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#09 【映画祭レポート】第9回UNHCR難民映画祭(10/4-19)

『金の鳥籠』

難民問題を対岸の火事、他人事ではなく受け止めるために

私にとっての第9回UNHCR難民映画祭は記者会見で観た『ボーダー~戦火のシリアを逃れて~』から始まった。記者会見ではUNHCR駐日事務所の守屋由紀広報官からシリアの現状について説明もあった(詳細は#06【映画祭レポート】第9回UNHCR難民映画祭記者会見+上映会(9/9)報告 http://culture.loadshow.jp/special/namin-kisha/を参照のこと)。『ボーダー~戦火のシリアを逃れて~』は難民の姉妹が主人公の映画だが、その地獄のような逃避行が今シリアの人々が置かれた状況を如実に表していて、それを観客も追体験できる優れた映画であった。

ちょうど、11/8付の朝日新聞に、シリアから避難し、日本へ辿り着いて難民申請するものの、難民認定されないシリア人たちを紹介した記事が載っていた(16面「ザ・コラム」シリア難民 たどり着いた日本は「鎖国」)。その記事に従ってざっと事実と数字だけ確認すると、シリアから逃れる人々は人口の7分の1にあたる約320万人。世界の難民史上最悪の規模だという。そのうち、日本に辿り着いた52人が昨年までに日本政府に難民申請したが、決定が出た34人全員が不認定だったという。そのうち二重国籍の一人を除き在留許可は出したのだが、家族の呼び寄せが困難であるほか、難民なら受けられる日本語学習や職業訓練の機会はなく、就職にも不利だという。筆者である柴田直治特派員は、「人権上の批判が絶えない外国人技能実習制度を拡充し労働力不足を補おうと」しながら、「戦争避難民は難民条約の定める難民に当たらない」として、難民認定をしない政府を批判している。

安倍政権は移民の受け入れを推進している、と言われている(首相自身は10/1の衆院本会議で、「多様な経験、技術を持った海外の人材に日本で能力を発揮してもらうものだ。安倍政権は、いわゆる移民政策を取ることは考えていない」と述べてはいるが)。

私は第4回UNHCR難民映画祭レポート(「彼らの世界」と「私たちの世界」 http://intro.ne.jp/contents/2009/10/12_1830.html)にて、「彼ら=難民の世界」と「私たちの世界」の境界線を可視化するために、というようなことを書いた。そのために、映画は最も有効なメディアなのではないかとも書いた。ただ、もうそんな悠長なことを言っている場合ではないのかもしれない。どことなくそんな切迫感に駆られながら、映画祭に参加した。

『戦乱前夜に咲いた花~地球でイチバン新しい国・南スーダン』 制作・著作:NHK

2011年北部からの独立からによって誕生した南スーダンは、世界で一番新しい国であるという。独立に伴う犠牲は大きく、大勢の男性が命を落としたせいで、これからの国作りは女性が担っていくのだ。国を代表するミス・マライカを決めるコンテストで、少女たちは美しさだけではなく、国のこれからの政策もプレゼンする。

番組がクローズアップするのは、その中で最年少の少女、シーダ。まだ18歳と若く、兄弟を内戦で失うなど自身、傷を負っているにもかかわらず、10歳前後のストリートチルドレンがこの国には多すぎると憤慨し、強い意志を持ってミスコンに参加しようとしていた。あどけないシーダは始終あぶなっかしい印象で、みんながモデルウォークの練習をしているところ、マラリアでぶっ倒れたり、ミスコンの本番でも緊張で倒れて「もう出演できない」と言ったりする。しかし最後には、しっかりと自分の政策を審査員の前でプレゼンした。

撮影直後、スーダンはまた内戦に突入したということもあり、ラストはほろ苦いものになっている。ただそれまでが若く美しい女性たちの「国を建てなおすのは私たちよ!」という強烈なパワーが感じられるので、決して作品自体の印象は暗くない。戦乱とミスコン、そのミスマッチがアフリカン・パワーを感じさせ、当地の苦難をきちんと伝えながらも人間、特に女性の可能性に対しての讃歌になっている、おおらかで新鮮なドキュメンタリーであった。

『FCルワンダ』 ヨリス・ポステマ監督

ルワンダ虐殺についての映画や演劇は、最近上演・上映が目につくようになっている。これは右傾化・ヘイトスピーチの広まり(それは日本だけでなく、欧米でも問題化している)に危機感を持つ心あるプログラマーのおかげであろう。昨年の「ふじのくに 世界演劇祭2013」で上演されたミロ・ラウの『Hate Radio』は、虐殺が起きた当時のラジオステーションを再現。ツチ族への「ゴキブリどもを皆殺しにしろ」などというラジオを通したヘイトスピーチを再現するだけなのだが、それが逆に結果としての恐ろしい惨劇を観客に想像させて、効果的であった。

今年の5月にルワンダ大使館とシネマアフリカの共催で開かれた、ルワンダ虐殺20年追悼 特別上映会「映画が伝えるルワンダ虐殺」で上映された『四月の残像』(ラウル・ベック監督)も見応えのある作品であった。有名作品である『ルワンダの涙』(マイケル・ケイトン=ジョーンズ監督)があくまで欧米人から見たルワンダ虐殺を描いていたとしたら、事件が起こるまでと実際の事件、そしてその後までを、ツチ族の妻を持つフツ族の男の目を通して描いていて、その臨場感と事件の想像以上の恐ろしさに慄然とさせられた。

『FCルワンダ』では、まず、虐殺から20年たち、国民一人ひとりの民族の帰属意識は弱まり、代わりにサッカーが人々に和解をもたらすと信じられている前提が描かれる。がしかし現役の選手たちが幼少期に見た凄惨な現場、積み上げられた屍の数々、連れ去られた弟や妹たちの姿を忘れることはできない。本作は、直接サッカーシーンを描くことは少なく、多くは選手のインタビューで成り立っている。選手間で民族の話、例えばツチ族である、フツ族である等の出自を明かすことは禁止されている。ただ仲良くなってしまえばやはりその辺りは話してしまうものだということ。同じチームに自分の親兄弟を殺した者の子孫がいるかもしれない、ということよりも、むしろ選手たちは政府の言論の自由に対する圧力を恐れているかのように見えた。

ルワンダの虐殺が起こった4月になると、何もする気が起きなくてふさぎ込んでしまう、と告白する選手がいたが、これなどはまさに「4月の残像」とでも言えるだろう。オランダ人である監督がルワンダ人の本音に肉薄する難しさもあっただろうに、その残像に迫った貴重なドキュメンタリーであった。「ルワンダ虐殺」そのものを描く作品は多いが、「アフリカの奇跡」と呼ばれた近代化が進んでいるルワンダの現在を、「ルワンダ虐殺」から描こうとしたことも評価すべきであろう。

『金の鳥籠』 ディエゴ・ケマダ=ディエス監督

グアマテラのスラムに住む3人の少年少女が、貧困と暴力から逃れるためアメリカを目指す。旅の途中のメキシコで、チアパス出身の先住民の少年と出会い、3人のうちの1人の少年が旅をあきらめることになり、少年、少女、先住民の少年の3人で貨物列車の旅を続けることになる。

少年と少女が貨物列車の上に乗って旅を続けるというシチュエーションは『闇の列車、光の旅』(キャリー・ジョージ・フクナガ監督)という先例がある。少女をめぐって2人の少年が恋の鞘当てを繰り広げる展開 (特に言葉が通じない少女と先住民の少年のやり取りが原初的な輝きを持ち、素晴らしい) に、厳しい状況下だからこそ、恋心は燃えるのか…などと悠長なことを考えたが、次々と3人に襲いかかる展開は、そんな観客の甘い期待を打ち砕くものであった。

国境警備隊なのか、追手は唐突に現れる。貨物列車から急いで降りて、走って逃げる3人を家に招き入れてくれた中年男は農作業の仕事に3人を雇ってくれた。給料をもらってまた旅を続ける3人。しかし今度は武装した男たちの集団に捕えられてしまう。女たちのみを自分たちの楽しみのために、あるいは売春させる目的で連れ去る目的らしい。少女は男装をしていたのだが、男に見破られ、胸をまさぐられ連れ去られる。

甘酸っぱい三角関係は唐突に終わりを告げ、少女を助けようとしたせいで怪我もし、少年2人は旅を続ける気力も失せる。それでもしばらくしてから立ち上がり、旅を続ける。今度は「仕事を世話する」という甘言にのってついていくと、チンピラ組織が待っていて、身代金目当ての誘拐なのか拉致されて暴言と暴力を浴びせられる。少年だけが辛くも釈放されるが、少年は立ち去ろうとして思い直して組織に戻る。先住民の少年も釈放してくれと有り金を渡して懇願する。「お前、度胸がいいな」とリーダーに気に入られ、なんとか2人とも釈放される。

前半の、3人がアメリカに対して夢を持つ様と、少年2人が少女に対して淡い恋心を抱く様が、とてもヴィヴィッドに描かれていて、観客は、彼らのまだ何も持っていないが、輝きに満ちた青春に酔うことができる。そしてだからこそ中盤以降の容赦ない出来事が観客の言葉を失わせる。

紆余曲折を経てかけがえのない友人となった先住民の少年までをも失い、ラストシーン、一人アメリカに辿り着いた少年が一体何をしているかまでを描き切った、この映画の冷徹さは見事としかいいようがない。観客はズシリと彼らの現実が胸に迫ったまま、それでも、確かにそこに存在したはずの彼らの夢と恋と笑顔に思いを馳せてしまうことだろう。

今回の難民映画祭を振り返ってみると、映画が終わってからトークを行なったゲストも、実際に難民のために何かしらの活動をしている方が多く、難民問題が日本において、もはや対岸の火事や思想的・抽象的な問題ではなくなってきていることが垣間見えた。 作品の内容やテーマに関しても、『FCルワンダ』のように虐殺後のツチ族とフツ族の共生の仕方を探ったり、「難民」にとどまらない作品があった。特に、『FCルワンダ』や『戦乱前夜に咲いた花~地球でイチバン新しい国・南スーダン』のように紛争後、国を再見させようとしている人々を描いている作品が印象的であった。「難民」を扱っている映画にしても、グアマテラのアメリカを目指す少年少女を描いた『金の鳥籠』、フィリピンから内戦の暴力を逃れるためマレーシアに逃れてきた無国籍者たちを追った『無国籍を生きる』など、地域やケースによって苦しみの質は全く違うであろうし、その違いを肌で感じられるのはこういった映画祭ならではであろう。9回目を迎えて、すっかり定着したこの映画祭が、より強く多様な映画で、世界への窓を開こうとしているのではないか。そんな風に感じた。
『戦乱前夜に咲いた花 ~地球でイチバン新しい国・南スーダン~』
制作・著作:NHK/ディレクター:斉藤勇城
ナレーション:二階堂ふみ
第51回 ギャラクシー選奨受賞
日本/2014年/50分/ドキュメンタリー © NHK
ストーリー:2011年北部からの独立によって誕生した南スーダン。世界で一番新しい国家である。独立に伴う犠牲は大きく、大勢の男性が命を落とした。これから南スーダンでは女性が国づくりを担うのだ。国を代表するミス・マライカを決めるコンテストで、少女たちに求められるのは美しさだけではない。国づくりのアイディアが重視される。内戦の影響と女性蔑視によって辛い思いをしてきた彼女たちがステージに託す思いとは。
『FCルワンダ』
監督:ヨリス・ポステマ
オランダ / 2013年 / 57分 / ドキュメンタリー
ストーリー:ルワンダの虐殺から20年、政府は国民一人一人における民族の帰属意識は弱まり、代わりにサッカーが人々の和解をもたらすと信じている。しかし現役の選手たちが幼少期にそのフィールドで見た凄惨な現場、積み上げられた屍の数々、連れ去られた弟や妹たちの姿を忘れることはない。記憶は消去できるのか?民族間のあつれきは本当に解消されたのか?サッカーを通して本作はそれらの問題に迫る。
『金の鳥籠』
ディエゴ・ケマダ=ディエス監督
日本初上映/第66回カンヌ国際映画祭ある視点部門
スペイン、メキシコ / 2013年 / 102分 / ドラマ  ©Films Boutique
ストーリー:グアテマラのスラムに住む三人の少年少女は日々の苦しみと暴力を逃れ、安全な暮らしを求めアメリカを目指す。途中、メキシコで彼らはチアパス出身の先住民の少年と出会い、共に貨物列車の旅へと出るが、旅程で三人を待ち受けていたのは思いもよらぬ数々の残酷な仕打ちだった。命を賭けて越境を試みた何百もの人々の証言を基に綴られた衝撃の人間ドラマ。
  • 『夏目深雪(なつめ・みゆき)』
    批評家、編集者。雑誌やWEB、書籍に映画評、劇評、インタビュー等を寄稿。共著に『ゼロ年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など、共編書に『アジア映画の森―― 新世紀の映画地図』、『アジア映画で<世界>を見る 越境する映画、グローバルな文化』(ともに作品社)。「批評」と「編集」によって世界を切り取ろうと奮闘中。2011年F/T劇評コンペ優秀賞受賞。