LOAD SHOW

A Rooted Soul. Vagabond Eyes.

映画の未来をいち早く
Be the first to witness the future of films

#03【映画祭レポート】 SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2014(2014.7.19-27) vol.2

『彼の見つめる先に』

反響しあい、新たな次元に達するゲイとハンディキャップの表象

今年の映画祭ではあからさまでも、仄めかし程度でも、ゲイをテーマとした作品が目立ったのも特徴の一つだ。同性愛者でもあり父親でもあるという父と、父の同性愛を受け入れられない子の葛藤を描いたベネズエラとスペインの合作『青、そして少しだけピンク』は観ることができなかったが、もう一つ話題を集めた作品にブラジル映画、『彼の見つめる先に』があった。

『彼の見つめる先に』(脚本賞受賞)

盲目の少年レオナルドは、幼なじみの少女ジョヴァンナの助けを借りながら通学している高校生。級友にからかわれたりもするが、過干渉気味の母親から逃げるためにもアメリカに留学するのが夢で、懸命に生きている。ある日、クラスに転校生ガブリエルがやってくる。差別意識を持たないナチュラルな態度のガブリエルにレオナルドは打ち解け、彼に音楽や映画など、様々なことを教わる。二人は互いに意識するようになるが…。

この映画が優れているのは、同性愛と障害という決して簡単ではないテーマを扱いながらも、作品の基調となるのは思春期特有の自我や性の目覚めを細やかに描くことで、その太い幹は揺るがないことだ。同性愛や障害は誰もが持つものではないかもしれないが、思春期の自我や性の目覚めは誰もがかつて経験したであろうもので、それを俳優の魅力も大きいが、温かい視点と繊細なタッチで描いているので共感度が高い。同性愛と障害を決して特別なものではなく、レオナルドやガブリエルにとっては自然であることを瑞々しいタッチで描き切った腕力には舌を巻いた。

さらに言えば、第23回東京国際レズビアン&ゲイ映画祭で『朗読劇 8-エイト-』を観た時も思ったことだが、同性愛と障害という、馴染みのない人にとっては特殊なことだと思ってしまいがちな特性を重ねるという手法は、逆に普遍性を獲得するのに一役買っているのではないか(第23回東京国際レズビアン&ゲイ映画祭レポート http://culture.loadshow.jp/special/report-rezu/では、『朗読劇 8-エイト-』で演出の西尾が同性愛の権利奪還と男性優位主義への抵抗の融合がこの演劇を新たな次元に開いているのではないかと論じた)。

いくつか忘れがたいシーンがある。ガブリエルはレオナルドに「映画が観たいな」と言ってしまってからハッと気づき「ごめん…」と謝る。ガブリエルは「いいよ、観に行こう」と言う。次のシーンは映画館の暗闇で、スクリーンからあがった叫び声に、レオナルドは「どうしたの?」と聞く。ガブリエルは状況を説明し、二人は笑いあう。

レオナルドはクラシックファンだが、ガブリエルは二人で勉強中に自分の好きなベル・アンド・セバスチャンの曲をかける。リズムに乗って踊りだすガブリエル。ぎこちなく身体を揺らすレオナルドにガブリエルは「踊ってこらんよ」という。そして二人は向かい合って踊りだす…。

かつて、見えること/見えないことをめぐりこんなにもせつなく、人びとの心の奥底に眠っているものに触れてくるようなシーンがあっただろうか。観客の記憶の襞に分け入り、大事なものを引き出すことができたからこそ、この映画は盲目で同性愛の少年を、確かにそこに存在させることができたのである。

ラストシーンは、ガブリエルとレオナルドが二人で歩いているところに、級友の悪ガキが「お二人さん! お付き合いは順調?」とからかいの言葉をかける。すると、二人は微笑み、手を繋いで歩き出す。級友たちの黄色い歓声を受けながら、観客の心のなかでも、二人はそうやってずっと歩いていくのであろう。

QAにはダニエル・ヒベイロ監督が登壇。自身もゲイであることを爽やかに告白したダニエル監督は、繊細そうな美青年であった。自身が共感しながら作ったのはもちろんのこと、若い人にこういったマイノリティであるセクシュアリティの自覚に関する映画を観てもらうことで、隠さなくていいんだと元気づけることが目的だった。

レオナルドを演じたジュレリモ・ロボも、ガブリエルを演じたファビオ・アウディも本当に素晴らしかったので、どのように彼らを見出したのかを質問してみた。すると、なんとジェレリモは実際は盲目ではないとのこと。非常に才能のある少年で、この長編の前の短編のオーディションの時は14歳だったが、すでに全盲の演技を作ってきてくれた。そのぼんやりした表情を見て、彼に決めた。

次にガブリエル役の少年探しをしたが、ジェレリモと年齢が釣り合って、しかも演技力がある少年を探さなければいけなかったので、大変ではあった。ただ、ファビオは短編のオーディションの時20歳とジェレリモよりかなり年上だったが、二人が一緒にいるととてもしっくりくるので決めた。

二人はゲイの役に戸惑いはなかったのかも聞いてみたが、二人は脚本を読んで気に入ったらオーディションに来てくれたのであって、特にゲイであることに関して話をすることはなかった。監督によると、ブラジルの若い役者にとっては、若いうちにこういった役を演じることは、かえってハクがつくという側面もあるのではとのこと。

台詞がとても自然でいい台詞が多かった。工夫した点はという質問には、長い時間をかけてリハーサルをしたとのこと。自分で書いて磨きをかけるにしても、実際に発声されると変わってくる。役者が話して初めて息が吹き込まれる。特に若い人が主人公の映画なので、実際に話してもらって彼らに変えてもらった部分もある。

主人公を盲目で同性愛という設定にしたのは、モデルになる方でもいたのかという質問に、特に知り合いでそういう方がいたわけではない。この映画で描きたかった性の目覚め、自分のセクシュアリティの自覚は、盲目であれば、視覚的に男性/女性の認識ができないので、とても適していると思った。つまり、視覚ではなく、自分の内なる気持ちで男性を好きになったということを表現できる。

ブラジルのゲイ事情に関する質問には、ブラジルは非常に奇妙な国で、ある側面ではとてもオープンで、若者にとってはカミングアウトすることは普通になっている。ただ、非常に暴力的な要素がある国なので、ゲイに対する暴力というものもあるとのこと。そのあたりはダブルスタンダード。さらに言えるのは、ここ15年、20年、ゲイの人々の生活がオープンになり社会に受け入れられてくるにつれ、保守的な人々の間でそれが普通になることへの危惧があるようにも感じる。ただ、全体的にはポジティブな方向に向かっているとのこと。

きわどい質問にも始終穏やかに語ったダニエル監督の言葉は、理知的でありながら温かく、まさに映画のイメージどおりであった。

『約束のマッターホルン』(最優秀作品賞)

この映画をゲイをテーマとして扱っていると分類するのは異論がある人もいるかもしれない。中年男性フレッドと知的障害者らしき謎の男は、周りにゲイじゃないかと疑われ差別されるだけで、映画は彼らをゲイであると明言してはいない。ただ監督がゲイの問題に拘りがなければ、フレッドの息子をゲイに設定するということはなかっただろう。むしろ監督が描きたかったのは、ゲイのカップルや恋愛ではなく、ゲイ差別に走る社会の閉塞性や宗教による抑圧だったのかもしれない。

妻に先立たれ、一人暮らしをする中年男フレッドの前に、知的障害者らしき男が現れる。ホームレスだと勘違いしたフレッドは男を自宅に入れ、共同生活を始める。男は喋ることができず、動物の真似が得意で、時々何故か男の妻の服を着る。二人はスーパーマーケットでヤギの真似をする男を見た夫婦から依頼されたのがきっかけで、子どもたちの誕生会を芸をして回るようになる。順風満帆に見えた二人の生活だったが、じきに家の壁にゲイを差別する落書きがされるようになる。実はフレッドの住む地域は厳格な信者が多く、フレッドには一人息子がいたのだが、ゲイであることをカミングアウトしてから疎遠になっていたのだ…。

今「順風満帆」と書いていてつい吹きだしてしまったのだが、トウのたった男二人が子どもたちの前でガチョウやヤギの鳴き真似をし、小銭をもらう姿は、普通に考えたらおかしいのだが、彼らにとっては確かに「順風満帆」なのだ。このように、この映画は健常者の、異性愛者の、つまりマジョリティが持ち常にふりかざす物差しを疑わせるような仕掛けをあちこちに仕込んでいる。フレッドは行き場所のない奇妙な男を家に住まわせる寛大さを持つが、ある日突然旅行代理店に行き、男とマッターホルンに行く予定らしいことが分かるように、男に癒されていないわけでもないらしい。フレッドは近隣から受けるゲイ差別には断固として抵抗するが、終盤も近くなり、ゲイとしてカミングアウトした息子を勘当していたことが分かる。というように、フレッド一人例にあげても、長所もあれば欠点もある。隣人の聖職者は二人の同居をずっと咎めていたが、どうも男に同性愛的な思慕を抱いていたらしいことが判明する。

みな脛に傷を持ち、それでも支え合いながら懸命に生きている。そんな不完全な男たちの過去や内面を、乾いたユーモアと温かい視点で徐々に曝け出す本作は、下手なサスペンスよりサスペンスフルで、展開の予測不可能性が冒頭から際立っている。特にラストシーンはそんな人間の不完全さが観客も身に沁みているからこそ、崇高な感動に繋がり、素晴らしくて胸が震えた。

QAには隣人の聖職者を演じたポーギー・フランセンさんが、今朝アムステルダムから息子と二人で来たと言いながら登壇。

かなり過激な作品だと思うが、国内ではどのような評価だったのかという質問に、この作品はもともとテレビ映画用に作られた。ただ出来がとてもいいということで、劇場公開された。そしてやはり非常に感情が強く揺さぶられるということで、評価は高かった。

確かに過激というか、観客に挑戦的・攻撃的な映画であると私も思う。例えばフレッドと男の結婚式のシーンや、子どもたちの前で芸をするシーン。あれらも考え方によってはどうなのかな、と思う。ただ一方で、哲学的な側面、非常に色々と考えさせられる重層性があり、決して一面的ではない、そういった深いところがよかったのではないかと、今回見直してみて思った。

現代のストレスが象徴的に描かれていたが…という客席からの意見に、日本は仕事中心の社会でそこから来るストレスが多いと聞く。オランダは、仕事によるストレスよりも、宗教的な抑圧がとても強い。実際のところ、フレッドのような父親は存在する、と答えた。

才気あふれるディーデリク・エビンゲ監督について質問してみたが、監督は40代後半で、この作品が長編第一作目だが、自分も俳優として出演をこなすそう。ハリウッドに招かれてヒッチッコックの『鳥』をリメイクすることが決まったと朗報を教えてくれた。「私を鳥の役で抜擢してくれるんじゃないかと期待している」とジョークを飛ばして、会場を沸かせていた。
(vol.3に続く)
『彼の見つめる先に』
監督:ダニエル・ヒベイロ
出演:ジュレルメ・ロボ、ファビオ・アウディ、テス・アモリン、ルシア・ホマノ、エウシー・デ・ソウザ
2014年/ブラジル/96分
ストーリー:留学を夢見るレオナルド。幼なじみのジョバンナは、そんな目の見えない彼をいつも支えていた。ある日、クラスに転校生のガブリエルがやってきた。そのときから、3人には新しい感情が芽生え始める。
解説:今年の第64回ベルリン国際映画祭パノラマ部門で上映されFIPRESCI(国際批評家連盟)賞とテディ賞(LGBTを扱った作品に授与される賞)の二冠に輝いたブラジル映画。ダニエル・ヒベイロ監督は、短編『You, Me and Him』(07)が第58回ベルリン映画祭でクリスタル・ベア(最優秀短編賞)を受賞。本作『彼の見つめる先に』を企画中に、同じモチーフの短編『I Don’t Want To Go back Alone』(10)を監督し、第25回グアダラハラ国際映画祭をはじめとする世界110の映画祭で上映、90以上もの賞を受賞した。胸キュン確実の甘酸っぱい成長の物語。
(ダニエル・ヒベイロ監督)
『約束のマッターホルン』
監督:ディーデリク・エビンゲ
出演:トン・カス、ルネ・ファント・ホフ、ポーギー・フランセン
2013年/オランダ/88分
ストーリー:妻の死後フレッドは、欠かさない教会通いと、一秒の狂いもない規則正しい生活を厳しく守りながら暮らしていた。しかし、不思議な男テオを家に招き入れたときから、フレッドの人生は大きく変わり始める。
解説:2013年のロッテルダム国際映画祭観客賞をはじめ、第35回モスクワ国際映画祭では観客賞、ロシア批評家会員最優秀賞、ロシア映画クラブ連盟賞最優秀賞を受賞。監督のディーデリク・エビンゲは現代音楽・演劇・ドラマを学び、その後多数のドラマや映画に出演し俳優としてのキャリアを積む。監督としては第31回クレルモンフェラン国際短編映画祭最優秀賞『Succes』(08)などの短編やTV映画を監督。本作が長編デビュー作となる。劇中ではクラシック音楽が多用されているが、シャーリー・バッシーの「This Is My Life」のカバーなども挿入され、そのまさかの音楽の組み合わせや、構図、台詞、展開、ラスト、全てにセンスと知性が光る。鑑賞後に幸福感のある至極の一本。
(ポーギー・フランセンさん)
  • 『夏目深雪(なつめ・みゆき)』
    批評家、編集者。雑誌やWEB、書籍に映画評、劇評、インタビュー等を寄稿。共著に『ゼロ年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など、共編書に『アジア映画の森―― 新世紀の映画地図』、『アジア映画で<世界>を見る 越境する映画、グローバルな文化』(ともに作品社)。「批評」と「編集」によって世界を切り取ろうと奮闘中。2011年F/T劇評コンペ優秀賞受賞。