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リティ・パニュ特集トーク採録 森達也監督「虐殺の記憶を映画はどう描くのか?」

ここで描かれているのは、僕たちと違う人間ではない。人間はそういう生き物なんだっていう意識を、そろそろ持った方がいいのかもしれない。

森監督がリティ・パニュ監督の映画をはじめてご覧になったのは、山形国際ドキュメンタリー映画祭ですか?
はい、そうです。2003年ですか、『S21クメール・ルージュの虐殺者たち』(以下『S21』)がコンペティション部門に出品されていたのは。これグランプリ獲ったんでしたっけ。
いえ、優秀賞ですね。どんな印象でしたか?
虐殺というのは人間の蛮性や硬直性といった属性を紐解くのに、きわめて重要な現象だと思います。クメール・ルージュだけでなく、ルワンダにしても、ホロコーストにしても、虐殺というものは存在しますからね。ドキュメンタリーを撮るにあたって、ぜひ撮りたいテーマではあるけれども、そう簡単に撮れるものではないじゃない。それをこういったかたちで映画にするという、そこにまずは圧倒されましたね。
再現というんですかね。
ロールプレイングですね。あることはあるんですよ。なんらかの事件があったあと、それはもう終わっているから、ドキュメンタリーとしてそれをどう撮るかっていう時に、まぁみんないろんな工夫をするわけです。そこでロールプレイングというのは珍しい手法ではないんですが、この映画の特異なところは、実際に殺した人と、殺されかけた人、両方にもう一度ロールプレイングさせるという。日本だったらちょっとあり得ないですね。殺した人は捕まってしまうでしょうからね。でもカンボジアでは加害者の数の多さのせいもあるんでしょうが、そうはならない。そこでこういった手法ができた。
ドキュメンタリーの手法としても驚くけれど、同時にカンボジアという国の歴史と現在にもショックを受けましたね。
『S21』を観ると、ジョシュア・オッペンハイマー監督の『アクト・オブ・キリング』のことがどうしても浮かんでくるんですが。『アクト・オブ・キリング』は『S21』にかなり影響を受けたらしいということです。
オッペンハイマー監督がそう言っているんですか?
オッペンハイマー監督の「Killer Images:Documentary Film, Memory and the Performance of Violence」という本があるんです。Joram ten Brinkという人との共著なんですが。そこで一章まるまるリティ・パニュとの対話をしているんですね。
『アクト・オブ・キリング』を観た時に、確かに踏襲しているとは思いましたね。『S21』以降、虐殺を描く手法として、そう珍しいものではなくなったということですね。ただ肝心のロールプレイングする人がね、そう簡単には見つからないけど。そういう意味では『アクト・オブ・キリング』も驚きましたね。
『アクト・オブ・キリング』はなんといっても現在形じゃないですか。今現在も虐殺に関わった人たちが、政府中枢にいたり、町の名士になって、なんの負い目もなく、殺人を語るわけですよね。それは『S21』とは全然違いますね。僕たちから観れば、『S21』の方が分かりやすい。『アクト・オブ・キリング』はもう、呆気にとられるしかない。
どちらの映画も「演じる」わけですよね。ドキュメンタリーの中で、演じさせるというのは、どういうことなんでしょうか。
たまに書いたり言ったりしていることなんだけれども、ロールプレイングって実はみんなやっているんですよね。『S21』の中で、かつての看守であったり、かつての囚われていた人たちがロールプレイングするというのと同じように、例えば僕の映画『A2』の中では、荒木浩広報部長は荒木浩広報部長を演じているわけで。警察官は警察官を演じている。さらに言えば、誰もがみんなどこかでロールプレイングしているわけですよね。恋人の前の自分と、母親の前の自分は絶対違うわけで。役割を演じているわけです。会社にいる自分と、家庭にいる自分と。それは人間ってわりとすんなりできちゃうんですね。ドキュメンタリーはそれをブローアップしたり上手く編集したりするわけで、決して現実とかけ離れた現象ではないと僕は思っています。
さきほど打ち合わせの時、『S21』ってリハーサルしているのか、一発本番であそこまではできないんじゃないか、と仰っていましたが。
途中かつての看守が5分くらいかな、延々と当時を再現するじゃないですか、一人芝居で。あれ切れ目なくやっているんですよ。あのテンションが続くというのが不思議なんですよ。普通どこかでカメラ見たり、次なんだっけな、とかなるもんなんだけど。そういうものが全く出てこないというのは、よほど彼の身体の中にあれが刷り込まれているのか、かなり入念なリハーサルをやっているのか、どちらかでしょうね。
観ていると、高揚してやっている感じではなく、機械的にやっている感じですね。だから身体が覚えているのかリハーサルやしたのかどちらかかな、と。
『S21』と『アクト・オブ・キリング』は、ドキュメンタリーなのにカメラの前で「演じる」ということの手法的な共通点がありますよね。
それはその2本だけではなく、それこそ原一男監督の『ゆきゆきて、神軍』もそうでしょ。つまりカメラがあることで、奥崎謙三はあそこまでエスカレートしていくわけで、カメラがなかったらあそこまでならないですよ。カメラが挑発しているんです。よりロールプレイングを強化するわけです。
カメラがそういう作用をもたらすというのは、その3本に限らず言えると思います。
いよいよ7月5日からリティ・パニュ監督の新作『消えた画 クメール・ルージュの真実』が公開されます。虐殺された人たちが埋められた土から、土人形を作って、その土人形によって監督の記憶の中のクメール・ルージュ支配下を再現するという映画です。森監督はどんな風にご覧になりましたか?
彼自身虐殺の記憶から抜けられないんでしょう。同じことやってもしょうがないんで、次はどうやろうか常に考えているんでしょう。そこで、土人形でってことになるんでしょうが、僕はちょっと、虐殺された人が眠る土から作った人形、っていうところがベタ過ぎてやだな、と思ったんだけど(笑)。でもぜひ観てください。いろいろと考えさせられる映画です。


僕はテレビでよくやるドキュメンタリーの再現映像っていうのが大嫌いで。みなさんもそうじゃないかな。再現映像ってチープでしょ。最近はバラエティ番組なんかでもよくね、タレントが出てきてかつてあったことを再現映像でやったりするんだけど、がっかりしますよね。特にドキュメンタリーと組み合わせてしまうとまず失敗してしまうんだけど、理由が分かりました。説明し過ぎるんですよね、再現映像って。


この映画では半分以上が土人形です。何も語らないし表情も動きもない。やっぱりそれを見ていると、こちらはいろいろと想像するわけです。何も語ってくれないから、その時何があったのかこちらが想像するしかない。それが強みですよね。写真が何故人々にインパクトを与えるのかと同じなんだけど、情報を与え過ぎちゃだめなんですよ。再現映像って情報量が多いんで、観客側は受け取るだけになっちゃう。やっぱり最近映像作品がどんどん説明過剰になっている。映像ってそれ自体でものすごく情報量がありますからね。カラーよりモノクロがインパクトあるのって、それ情報量が少ないからなんです。
あと、森監督にお伺いしたいと思ったのは、ちょうど映画の公開にあわせて、この映画のもとになったリティ・パニュ監督の自伝的な著作「消去: 虐殺を逃れた映画作家が語るクメール・ルージュの記憶と真実」(現代企画室)が翻訳されて出ます。クリストフ・バタイユとの共著なんですが。森監督も本も書かれれば映画も撮られます。書くものと撮るものの関係というのはどうなんでしょうか。先に映像があるのか、それとも本が先なのか。
つまり、映像作品があってそれにリンクする本ということでしょ。それは僕は出すべきじゃないと思っている。いっぱい出しているけどね(笑)。『A』も『A2』も、テレビ作品の『放送禁止歌』も。それは生活に困ってやむなく書いたんで(笑)。本来出すべきじゃないと思います。映像作品として出したのであれば、さっき言ったように、説明しちゃだめなんですよね。このシーン何だろうとか、なんでこういう編集にしたんだろうとか、答えるべきじゃないし、答えたくもないんです、本当は。
でも『A』も『A2』も赤字で、じき3人目も生まれて、それで出版社から本出しますか、って言われたらもう出すしかないですよ。
逆にリティ・パニュ監督みたいに、先に本があって、そこから映画を撮ろうと思ったことはないんですか?
自分で書いたルポルタージュから映像作品ということ? ああ、やりたいものはありますね。ベトナムのラストエンペラーについて書いた本なんですけど。もうすぐ角川から再文庫化という異例なことが起こる「クォン・デ もう一人のラストエンペラー」です。普通文庫は一度文庫化するとそのままなんですけど、これは僕はものすごく愛着があるので、たっての願いで表紙を変えて再文庫化するという。たぶん角川はいやいややっているんですけど(笑)。
ベトナムの歴史ものなんですけど、僕は大好きで。大河ドラマにしてもいいと思っているんだけど。映画にしたいんです。ただ僕の場合は映画にしたって、スポンサーつかないですからね。
そうですねぇ。
そうですねって(笑)。宣伝の人がそういうならそうなのかなぁ(笑)。
いやいや(笑)。『A3』は本だけですよね。
あれは麻原撮れないですからね。本来は『A3』って別にあったんですよ。『A2』を撮っている段階で、編集しきれない部分が相当あったんで、事前にここから先は『A3』にしようって、プロデューサーの安岡(卓治)と話をして、僕は本当は『A2』と『A3』と同時公開したかったんです。でも『A2』公開したら全然お客さんが入らないでしょ。『A3』もどうでもよくなってしまって。
リティ・パニュ監督も書籍を数冊出されているんですよね。
生活大変なんじゃない?(笑) 本当は出したくないですよ。
話は変わりますが、最近北朝鮮に行かれたとか。
そう。連休に行ってきました。大体ね、北朝鮮に行くっていうと、「行けるんですか?」って言われるんだよね。あと「拉致されないでくださいね」。帰ってきたら帰ってきたで、「拉致されないでよかった」って。拉致なんかされないですよ。
北京からピョンヤンまで飛行機で行くんですが、半分近く欧米からの観光客ですよ。日本からの観光客も2人いたな。ちょっと高いんですけどね。北京から行かないといけないし、必ずガイドがつくんで。そういった意味では、アジアの他の国よりは割高です。でも行こうと思えば行けるんです。日本政府は渡航制限してますけど、渡航禁止じゃないですから。


よど号ハイジャック事件を起こしたよど号メンバーの家にずっと泊まっていたんです。彼らは拉致疑惑をかけられていて、その話はちょっとここでは長くなっちゃうんで端折りますが。連れていかれたのが、最近できたアミューズメント施設で。それは金正日が生前に肝入りで作った、としまえんみたいな、温水プールとウォータースライダーが3つくらいある、大きな施設です。
北朝鮮は建造物が豪華というか豪壮なんですが、自動ドアが開いて入ろうとしたら、金正日がニコニコ笑って立ってるんですよ。よく見ると蝋人形なんですね。写真を撮ろうと思ったら横にいた衛兵が怒ってるんですよ。なんだと思ったら、お辞儀しろって言うんですね。


軍人だらけでね。いやいやお辞儀しましたけどね。やっぱり北朝鮮だなと思って。でもよく考えたらね、日本だって80年前はそうだったんですよね。天皇の御真影が日本じゅう各学校に置かれていて、前を通る時にはみんな敬礼してお辞儀して。直接見たら目が潰れるっていうんで奉安殿に祀ったりしてね。学校が火事になったら、校長はまず御真影を持って逃げると。御真影を燃やしてしまった校長は切腹自殺して、それが新聞に載って美談になる、そういう時代が本当にあったんです。そう昔じゃないですよ。


考えれば、人間ってそういう生き物なんだなと。この『S21』もそうですけども、虐殺なんてものをね、何故できたんだろう、何故するんだろう、それは問い続けなければいけないですけれども、同時に、そこにいる人間は違う人間ではないです。僕らもきっとそうした部分はあるし、人間っていうのは環境に過剰に適応するし、自分を捻じ曲げるし。そして自分を捻じ曲げていることにどんどん気づかなくなるし。あとから考えればなんであんなことが、っていうことがあるんです。ホロコーストもそうですけれども。日本だって、関東大震災の時は朝鮮人いっぱい殺してます。一般市民が、鍬や鋤を持って朝鮮人狩りをやったわけです。ルワンダも、インドネシアもそうです。それはもう、人間っていうのはそういう生き物なんだっていう意識を、そろそろ持った方がいいのかもしれない。
リティ・パニュ監督の映画は、どの映画もそういったことを考えさせられる映画ですね。本日はどうもありがとうございました。

渋谷ユーロスペースにて

取材・文=夏目深雪
リティ・パニュ監督作品『消えた画 クメール・ルージュの真実』
ユーロスペースにて公開中!
■公式サイト
http://www.u-picc.com/kietae/#prettyPhoto/0/
『消えた画 クメール・ルージュの真実』
脚本・監督:リティ・パニュ
テキスト:クリストフ・バタイユ 
2013年/カンボジア・フランス/フランス語/HD/95分/原題:L’Image manquante (英題:The Missing Picture)
© CDP / ARTE France / Bophana Production 2013 – All rights reserved
ストーリー:1975〜1979年 カンボジア クメール・ルージュによる虐殺の記憶−−−− 色鮮やかなカンボジアの文化が、クメール・ルージュによる“黒”と紅い旗とスカーフだけの世界に突然、一変する。人形と交互に現れるプロパガンダ映像に登場するポル・ポトはいつも笑顔だ。ベトナム戦争を背景とした冷戦下の大国の対立に端を発した、クメール・ルージュによる悲劇。なぜ、陰惨な歴史は繰り返されるのだろうか。リティ・パニュとフランス人作家、クリストフ・バタイユによって書かれたことばが、犯罪と歴史の記憶を暴いていく。
『はじまりへの旅』
監督・脚本:マット・ロス

出演:ヴィゴ・モーテンセン、ジョージ・マッケイ、フランク・ランジェラ

原題:Captain Fantastic 119 分/シネスコ/英語/日本語字幕:中沢志乃 配給:松竹

© 2016 CAPTAIN FANTASTIC PRODUCTIONS, LLC ALL RIGHTS RESERVED.
ストーリー:ベン・キャッシュ(ヴィゴ・モーテンセン)と6 人の子供たちは、現代社会に触れることなくアメリカ北西部の森深くに暮らしていた。父仕込みの訓練と教育で子供たちの体力はアスリート並み。みな6 ヶ国語を操り、18 歳の長男は名立たる大学すべてに合格。しかしある日入院していた母・レスリーが亡くなり、一家は葬儀のため、そして母の最後のある“願い”を叶えるため旅に出る。葬儀の行われるニューメキシコまでは2400 キロ。チョムスキー※は知っていても、コーラもホットドッグも知らない世間知らずの彼らは果たして、母の願いを叶えることが出来るのか…?(※ノーム・チョムスキー=アメリカの哲学者、言語哲学者、言語学者、社会哲学者、論理学者。)