこと。故郷を想うシナリオをもとに、映画製作を始めたのは震災前だったが、そこに震災が発生。そのために映画製作はいったん中断されたが、「映画を作ることによって、故郷の人々を精神的に支えられないだろうか」と、桑折町の方たちも映画スタッフに加わり、製作されたのが本作とのこと。震災が起こる前にすでに映画製作に着手していたということを聞き、だからこそこのような瑞々しく力強い映画になったのではないか、と納得がいった。

『無知の知』2014年11月1日 より ポレポレ東中野ほか全国にて公開

石田朝也監督の『無知の知』は4本あるドキュメタンリーのなかの一本で、同じポレポレ東中野で劇場公開が決まっている作品で、プレミア上映された。どちらかというと被災地の被害や被災者の苦しみに寄り添って描くドキュメタンリーが主流だった今までを思うと、「ついにこんなドキュメンタリーが出てきたか!」と膝をうつような作品である。

もちろん福島の被災者の方々が被写体になっていないわけではない。ただ、監督のキャラクターのせいか、「誰も撮っていない福島の姿を映し出そう」とか、「正義はどこにあるのか」というような気負いが感じられない。あくまで自然体で、人と人として、色々と話を聞こうという姿勢が、ゆったりとした温かい空気を醸し出していて、観ていて心地がよい。

そして、この作品の見どころは、なんといっても原発関係者や政治家への突撃取材であろう。みんなの記憶に焼き付いてしまった、原子力安全委員会元委員長、「あの」斑目春樹氏、前原子力委員会委員長である藤家洋一氏。斑目氏からは自虐的に笑いながら述べた「それまでいろんな質問に一生懸命答えていて、(原発の建屋に)水素が漏れている可能性があるということに気づかなかった自分に腹がたちました」という発言を引き出しているし、藤家氏に「被災者の方たちにそれでも原発は必要だって言えますか」という質問をするのもエライ。

なんと菅直人前首相も鳩山由紀前首相も細川護熙前首相など歴代の首相たちも、ちゃんとインタビューに答えてくれているのだ。非常に時間の短いものもあるのだが、「見るからにフツーの人」である監督が、突撃して一生懸命インタビューする姿にうたれるのか、みんな腹を割ってちゃんと本音を話しているように見えるのは貴重だ。

われわれ一般市民は、直接、前首相に「あの時本当はどうだったんですか」、原発関係者に「あなた本当にまだ原発があった方がいいと思っているんですか」と聞くことはできない。全ては新聞やテレビなどマスコミを通したニュースで知るしかなく、それらマスコミも自民党が返り咲いてからの昨今の報道では、一体本当のことをどこまで報じているのか、偏向はないのか、疑問が募るばかりだ。

私が膝を打ったと冒頭で書いたのはまさにその意味で、専門家でもジャーナリストでもない、「私たちと変わらない」石田監督が、福島に飛び、政治家の家に押しかけ、「あの時本当はどうだったのか」「これから原発はどうなっていくのか」、私たちが一番聞きたいことを、聞いてくれることの功績は大きい。

貴重で実のある話が一度観ただけで全て理解できたとは言い難く、公開時にもう一度観に行きたいと思わせてくれた意欲作であった。

上映後のトークには、石田監督と当時官房長官であり、映画でもインタビューに答えている福山哲郎氏が登壇。福山氏は、「この映画ができあがって、最初観た時は、中途半端なんじゃないかと思った。反原発でもないし、原発推進でもない。観客のみなさんも、いったいどっちなの? って思うんじゃないの?って。でももう一度観たら、これが現状、石田監督の見た現状だということ。この現状を観客のみなさんが見て、いったいどう思われるのか、という問題提議なんだ、と思いました」と語った。ほか、原発事故時のこと、政治のことなど質問が相次ぎ、会場は熱気に包まれた。
(後編に続く)
『物置のピアノ』
監督:似内千晶
原作:原みさほ
出演:芳根京子、小篠恵奈、渡辺貴裕、西野実見、平田満、赤間麻里子、神田香織、佐野史郎、長谷川初範、織本順吉
2014年/115分/日本/Blu-ray/作品提供:シネマネストJAPAN
(c) 2014「物置のピアノ」製作委員会
ストーリー:福島県中通り、桑折町。高校三年生の春香は桃農家のおじいちゃんの畑を通って登校している。学校では友人と進路の話。ピアノを担当しているブラスバンド部では、浪江町から避難・転校してきた康祐がトランペットに加入する。上京していた姉の帰郷によって、春香の心に変化が訪れる。進路を決める期限も、演奏会も、まもなく迫っている。震災前から計画されていた桑折町での映画製作プロジェクトによって2014年に完成した劇映画。美しい音世界と抜けるような映像美はまるでジブリ映画を観ているような心地よさ。
(似内千晶監督、原作者の原みさほさん。)
『無知の知』
監督・編集/石田朝也
デジタル/カラー/モノラル/107分
ストーリー:2011年福島第一原発事故。あのとき原発はどうなっていたの?その後避難せざるを得なかった人々はどう暮らしていて、原発ってこれからどうなるの?疑問に感じた監督が、福島の市井の方々から、元総理大臣や原子力推進の専門家まで、インタビューの旅に出た。それぞれの立場から語られる未来の設計図。「何しに来た!」と怒られても、「不勉強な!」と呆れられても歩みを止めない。怖いものしらずの“無知”な男はどんな答えを見つけていくのか。
(石田朝也監督と福山哲郎氏)
  • 『夏目深雪(なつめ・みゆき)』
    批評家、編集者。雑誌やWEB、書籍に映画評、劇評、インタビュー等を寄稿。共著に『ゼロ年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など、共編書に『アジア映画の森―― 新世紀の映画地図』、『アジア映画で<世界>を見る 越境する映画、グローバルな文化』(ともに作品社)。「批評」と「編集」によって世界を切り取ろうと奮闘中。2011年F/T劇評コンペ優秀賞受賞。